第3話 この世界は、おいしいものがいっぱいある世界よ
穏やかさを取り戻した森はハイキングに来たかのように温かみがある。
清涼感に満ちた空気は緑の匂いも含み、純粋に美味い。
緊張から解放されていくと小鳥が木々を飛び移る様も目に入ってくるようになり、そのさえずりも耳に入ってくるようになった。
半径数メートルに意識を集中していたのが、ふわっと世界が広がっていく感じだ。
チーちゃんとプーミンが安心したのか、春太の足下へ駆け寄ってくる。
すると、周囲からまたガサゴソと音が聴こえてきた。
チーちゃん、プーミンがくるりと首を回し、音のする方へ注目する。
セリーナは最初から音がする方を警戒していたようだ。
またモンスターか?
そう思っていると、今回は人間が木々の間を歩いて来るのが見えてきたのだった。
三人組である。
中央を歩くのは頭にターバン、顔の半分はマフラーで隠し、軽鎧にマントという傭兵なのか旅人なのか、という姿。
左には白を基調とした司祭風の人が見え、右には銀に光る鎧を纏った戦士風の人。
春太はようやく人間に会えたことで特大の安堵を得た。
「第一異世界人発見! しかも第二、第三異世界人もついでに発見だ!」
近くの町を教えてもらおう。うまくすれば連れて行ってもらえるかも。
すいませーんと春太は声をかけた。
三~四歩の距離まで接近して立ち止まると、三人組の中央の人がマフラー越しに声を発した。
「何かお困りかね」
目元しか露出していないが、声からして男性であろうと思われた。
ターバンは長い布を荒く頭に巻き付けただけで、頭頂部は黒髪が飛び出している。
またマフラーは薄手のものを首に巻き付け、両端を背中側へ垂らしていた。
「いや、実は別の世界からここに飛ばされて来てしまったみたいで。右も左も分からないんでどうしたら良いかと思っていたところなんですよ」
春太は率直に説明した。
深く考えれば異世界人に『私、別の世界から来ました』などと言って通じるわけがないのだが、春太がこれまで触れてきたエンターテイメントに『異世界転生』『異世界召喚』といった言葉が普通に使われてきたため、それが『通常起こり得ないこと』という概念が薄れてしまっていたのである。
だが、ターバンの男性は疑わなかった。
「ほう……別の世界から。ではこの世界についてまだ何も知らないのだね。ふむ……ヒマワリ、簡単に教えてあげてくれないか」
その声にはハリがあるのでまだ若いのだろうが、老成したような落ち着いた重みがあった。
ヒマワリと呼ばれたのは司祭風の人だった。
クリーム色に近い金髪、ぱっちりとしていて穏やかな目の女性だ。
この女性がニコニコしながら口を開いた。
「この世界は、おいしいものがいっぱいある世界よ」
それだけだった。
五秒くらいして、春太が沈黙に耐えられなくなる。
「え、終わり……?」
いくらなんでも説明になってなさすぎだろう。
ターバンの男性も軽く驚いたようだった。
「え、終わり? そりゃ簡単過ぎるだろう。もう少し他にないのか」
「んー、この近くの町の名物『マイオークラッケ』がおいしいとか?」
ヒマワリはニコニコしたままそう言った。天然……なのだろうか?
すると戦士風の人が言葉を投げかける。
「モンスター倒して、モンスターが落としたアイテムを売って生活する。それだけ分かれば問題ないだろう」
戦士風の人は赤い長髪で野性的な顔、引き締まった格闘家系の体躯を持つ男性だった。
これもまた説明になっていなかったが、春太はそれが聞けただけでも充分だと思った。
きっとゲームみたいな世界なのだろう。
それなら、これまでプレイしてきたゲームと同じ感覚でいれば良い。
そこで春太は聞く事柄を絞った。
「とりあえず、近くの町がどこにあるか教えてもらえますか?」
この際細かいことは後回しだ。とにかく町に行きたい。
ターバンの男性は頷いた。
「おお、そうか。そうだな、まずいったん、町に行った方が良い。生活の安定はまず寝床からだ。案内しよう」
これで町まで連れて行ってもらえることになった。
春太は安心して愛犬に声をかけた。
「良かったーこれで町に行けるよチーちゃん!」
するとチーちゃんは尻尾を高速フリフリしながら春太に飛びついてきた。
いつもはここから抱っこに移行するのだが……チーちゃんが春太に触れた瞬間、ズガッという激しい打撃音がして春太がふっ飛んだ。
「おぶえっ!」
春太は木に激突し、わけが分からないまま意識を失った。
意識が戻ると、そこはベッドの上だった。
春太はしばし何も考えず、ぼけっとした。
それからいきなり重要なことに気付き、上体を起こす。
「ここはっ……?!」
知らない場所だ。少なくとも自分の家じゃない。そうだ、異世界。異世界に来たんだ。
部屋を見回す。
石造りの部屋で簡素な木のベッド、木の机、木の扉、木枠の窓。
どことなく中世を思わせる。
扉の左辺りに赤ちゃんが寝られそうな大きさの籠が置いてあり、そこにセリーナが丸くなって春太の方を見ていた。
セリーナの背中にはプーミンとチーちゃんが丸まっており、こちらも同じく春太に目を向けた。
「みんな無事だったか! 良かったぁ……」
春太は胸をなでおろした。いきなり俺が意識を失ってしまって、この子達はどうしていいか分からなかっただろう。心配させてごめんね。
プーミンとチーちゃんがトコトコ近寄ってきて、ベッドに飛び乗ってくる。
プーミンは自力で上がれたがチーちゃんは無理だったので、抱っこしてベッドの上にあげてあげた。
春太はしばらくこの二頭を撫でた後、窓に目を向けた。外が見たい。
膝立ちになり、がたつく木枠の窓を開ける。さて外はどうなっているのか……
外に顔を出すと、そこは石造りの町だった。
立ち並ぶ家々からは、建物同士を結ぶワイヤーに干した洗濯物を取り込もうとしている恰幅の良い中年女性の姿が見られる。
ガヤガヤ賑わっている通りには馬車が走っている。
中世ヨーロッパ風、というのが春太の感想だった。
部屋の中も、外も、ゲームで見たことがありそうな光景だった。
「やっぱり異世界なんだなあ……」
ここでもまさに異世界なのだと実感させられる。
通りにいる一人一人に生活があり、ここはこことして世界が回っているのだ。しかし異世界というのは不思議だ。並行世界みたいな『もしも』で分岐したところだったら元の世界と繋がりもありそうだ。でもここは全くの別物っぽい。そうした場合、元の世界と繋がりはあるのだろうか。それとも何かしらで繋がっているのだろうか。そもそも世界を渡る時、世界同士は隣接しているのか? 世界同士が離れていたら、世界と世界の間の空間には何がある?
「まあ……来てしまったもんはしょうがない。それより、あの人はどこ行ったんだろう」
ターバンの男性のことを思い出す。名前知らないや、聞いておけば良かった。いきなり俺が気絶して、その後どうなったんだろう。もしかして運んでくれたのか? いや、そうじゃないと俺はここにいないか。迷惑かけちゃったなあ。お礼言わないと。
春太はベッドから降りた。
ターバンの男性、もしくはあの三人組の誰かであれば誰でも良いのだが、見付けてお礼を言わなければ。
木の扉に近付いていき、そっと開けてみる。
扉の向こうは廊下になっていて、旅館みたいに幾つも扉が並んでいた。
普通の家を想像していたが、そうではないのかもしれない。
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