第9話 小さな猫に殺される人間なんているわけないじゃないですか

 目を覚ますと、そこは宿屋のベッドだった。

 窓から差し込む光はオレンジ色。

 扉の傍の籠ではセリーナが丸くなり、チーちゃんとプーミンが寄り添って寝ていた。ペットの寝顔はなぜこうも癒されるのか。これはまさに最強の回復魔法ではないか。


 春太はセリーナ達を起こさないように、そっと部屋を出ていく。

 その時セリーナが耳を立てたが、顔は起こさなかった。


 下に降りていくと、カウンターにオルカおばさんの姿は無かった。

 カウンター脇から奥の部屋が見える。

 長机と椅子が沢山並んでいる……更に奥の部屋からはぐつぐつ何かを煮る音。

 食堂だろうか。

 話し声も聴こえてくる。

 一方はオルカおばさんで、もう一方は若い女の子の声だ。

「じゃあ、また後でね!」

 ちょうど話が終わったようで、女の子が食堂の奥から出てきた。

 女の子は楽しそうに軽やかな足取りで、長机にいた猫(昼間カウンターにいた猫だ)を一撫でして春太とすれ違う。

 赤茶色のショートボブに薄く日焼けした女の子だった。


 春太はそれを見送ると、食堂の奥へ目を向ける。

 するとオルカおばさんがエプロンで手をごしごししながら出てきた。

「おや、あんたかい! 一日に二回も死ぬなんてついてないねえ!」

「いや~面目ないです」

「あんたを運んできた子が『この人小さな猫に2700ダメージ受けて死んだ』なんて言うんだよ! そんなことあるわけないでしょって思うんだけどねえ。子供だから大袈裟に言ってるだけだと思うんだけど。セーネリンガ森に行ったんだろう? 今日は強いボスが出たって聞いたから、おおかたそれに巻き込まれたんでしょ?」

 春太は不整脈を起こしそうになった。

「ま、まさかあ! 小さな猫に殺される人間なんているわけないじゃないですかあ!」

 恋をしてしまいそうなほど不自然な動悸が起こる。すげー心臓に悪い。

「今、ひと息ついたところだからお茶でも出そうか」

「いやお構いなく」

「いいんだよ、もう鍋を煮るだけだから! マキンリアが手伝ってくれたからね」

「今出て行った子ですか?」

「そう。あたしの姪っ子だよ」

 オルカおばさんは橙の陽が差し込む中、厨房と思われる奥の部屋から湯飲みとお菓子を持ってくる。

 食堂の長机の片隅でささやかなお茶会が始まった。

 春太はオルカおばさんにここでの生活を訊いてみた。


 この街は【セーネル】といい、人口25000。

 周辺の村三つを含め【フルベルト】という地域を形成している。

 この地域いくつかを束ねているのが【エルド王国】。

 現在の王は穏健派で平和。フルベルトの豚の評判が良いため、ブランド豚として他国に売り込むべく畜産にいま力を入れているところだとか。

 セーネルの街自体は畜産よりも冒険者相手の商売(ある意味観光業)の街だ。

 オルカおばさんのように宿屋を営む者もいれば、街の周辺に出現するモンスターのデータを書物にして販売する者もいるし、力は無いけどダンジョンに行きたいという人のために傭兵じみたガイドを生業とする者もいる。

 また冒険者は宿を素泊まりにして節約する者もいるため、八百屋や魚屋などの食料品もよく売れる。

 正市民だけでなく外から来た冒険者がたくさんお金を落としてくれるので、経済状況は良いのだった。


「ま、ウチは最低限の設備で格安でやっているさ。貧乏冒険者の味方さね!」

 オルカおばさんが朗らかに言うので春太は疑問を投げかけた。

「儲けてないんですか?」

 商売をするのに儲けないというのが春太には分からなかったのだ。

 祖父は事業主で父は大企業の事業部長、庭付きの家の広さからして『儲けている』家に生まれたのは春太も自覚している。

 だから、儲けないという感覚が分からない。

 オルカおばさんはそうさねえ、とお茶を一口飲んでから話した。

「目的を忘れると、自分を見失ってしまう」

「……?」

「終わりが無いのさ、そういうのは。あたしはここの客が持ってきてくれる土産話を聞くのが楽しみだからね。まあ趣味でやっているようなもんさ」

「趣味ですか」

 大半は春太には理解できなかったが、趣味ならば、と一定の納得をした。オルカおばさん、何だか色んな経験積んできてそうだな。


 それからオルカおばさんは姪っ子マキンリアの話をした。

「あんた、マキンリアと大体同じ年だろう? それでちょっと相談したいんだけど……」

「相談?」

「あの子は両親が亡くなっててね、学校行きながら冒険者もやってるんだ。そういうことで生活費を稼ぐためにオシャレもしない。四日後にお祭りがあるんだけどあの子は出ないって言っている。あたしがお祭り用の民族衣装を買ってあげようとしたんだけど、お祭りは興味無いからいいって言われてしまったんだよ。でもねー本当はあの子もオシャレして出たいハズだと思うんだよ、何かうまく説得できたりしないかね?」

 春太はしばらく情報の整理に手間取った。自活……お祭り……民族衣装。あの娘はこの年で自分で稼いでいるのか、凄いな。

「お祭りっていうのは?」

「ああ、収穫祭っていって、年に一度収穫を祝うのさ。昔は農業の町だったみたいでね、今でもある程度の農家はあるけど。まあお祭りは昔からの伝統で続けているのさ」

 春太はあることを思い出す。そういえば、街に出た時服屋で民族衣装を見たな。そこのポップに収穫祭って書いてあった気がする。きっとお祭りは盆踊りみたいなもので、浴衣を着て行くようなイメージなんだろう。マキンリアはおばさんに迷惑をかけられないということで遠慮しているのかもしれない。俺も両親に遠慮しているし……

 うまく何かを言うことはできなかった。

 夕飯の時にとりあえずあの子と話してみてよ、紹介するから、と言われてその場は終わった。


 春太が自室に戻るとプーミンが飛びついてきた。きっとセーネリンガ森では抱っこできなかったので消化不良だったのだろう。

 この子のセピア色の短毛はとてもなめらかな手触りで心地良い。

 そして、腕の中に収まったところで一声安心したように鳴くのがたまらない。

 ベッドに腰かけ、プーミンを抱きながら春太は天井を見つめる。


 中学に入ってからは、春太は親に物をねだっていない。それまでは親に言えば何でも買ってもらえるのが普通として育ってきたが、だんだん周囲と違うことに気付いてきてしまった。それからは何だか親に頼むという行為が『他人の金』と感じるようになってきた。姉が二人いるが、そのどちらもが派手な生活をしているのも春太には奇妙に映った。だから、親のお金の影響をなるべく受けないよう高校生になったらバイトしてみようと思っている。親の恩恵を悪いものとまで思っているわけではない、でも微妙なのだ。この感覚はとにかくぐにゃぐにゃしていて複雑だった。

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