第30話 人間のメスになんで欲情なんかしなくちゃいけないんだよ、意味分かんない

 セーネルから西を目指しやってきたガイナール地域の大都市リリョー。

 街の門を潜ると中央アジア風の建物がズラリと並ぶ。

 城壁のような石壁で街の外からは見えなかったが、随分と華やかである。


 まず街に入ったところで春太はチーちゃんの前にしゃがみこんだ。

「さあチーちゃん、抱っこタイムだぞー!」

 街の外では愛犬と遊ぶこともできないため、戯れたい気持ちが溜まっていたのだ。

 街の外だと味方でもダメージ判定があるという変にリアルなシステムにより、チーちゃんがちょっと春太に飛びつくだけで春太が死亡してしまう。

 春太が最低でも一撃は耐えられるようにならない限り、街の外で戯れることはできないのである。

 チーちゃんは抱き上げようとすると自ら立ち上がり、持ちやすいようにしてくれる。

 春太はお腹の辺りを両手で掴み、人間の顔の高さまで持ち上げた。

 浮遊感に怖がることもなく、慣れた様子で尻尾をパタパタするチーちゃん。

 漫画の幽霊みたいに前足を垂らしているところがポイント高い。

 細かいところだが、こういうちょっとした仕草が好きという人もいるのである。

 そこで、ある人のことを思い出した。

 あれはまだ日本にいた頃のことだ。


 チーちゃんが春太に心を許してからは、散歩の途中で抱っこをせがむようになった。

 いつものコースだと散歩に出てから十分の所で郵便局の前を通るのだが、ちょうどその辺りで抱っこをせがんでくるのだった。

 一週間もそんなことが続くと、注目を集める。

 窓口が二つしかない小さな郵便局で、窓口のおばさんがこちらを向いてニッコリするようになった。

 郵便局の隣のパン屋からは、店先に角刈りサングラスの店主がわざわざ出てきたものだ。

 そんないかつい店主がチーちゃんにデレデレする姿が妙におかしかった。

 この店主がチーちゃんの前足(抱き上げた時の)が好きで、うわあちっこいなあ、可愛いなあと前足を触っていたものだ。

 店主の指はチーちゃんの足とあまり変わらないくらい太く、この太い指でチーちゃんの前足を優しく触りながら身の上を語ってくれた。

 店主は斎藤さんというのだが、斎藤さんは元警察官で、危険の伴う相手を専門に当たっていたという。

 てっきり取り締まられる側かと思っていたので驚いたものだ。

『俺は本当はな、保育士さんになりたかったんだ』

『え?!』

『ボウズの反応は失礼だが、まあその通りだ。子供が泣く。なんせ中学生の時から怖がられてたからな。陰でラオウなんてあだ名が付けられていた。子供がすれ違えば泣くし。だが諦められなかった。叔母さんが保育士だったんだが、子供をあやす前に犬をあやしてみたらどうかと言われた』

