第4話 この少年、チワワに飛びつかれて2600ダメージ受けて死んだ。ウケる
石造りの廊下は磨き抜かれておらず、打ちっぱなしのコンクリートみたいな安っぽさを感じさせる。
そこに板チョコ模様の木製ドアが並び、幾つかの明かり取りの窓から採光がされていた。
カビ臭さは無いが、現代に比べれば生活臭がなんとなく漂っているようだ。
春太が廊下に顔を出していると、セリーナが先に廊下へ出ていく。
彼女はチラリと春太を振り返り、歩き出す。ついてこい、ということだろうか。
セリーナの目はとても理知的で深い。
実際、かなり賢い。トイレは完璧だし無駄吠えもしないしエサもちゃんと待つ……これらは家に来た時には全てできていた。お座りや伏せだけでなく複雑な指令も理解し、『今日のお客は犬苦手だから二階にいてね』と言えばその通りに二階で静かにしている。更には初めての散歩でセリーナの足が速すぎて俺が引きずられてしまったのを見て、次回から『歩調を俺に合わせる』という気遣いまでできてしまうのである。まさに頼れるスーパードッグ。今ではセリーナこそ本当の姉さんだと思っている。
プーミンとチーちゃんには留守番をさせ、春太はセリーナの後をついていった。
セリーナの長い脚やほっそりした体つきはスーパーモデルだ。
足の運びも洗練されていて、見ていてついうっとりしてしまう。
ボルゾイは美しさで言えば間違いなく犬の中で一、二を争うものだろう。
先導されるまま歩き、階段で一階層、二階層と下って行く。
そこには開けっ放しの正面玄関があり、通りの賑わいが見えた。
玄関の向かいにはカウンターがあり、恰幅の良いおばさんと丸くなっている猫(看板猫かも)がいる。
セリーナは隅の方に伏せをした。ここが目的地だ、と示しているのだろう。
カウンターのおばさんには旅装束の青年が話しかけていた。
「オルカおばさん、チェックアウトお願い」「おや、これからどこか他の町にでも行くのかい?」「討伐戦だよ、モールゴンまで」「あーあれね! でもちょっと早くない?」
二人は顔馴染みのように楽しげに話していた。どうやらカウンターのおばさんはオルカおばさんと呼ばれているようだ。『みんなのお母さん』的ニュアンスである。
春太はふうん……と会話からこの場所のヒントを得た気がした。チェックアウト、旅館みたいな建物……この二つの言葉から導き出されるものがある。
宿屋だ。
RPGでは定番である。
旅装束の青年が手を振って出ていくと、今度は寝間着で寝癖全開の中年男性がオルカおばさんに話しかけた。
「オルカおばさん、朝飯食べたい」「何言ってんだいこんな時間に起きてきて!」
その次は野菜を持ってきた八百屋風の人が玄関から入ってきて、持ってきた野菜を渡しながら笑顔で話していた。
ようやく訪問者が途絶え、オルカおばさんが春太に気付いた。
「ああ、あんたかい! 目が覚めたようだね。どうだい調子は?」
声の調子、話し方、表情、どれをとっても親しみやすさが滲み出ている。
やはりみんなのお母さんという見立ては間違いなく、春太もすぐに打ち解けられそうだった。
「今起きたところなんですけど、それまで記憶が飛んでて……ターバンの人が俺を運んできてくれたんですか?」
「ターバン……ああ、トージローさんのことね!」
これでターバンの男性の名前が判明した。
オルカおばさんは野菜の箱をカウンターの下にしまいながら話してくれた。
「仮死亡のあんたをトージローさんが運んできてねえ。それで『この少年、チワワに飛びつかれて2600ダメージ受けて死んだ。ウケる』なんて言うのよ。チワワってあんたの連れてきたちっちゃいワンちゃんでしょ? こんなちっちゃな子に飛びつかれて人間が死ぬわけないでしょって言ってやったのよー! 大方あれでしょ、モンスターにでもやられたんでしょ?」
春太は頭の中で話を整理していく。『仮死亡』ってなんだ? いやそれよりも。
チワワに2600ダメージ受けて死んだって。いや、うっすら気付いてはいたよ? だってチーちゃんが俺に飛びついた瞬間にふっ飛ばされたし。でもさーチーちゃんって味方でしょ。味方に攻撃されてダメージ喰らうって何それ? クソゲーじゃん。
「やだなーチワワに飛びつかれて死ぬ人間なんているわけないじゃないですかー!」
中学生という微妙な時期を生きる少年は背中で冷や汗をかきながら笑顔で言った。『チワワに殺された人間』なんて不名誉な肩書は嫌だ。ああそうだ、仮死亡について聞かなきゃ。
「ところで、仮死亡ってなんですか?」
「そういえばトージローさんが『この少年、別の世界から来たと言っている。色々聞かれたら答えてやってほしい』なんて言ってたのよねえ。それじゃまだ右も左も分からないでしょう。私で分かる範囲でなら教えてあげるから。仮死亡っていうのはね……」
『仮死亡』とは、HPが0になった状態を指す。
この状態で六時間放置すると『本当の死亡』となる。
本当の死亡が元の世界での死亡と同義。
仮死亡した者はクリスタルに包まれ、行動不能。
仮死亡した者を宿屋で寝かせれば蘇生できる。
『蘇生薬』というアイテムを使用すれば宿屋に連れていくことなくその場で蘇生できる。
これが仮死亡にまつわる話だった。
