第29話 俺がこうしたいからこうするんだ。それだけだ
まだ昼間の空は青々としてすがすがしい。
モンスターが一斉にいなくなったことで辺りは孤島のような静けさに包まれる。
大量のアイテムが転がる遺跡は、財宝を発見したかのようだった。
チーちゃんやプーミンはじゃれあいながらそこらのアイテムを検分していく。
セリーナは別の方へ向かいながらアイテムを一つ一つ確認していった。
春太とマキンリアは階段状に積み上がった建物の残骸に並んで腰を下ろしていた。
マキンリアは下を向きながら苦笑いを見せている。
「最初は入口付近で一匹ずつ敵を倒していたんだ。そうしたら、さわやかグラデーションの糸が一個出てさ……それでつい、奥の方まで行っちゃったんだよね。ヤバくなってから逃げたんだけど、最後は見えにくい所で死んじゃって。あーこれは誰にも見付けてもらえないかも……って思ってた」
通りがかりのパーティーに見付けてもらえれば蘇生薬で起こしてもらえる。
だが誰にも見付けてもらえず六時間が経過していたら……春太は改めてゾッとした。コーニーがいなかったら今頃はセマレンク湖で捜していたかもしれない。
春太は膝の傍らに手を置き正面を向いたまま応じる。
「…………みんな心配してたよ。学校行かなかったら流石に騒ぎになる」
「……ここに来ているなんてよく分かったね」
「さわやかグラデーションの糸はここが一番出るんだろ?」
するとマキンリアは教室の花瓶を誤って割ってしまったのを隠すみたいな顔をした。
「え? 別にそんなの集めてないよ? ちょっと経験値を稼ごうと思って……」
「集めてるってはっきり言ったじゃないか」
「…………むー……シュンたんに教えたのは間違いだったかなあ。妙に気にするんだもん」
「気付いたのはコーニーだよ」
「う、嘘だあっ! だってクラスのみんなはあたしのこと単なる冒険好きだとしか思ってないよ」
「プラス食いしん坊だと思ってる」
「そ、それは違うよ。あたしは来たる冬眠のために食い溜めをしないといけなくて……」
「今そのネタはいいから。とにかく大半はそう思っていた。でも……コーニーは違った。マッキーは本当は収穫祭に出たいんじゃないかって気にかけていたんだ」
「嘘だよ……あたしの心配をする人なんて、いるわけないじゃん」
そこで春太は隣に顔を向けた。
悲しそうに笑うマキンリア。
そこに本当の彼女を見た気がした。
鋼鉄のシェルターに閉じこもり、外に出ることを拒絶する。
外はもう安全だと呼びかけられても、嘘だと跳ね返してしまう。
安全を認めてしまえばシェルターを離れなければならない。
環境が変わることに不安を感じ、いつしかシェルターを守るために外からの呼びかけを跳ね返すようになってしまう。
目的と手段がごっちゃになっているのだ。
春太は肩を落とす。駄目だ、俺の言葉だけじゃ届かない……
ちょっとの説得で応じるなら苦労はしない。現実はドラマみたいにスパッと心を開いてなんかくれないのだ……
そこで春太に電話がかかってきた。
視界の隅に『コーニーから電話』と表示されている。
それを見て春太は背中を押されたような気がした。俺だけが何か言っても無理かもしれない……でも実際にコーニーは心配してくれていたんだ。それを、伝えなきゃならない。
手に力が入る。
左手を上げ、グーにして念じる。
「嘘じゃないよ」
それから手をパーにしたら画面が出てきて、コーニーの顔が映し出された。
『見付かった?』
「見付かった。ここにいるよ」
コーニーの質問に短く応じた春太は、手を動かして画面をマキンリアの方に向けた。
マキンリアは画面を見てハッとした。
画面の向こうではコーニーが目に涙を溜め、必死に堪えていたのだ。
『マッキー……』
それ以上の言葉が出てこない。
口をわななかせ、開こうとしてはぐっと引き結ぶ。
これ以上何かを言えば堰き止めていた涙もこぼれてしまう。
マキンリアは自身の胸の辺りに手を当て、胸が苦しいとばかりに服を握り締めた。
二人は声も出せず見つめ合う。
堅牢なシェルターの中でマキンリアは窓の外にようやく意識を向けた。
頑なに意識の外に追いやってきたけど、震える手でカーテンを捲り、ちらっと外の様子をうかがっている。
それからシェルターの中で右往左往するのだ。
変化が怖い。ここにいれば辛くてもこれ以上酷くはならない。ここを出ても良くなる保証があるわけじゃない。やっぱりやめた方がいいのでは……