 斎藤さんは保育士になるための訓練だと思って叔母の家の柴犬をたいそう可愛がった。

 柴犬のポッキーは斎藤さんによくなついた。

 そこで自信をつけた斎藤さんだったが、笑顔で歩いていたところですれ違った園児たちに泣かれてしまった。

 斎藤さんは気付いた。

 やはり人間と犬は違う。

 犬は心を見てくれるが人間は見た目なのだ……

 それからの斎藤さんはポッキーだけを癒しに生きた。

 叔母は斎藤さんに警官になればいいのではと勧めた。

 これから羽ばたく子供達の面倒を見る保育士ではなく、羽が傷ついてしまった人達の面倒を見てあげればいい、と。

 その通りに斎藤さんは警察官となった。

 いかつい見てくれも存分に活かせた。

 まさに天職というほど活躍できた。

 結婚もして子供もできた。

 保育士になれなかった代わりにイクメンぶりを発揮した。

 充足。

 だが、何か違うと感じ始めた。

 育児に携わる内に、保育士になりたかった頃の思いがまた蘇る。

 このまま警察官として退職まで過ごすのか……

 嫌だ。

 でも自分の子以外の子供には相変わらず泣かれる。

 そんな時だ。

 勤務中たまたま立ち寄ったパン屋で、衝撃的な光景を目の当たりにした。

 そこの店主はサングラスにハゲでブルドッグ顔、自分と大して変わらない怖さを発揮している。

 しかし店に来ていた親子連れは全く怖がっていなかったのだ。

 子供は店主ではなく、並んでいるパンに夢中なのである。

 これだ、と思い立ち斎藤さんは警察官を辞めてパン屋になったのだった。

『まあパン屋はなりたくてなったってほどじゃないんだが、やって良かったと思っているよ。なりたいのは保育士で、向いてるのは警察で、最終的になったのはパン屋だ。とにかく人生は何が起こるか分からない。だからボウズも色々やってみろ。何でも良いからやってみるといい』

 斎藤さんは斎藤さんなりに悟ったようだった。

 なりたいものがはっきりしない春太はどう反応したらいいか分からなかったし、やはり何か将来の夢を持った方が良いのだろうかと思った。

 斎藤さんは別れ際にいつも入念にチーちゃんの頭を撫でていた。

『やっぱ犬は最高だな!』

『ですよね!』

 それだけで何か通じ合えたような気がした。

 犬の可愛さが予期せぬ人の繋がりを作ってくれるんだなと思ったものである。


 チーちゃんは春太の鼻に顔を近付けてペロリとした。

 アイスクリームの棒かというほど小さな舌。

 プリッとした感触が心地良い。

 春太はチーちゃんに頬ずりで返した。

 柔らかな体毛は羽毛布団を思わせる気持ちよさ。

 小さな身体にも確かな温もりを感じる。

 やっぱり犬は最高だ! 猫もね!