「ここまで運んでくれたトージローさんにお礼を言いたいんですが……」
春太がそう切り出すと、オルカおばさんは首を振った。
「トージローさんならもういないよ。あの人はかなり活発な冒険者だから、常にあちこち回ってる。まああんたも旅していればいずれ会えるさ!」
「トージローさんは冒険者なんですね?」
「そうだよ。冒険者ってのは、モンスターを倒して、モンスターの落としたアイテムを集めて、そのアイテムを町の買取商人に売って稼ぎを得る人のことさ。あまり定住せず、ウチみたいな宿屋を根城にしている人が多いね。ちなみにウチは宿屋『ぽかぽか亭』、よろしくね。この近辺じゃ一番安くやってる」
これについてはゲームと全く同じだ、とすんなり春太は理解した。それから、ゲームではよく『冒険者は冒険者ギルドに行って登録する』ことになるんだけど、そこら辺はどういうシステムになっているんだろう。
「冒険者ってどうすればなれますか?」
「冒険者になりたいのかい? 危険だけど……でもこの世界にいきなり来て生活するにはそれしかないもんねえ。役場の冒険課に行って登録すれば良いよ。今日の宿代はもうトージローさんからもらっているから、役場に行ってついでに町でも見てきたら?」
トージローは宿代まで払ってくれていたようだ。ずいぶん親切にしてくれたんだな。
春太は役場の場所を教えてもらい、町に出ることにした。
『レベル上げ行こうよ!』『今月金欠だよー』『昨日初めてボス倒した!』
石造りの建物が立ち並ぶ通りには、色々な人がいた。
魔法使い風の格好、戦士風の格好……これらはきっと冒険者だ。
それからモンスターと見られるお供を従えた者も歩いている。
チーちゃんより小さなモンスターを肩に乗せている者もいれば、セリーナより遥かに大きなモンスターを連れている者もいた。
更によく見てみると、耳の尖りが特徴のエルフやずんぐりしたヒゲ面のドワーフといった種族も歩いている。
それらは常識では考えられないが、全然違和感無く町の風景として溶け込んでいた。
その中を春太はセリーナ達と共に歩いている。
プーミンは人見知りするのかだらけているのか、セリーナの背中にしがみついている。
チーちゃんの方は大きな耳をピンと立てて、そわそわキョロキョロ。
「いやー凄いなあ。ちょっとテンション上がってきた! ね、チーちゃん?」
春太は様々な人で賑わう通りを見て話しかけた。
チーちゃんは気が強いので、モンスターとすれ違う度にそちらへ寄っていこうとしている。
チーちゃんは家に来た時、警戒心が強かった。ワンワン吠えるし、手を出すと噛みつかれそうになった。幸い散歩は嫌がらないので毎日欠かさず連れて行った。だがある日、チーちゃんが木の棒を異常に怖がることが分かった。たまたまゴミとして出されていた木の束だ。それまで決して一定以上の距離を縮めなかったチーちゃんが俺の足にしがみついてきたので、そのまま抱っこして、試しに他のゴミで木の束を隠してみた。チーちゃんは落ち着きを取り戻していった。その時を境にチーちゃんは俺に甘えるようになった。でも、気を許した相手以外には喧嘩腰のままである。ウチのペットはみんな保護犬保護猫で、爺ちゃんが連れてきた。『みんなそれぞれ辛い人生を送ってきた子達だ』と爺ちゃんは言っていたが、いったいどんな環境に置かれていたのだろうと時々思う。
ちょっかいを出して喧嘩になると面倒なので、チーちゃんは抱っこしておくことにした。
抱っこする時チーちゃんが飛びついてきたが、今度は春太が吹き飛ばされることはなかった。
街中ではダメージが無効、という仕様なのか。
まだこの世界に来て分からないことだらけだが、少しずつ状況から感じ取っていくしかない。この世界はゲーム的だが、ゲームそのものではない。説明書など無いのだ。
お店も色々あった。
『今日は葉物が安いよー!』『豚肉残り1パックだよ急いでー!』『試食いかがー!』
八百屋、魚屋、肉屋、服屋、それから春太が出てきたのは宿屋。
八百屋や魚屋には子供を抱いたお母さんがいたり、夕食をどうしようか悩みながら買い物している人達でいっぱいだ。
服屋には威勢のいい店主はいなかったが、入口からは親が子に民族衣装の試着をさせているのが見える。
その民族衣装は店の表にも飾られていて、『収穫祭用衣装は当店で!』と販促用ポップに書いてあった。知らない文字だけど、この世界の文字が簡単に読めてしまった。まあアニメや漫画で異世界に行く物語ではそういう設定が多いから、いいか。きっと俺をこの世界に送った人がそういう能力をプレゼントしてくれたんだろう。でも、俺を送ってくれた人って誰だ?
春太は考える。俺は何者かによってこの世界に飛ばされてきたのか、それとも次元の歪みとかそういう超常現象で転移してしまったのか、それともこっちの世界の誰かから召喚されたのか……いったいどれだ?
「どれだろうねー、チーちゃん?」
そう問いかけると、チーちゃんは特徴的なつぶらな瞳をウルウルさせた。
春太は蕩けるように癒され、考えていることがどうでもよくなった。
町役場に到着。
三階建てで、入口には彫刻が施されている重厚な建造物だった。
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