喋れないコーニーを押しのけるようにノールトの顔がドアップになった。
『おおマッキー無事か! 良かったああああぁっ!』
『ちょっとあんた邪魔、離れて! ああマッキー良かったあ……心配したんだから!』
今度はテンリンが出てくる。
マキンリアは『心配』の単語に一瞬硬直した。
今優しくされるとシェルターが壊れてしまう、そんな不安がよぎったような。
すぐに彼女はいつもの笑顔になった。
不安を隠す仮面をつけた。
「あたしは大丈夫だよ! ありがとう!」
再び心は固く閉ざされた。
……かに見えた。
『そのー…………悪かった! 今まで気付いてやれなくて』
ノールトが頭の後ろに手をやり、バツが悪そうな顔をする。
テンリンも眉尻を落として続いた。
『ウチもごめんね。勘が悪くてさ……これじゃ目利きの商人になれないね……』
マキンリアの笑顔にはすぐにひびが入った。
心を閉ざす途中で、見えざる手に扉を止められてしまった。
「えっ? あの、べ別に何も……あの、あたし別に収穫祭出たいとか、全然思ってないから大丈夫だよ!」
焦って平気さをアピールしようとするが、しどろもどろ。
手は膝に置かれ、それが微かに震えているのが見てとれる。
希望が見えたように春太には思えた。
祈るような思いだ。俺だけではどうにもならない、みんな頑張ってくれ……! ただみんなと一緒に、民族衣装を着て祭に出たいだけなんだ。そんな、みんなが当たり前に享受しているものが、この娘にとっては夢なんだ。そんなささやかな願いくらい、叶ったっていいじゃないか。
それを阻害しているのがこの娘自身だとしても。だって人間はそんなに器用には生きられない。不器用だ、不器用なんだ。他の人からすれば『オルカおばさんに買ってもらえばいいだけじゃん』『みんなにアイテム集め手伝ってもらえばいいだけじゃん』で終わる話かもしれない。でも他の人には簡単なことでも本人にとっては難しいということは、あるのだ。何でもソツなくこなせる人はそりゃ凄いけど、人間なかなかそうはなれないのだ。
『え、そうだったのか?』
ノールトが言われた通りに納得しようとすると、横からテンリンが噛みつく。
『あんた言われたら何でも信じるの? バカなの?!』
これは脳筋と言われる所以かもしれない。
それからテンリンはコホンと咳払いし、言葉を続けた。
『ウチら今セマレンク湖でマッキーを捜してたんだけど、先生もついてきてくれたよ』
そうするとテンリン達が道をあけ、冴えない顔のおじさんが出てきた。
『いや面目ない。クラスのことをちゃんと見ているつもりでも、よく見えていなかったんだなと痛感させられたよ。誘拐事件とかそっちの線ばかり心配していた。これからは先生も初心に戻って、ちゃんとするように努める。お詫びと言ってはなんだが……』
先生が右手を持ち上げると、そこには鮮やかなグラデーションの毛玉があった。
マキンリアは目を見開いた。
そして目の端にじわりと温かいものが溜まり始める。
「あの、それ……別に集めてるわけじゃ、なくて……その、受け取れないというか……」
先生の手にある毛玉にテンリンが手を重ねる。
『なに水くさいこと言ってんの! ウチらはね、マッキーと一緒に出たいの、収穫祭に』
『一緒に出ようぜ!』
ノールトもテンリンの手の上に手を重ねる。
更に、コーニーがその上に手を重ねた。
『マッキー…………出ようよぅ……』
瞳を濡らす彼女の透明な願い。
マキンリアは『自分を心配してくれる人なんていない』と言っていた。
それは『そう決めつけた方が楽だ』という心の予防線。
そうすれば大きく傷つくことはない。
だが、そうした予防線も、画面の向こうで重ねられた手を前にしたら保つことが難しくなってくる。
自身の膝をぐっと握り締めるマキンリアは苦しそうだった。
気持ちが傾いてきている。
確実に揺れている。
シェルターを出るチャンスだと本人も気付いたはずだ。
これを逃したらもう、チャンスはないかもしれない。
「コーニー……」
マキンリアは遂に拒絶の言葉を吐き出すことができなくなった。
更にノールトがあわただしく手を動かすと、彼の手に画面が現れた。
そこには沢山の少年少女たちがいた。
『マッキー!』『とったぞー!』『俺達プラッケ山来てるよー!』
中心にいる少女がさわやかグラデーションの糸を見せている。
ノールトが状況を説明した。
『クラスのみんなに声かけたらみんなで行こうぜ! ってなったんだよ。1個でも出れば良いって思ったんだけど、無事ゲットできたみたいだな!』