 癒し効果で春太のやる気電池が一気に充電されていく。

 充分に満足したら、街の観察を始めた。


 中央アジア風の建物は上部がドーム型になっていたり球根型になっていたりと様々だ。

 砂に近い色や白い色、アクセントに緑や青などが使われている。

 道往く人々は常夏といった暑さの中でも元気だった。

 元気というより開放的と表した方が良いかもしれない。

 馬車に乗っている人も、学生らしき集団も、手を繋いで歩く夫婦も、袖なしシャツに半ズボンやミニスカートである。

 しかめっ面など辺りには見えない。

 歩き方も軽やかで、それでいて何かに急かされている風でも無い。

 明るくてそこかしこでお喋りが弾んでいる。

 暑いので必然的に薄着になるが、格好が開放的になると気分も開放的になるのだろうか。

 チューブトップやタンクトップで小走りに横切っていく女性達を見て春太は思った。


「シュンたん何見てるの~?」

 隣からマキンリアが春太の顔を覗き込んでくる。

「露出の多い人が多いね」

 簡単な感想を述べるとマキンリアがこれ見よがしにからかってきた。

「うわーやらし~!」

 そんなことを言われて春太は気付いた。ああそうか、普通はそう思われるよな。

 だがそんな誤解は心外だ。

 きちんとここで正しておかねばならない。


「人間のメスになんで欲情なんかしなくちゃいけないんだよ、意味分かんない」


 春太は本当に、単純に、露出が多いなあと思っただけだ。

 性的な興奮など1ミリだってない。

「シュンたんの言っていることの方が意味分かんないよ?!」

 お化けでも見たようにマキンリアが驚きの声を上げる。

「どうやらマッキーはまだ俺のことを分かっていないようだね。セーネルで俺のペット愛はさんざん見てきたじゃないか」

「だからって人間にメスとか言っちゃ駄目だよ」

「生物学上はメスだよ。犬や猫と変わらない。人間が特別だなんて思うのは傲慢だよ」

「じゃあシュンたんはチーちゃんやセリーナをやらしー目で見てるの?」

「見るわけないでしょ。この子たちとは純粋な愛で繋がってるんだから」

 春太は呆れたとばかりに肩を竦めてみせた。

 ペット愛とは磨き上げられた水晶のように、気泡の無い氷のように、濁りの無い愛なのだ。

 やらしさなどペット愛の前ではあまりの眩しさにひれ伏してしまうだろう。いや吸血鬼が朝日を浴びて絶叫しながら灰になるのと同じかもしれない。

 それほどにペット愛は眩いのだ。

 しかしマキンリアも簡単にハイそうですかとは言わなかった。焦ったように食い下がってくる。

「クラスの友達は純粋な愛なんて無いって言ってたよ! あたし達だってお父さんお母さんが不純なことして生まれてきてるんだからって」

「それはそれで変だぞ。じゃあ高齢者の恋愛は恋愛じゃないっていうの?」

 指を立てて持論を展開する春太にマキンリアは目をぱちぱちさせた。

「え? …………うーんどうなんだろ……」

「俺が思うに、純粋な愛は老人になってからようやく楽しめるもんだと思うんだよ」

 実際に、祖父・冬次郎(とうじろう)はそう言っていたのだ。


『私は思うのだが、この歳になってようやく純粋に愛することができるようになった気がするよ。この子たちが本当に大切なことを教えてくれた』

 セリーナ達に囲まれ祖父が自然な笑顔を浮かべていたのを思い出す。

 父・夏太郎(なつたろう)曰く、祖父は厳しくいつもカリカリしている人だったらしい。

 仲間からお金を騙し取られたこともあったし、逆に罠に嵌めて破滅に追い込んだこともあったとか。

 会社を興して稼ぐためには当たり前だと言い切っていたようだ。

 それが、晩年になってふとした拍子に犬猫の保護施設に行くようになってから、ガラリと変わったという。

 みるみる穏やかになっていき、今までちょっとしたことで怒鳴っていたのが『ああよいよい、そんなこと気にするな』などと許すようになったのだ。

 最初は父も母も気味悪がって『何か変な宗教にでも引っかかってしまったのでは』と言っていた。

 その頃はまだ祖父が犬猫の保護施設に行っているなんて知らなかったものだから、心配して父が『宗教でも始めたのか?』と尋ねた。

 そんな父へ祖父はニコニコしながら写真を見せたという。

『私は神は信じないが……天使なら信じるぞ』

 祖父と犬、祖父と犬、祖父と猫、祖父と犬……大量のツーショット写真。

 高級なスーツできめた老紳士の姿はそこにはなく、安物のウインドブレーカーに身を包み、髪も乱れ顔も汚れていて、ただの爺さんが写っていた。

 しかし、子供のように無邪気に笑っていた。

 普段の祖父からは想像もできない姿(しかもこのために自撮りの仕方も覚えたらしい)に父も母も机を叩いて笑ったとか。

 それからは祖父は自分の妻にも優しくなれたという。

 やらしさを超越したその先に、純粋な愛がある。

 それを天使たちに教わったのだ。


「でもシュンたんは子供じゃん」

「そう、若くても俺は純粋な愛を獲得した……犬と猫が教えてくれたのさ……」

 春太は自信を持って説明した。

 マキンリアはしばらく首を傾げていた。まあ経験していない以上は彼女には分からないと思う。人は自分の経験からしか想像できないのだ。

 しかし分からないとなると切り替えが早いのも彼女の特徴である。

「そうだ、早速名物を食べに行こうよ!」

 そう言って大食い袋から観光ガイドを取り出した。

 瑠璃色の瞳を犬みたいにキラキラさせてグルメのページを読み始めた。

 彼女のプライオリティは食欲がダントツの1位だ。

 もしかしたら2位~10位まで食欲が占めているのかもしれない。

 一日三食の他に間食を四回もとらなければならないらしいが(しかもそれがおにぎりとか)、不思議なことに体型は標準を維持している。

 いったい何にエネルギーを消費しているのだろうか。

 それを尋ねるといつもはぐらかされるので謎のままである。

 一番エネルギーを消費するのは脳だと何かで読んだことがあるが、マキンリアの頭が普通の人の倍大きいなどということもない。

「とりあえず宿を決めてからにしようよ」

 旅の鉄則を春太は述べたが、既にマキンリアには聞こえていないようだった。

 セリーナがスフィンクスのように伏せ、そこへプーミンが甘えた声を出して首筋をこすりつけていた。

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