『先生としては授業に穴を空けるのは問題なんだが、教頭先生に怒られたら責任は俺がとる! 今日の分はどこかで埋め合わせをするさ。だからみんなで衣装を完成させよう!』
先生が照れくさそうにカッコつけている。
気付けばクラスのみんなが協力してくれていた。
マキンリアのために、みんなが動いたのだ。
一人だと思っていたのは自分だけだったと、マキンリアも気付かないわけにはいかない。
マキンリアはシェルターから一歩踏み出す覚悟を決めた。
みんなのいる、外へと。
そんな時だ。
ノールトが何気ない一言を放った。
『まーシーダスの奴は来なかったけどな』
何の悪意もなく、単純な事実を述べただけだった。
しかしそれは、特大の大砲だった。
マキンリアの表情が凍り付く。
それはわずかな後に安堵のものへと変わった。
彼女の全身から力が抜けていくようだった。
そういう人がいたんだ、いてくれたんだ、という、失望の安堵。
ほら、だからシェルターの中にいた方がいいじゃない……そんな風に、閉じこもる理由を見付けてしまった。
ほんの些細な理由のはずだ。
クラスの中で来なかったのは一人だけなのだから。
だがほんの些細な理由でも、しがみつけるものであればそれが何であれ大義名分になってしまう。
春太は手に汗握りながらそれまで応援していたが、愕然としてしまった。
野球で言えば逆転ホームランを打たれてしまったような、サッカーで言えばロスタイムに失点を喫したような、歓声が止まる瞬間のそれである。
ノールトに罪は無いし、シーダスも言ってみれば個人の自由だ。でもこれはやりきれない……
マキンリアは笑顔の仮面を取り戻してしまった。
「みんな、ありがとう。でも、それを受け取るのは」
だが喋っている途中で電話がかかってきたようだった。
彼女は怪訝な顔をしつつ左手を動かし、画面を出現させる。
『無事だったか……おい、ちゃんと集まったんだろうな?』
その捻くれた感じの声はシーダスだった。
「え、ど、え?」
想像もしない相手から電話が来たことに混乱するマキンリア。
シーダスはぶっきらぼうな口調で続ける。
『なに変な声出してんだよ。今回だけ特別だからな』
そう言ってシーダスは画面から外れ、代わりに大人の女性が出てきた。
それは食堂で会った、織物職人だった。
『うちの息子はちょっと態度が悪いけど、許してあげてね。アイテム集めて持ってきてくれれば、今回は私がタダで織ってあげるわ』
再びシーダスに変わる。
『俺は頭脳労働派だからな。狩りには加わらないがこういうところで協力させてもらった。どうせアイテム集めた後のことなんて考えてなかったんだろ?』
照れ隠しなのがすぐに分かるほど露骨に面倒くさそうにしている。
マキンリアの笑顔はすぐに崩れた。
「うぅっ……」
嗚咽が漏れる。
今度こそ、本当に、笑顔の仮面が砕け散った。
閉じこもる理由を見付けたと思っていたが、それは幻だった。
外に出ようとして、やっぱり引っ込めてしまった足を。
今度は力強く、踏み出す。
「…………ぁりがとぅ……」
俯いて、口を押さえながら、掠れた声で。
マキンリアは言ったのだった。
それを傍で見ていた春太は大きな安堵と共に込み上げてくるものがあった。良かった。本当に良かった。もう駄目かと思った。
他の誰かにはとても小さなことなのかもしれない。
でも本人にとっては、とてもとても大きなことなのだ。俺達はそうして、小さなことで大きく揺れながらやっとこさっとこ生きていく。
さわやかグラデーションの糸は今何個か。
マキンリアが元々持っていたのが13個。
彼女はここで1個ゲットしたと言っていた。
テンリン達セマレンク湖組が1個出した。
プラッケ山組も1個出した。
計16個。
あと4個か……そんな風に春太が計算していると、プーミンが春太達の座っている石段にひょいと上ってきた。
プーミンは毛玉を咥えていて、それをマキンリアのそばに落とした。
毛玉には鮮やかなグラデーションの彩。
猫は捕まえてきた獲物を主人に見せることがある。
セミとかネズミとか、たまに玄関前に置かれていたりするのだ。
それと同じように、毛玉を置いてマキンリアを見上げていた。『どう? 褒めて』と言っているかのようだ。
次にセリーナがマキンリアの前で立ち上がり、咥えてきた毛玉をマキンリアの太腿に落とした。
それからセリーナの足下ではチーちゃんが石段を上がろうとしていた。
チーちゃんも毛玉を咥えていたが、自力では上がることができない。
やがて諦めてチーちゃんはその場でポトッと毛玉を落とし、それをセリーナが上に運んであげた。
夥しい数のモンスターを倒したので、3個も出ていたようだ。
これで19個。
20個まで、残り1個。
ということは。
春太は大食い袋から毛玉を取り出した。
これを渡せば20個だ。
マキンリアがそれに気付くと慌てて手を振った。
「シュンたん、それは悪いよ。頑張れば今日中にもう1個出るかもしれないしっ」
反射的に出てしまっただけの言葉かもしれない。
だが春太にとってそれはトラウマを呼び起こしてしまうものだ。
ウッ……と春太の手が止まってしまう。
『俺に施しをしようってのか!』
昔友達に言われた言葉が冷たい霧となってまとわりつく。
『本当に……いいから……』
マキンリアの泣き笑いの顔が見えない壁となって進路を阻む。
春太の手は前に進もうにも磁石の反発を受けたみたいに進めなくなってしまった。
余計なお世話。傲慢。自己満足。偽善。俺のやろうとしていることは、結局のところ、そうなんじゃないのか……
自身の手が汚れたものに見えてきてしまう。こんなに汚れているのに、綺麗に見せようと……自分のイメージをよくしようとしているだけなんじゃないのか……
つまりは、人のためと言いつつ自分のため。
やめておけ……そんな囁きが生まれる。
前回拒否された時と同じように、春太の手は力を失っていく。
そんな時だ、プーミンの背中が目に入ったのは。
プーミンから毛玉に視線を移す。
そしてまたプーミンへ視線を戻す。
春太は新たな発見を得た。
この子は、何の躊躇いもなく毛玉を渡した……
セリーナに視線を移しても、チーちゃんに視線を移しても、同じだった。
彼女達は、そうしたいからそうしている、それだけなのだ。
春太の手が、急激に力を取り戻していく。ああ、俺は何をごちゃごちゃ考えていたんだ。まったく、やれやれだぜ。
そうしたいからそうする、それで良いんだ。
春太は空いている方の手を突き出し、マキンリアの右手を掴む。
そうして彼女の手の平を上に向けさせ、そこに毛玉を押し付けた。
「俺がこうしたいからこうするんだ。それだけだ」
照れ隠しに意地悪な笑みを浮かべてやった。
マキンリアは驚いた顔を見せた。
「シュンたん……鼻水が凄い出てるよ!」
その通りだった。
無理して女の子の手に触れたのだ。
その時点で春太の鼻は決壊していた。
ダーッと地面を目指し伸びていく鼻水。
「ぐぞーやっぱ人間の女はだべだ!」
春太はパッと離れてハンカチで鼻水を止める作業に入る。
画面の向こうではみんな大爆笑だった。
笑いは取れたが、何とも締まらないものだ。
その中でシーダスが口を開いた。
『アイテムが揃ったんならさっさと持って来いよ。織るのも明日に間に合わせなきゃならないんだからな』
「しかし、よく協力してくれたな」
春太が感心とも疑問ともとれない調子で言った。シーダスは弁当屋で話していた時はとても協力してくれるようには見えなかった。タダで動くタイプじゃないように見えたのに。
するとシーダスは鼻を鳴らして答えたのだった。
『どうやら俺の妹がお前に助けてもらったらしくてな。セーネリンガ森で。お前の猫がつけている織物に見覚えがあったから妹に訊いてみたら、その話をしてくれた。だから今回は特別だぞ。妹の借りを返すために俺がママに頼んでやったんだからな』
春太はプーミンの首元を見てみた。
そこにぶら下がっている織物が、助けになってくれたのだ。
セーネリンガ森での一件が、巡り巡ってこんな形で返ってくるとは。
不思議なものだ。
だが、それよりも。
スルーできない部分がある。
「……ママ?」
春太が尋ねると、シーダスが『しまった!』の顔になる。
隣でマキンリアがぶふっと噴いた。
テンリンが呆れ顔で指摘する。
『あんたいい年して、全然それ直んないのねぇ』
『ママだって!』『ママ!』『ママー!』
再び大爆笑が巻き起こる。
春太はシーダスの肩書を思い出した。
マザコンシーダス。
最後にいい所を持っていかれる形になってしまったが、春太はこれでもいいかと思った。
マキンリアも声を上げて笑っている。
泣いて終わるより、笑って終わる方が良い。
シーダスの『黙れ殺すぞ!』の声が空に吸い込まれていった。
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