第18話 ニューフェイス

 夜な夜な相模湾で行われた大原高校体育祭の第二ラウンドは、幾人かの生徒に軽い火傷を残して幕を閉じた。つまり予想通り何も残さなかったと言っていい。にもかかわらず、あまりに面白かったので正式に体育祭の競技化しようという動きさえ起こったが、ロケット花火の使い方が悪い例の極北ゆえ、実現不可能であることは誰が見ても明々白々だった。いくら大原高校の生徒が阿呆でも、先生は歴とした大人である。

 体育祭第二ラウンドの成功にほっと胸を撫で下ろした俺は、安心しすぎて代休明けの朝に二度寝して、早くも夏休み前の生活リズムへと戻り始めた。しかしながら、リズムは戻ってもそれで元のように部活へ行こうという気分が盛り上がるわけではなかった。

 きっとしばらく練習していなかったツケを払わされるに違いない。だからと言って逃げるのか、と滅多に見せない負けん気をやはり誰にも見せないながら起こそうとしてみたが、滅多に見せないのではなく、そもそもそんなものは存在しないために見せられないのだと悟らされるばかりだった。ならば休むのはどうだろうか。男子テニス部の練習は強制ではない。そもそも偉そうに強制できるほどまともな活動をしていないので当然である。しかしこの逃げ道もアッキーからのメールで塞がれた。

『こんにちは。今日から部活に顔を出したいのですが、部室の場所が分からないので一緒に行ってもいいですか?それに一人だと心細いので』

 という文章が送られてきて、心細がっているアッキーを妄想して興奮していた俺は自分が部活に乗り気でないのも忘れて承諾の返事をしていた。つまり、どちらかというと自ら逃げ道を塞いでしまったと言った方が正しい。結局、どうあがいても逃げ出すことができない状況で放課後になった。

「部活、行くべ」

「先行っててくれ」

「なんだ、そう言っておいてついにテニスから逃亡するのか?」

「ちげぇよ」そうしたいのは山々だが。「サプライズだ、サプライズ。そうだ、お前部室に行って俺が行くまで待機するように言っといてくれ」

「はあ?何だよ、サプライズって。気持ち悪いな」

 我門は身震いする真似をしたが、そのしぐさの方がよっぽど気持ち悪かった。

「それを言ったらサプライズにならんだろうが。そんじゃあ頼んだぞ」

 教室を出たところで我門と別れ、手近な階段の方へと行く。

 一つ階を上がり、一年二組の教室まで行くとアッキーがすでに教室の外で待っていた。

「あ、先輩。すいません、わざわざ。私が先輩の教室に行ってもよかったのに」

「気にしなくていいよ。マネージャーやってくれるのは俺にとって有り難いんだから」

「でも緊張します。先輩に誘われるまで考えたこともなかったし…」

「そうだな。すぐ怒鳴るような恐い奴らばっかりだから、気をつけた方がいい」

「え、そ、そうなんですか?」

「冗談だよ。阿呆はいるけど恐い奴はいないから」おろおろしているアッキーをもう少し眺めていたかったが、あんまり動揺させてまた下着を晒すようなハプニングが起きても可哀そうなのですぐに訂正した。「まあ、リラックス、リラックス。あ、あと今日は来てるか分からないけど、一人二年のマネージャーがいるから、もし来てたらその人にマネージャーの仕事を教わるといいよ。まあ、難しいことは無いと思うけど」

「はい、分かりました」

 体育祭のダンスや打ち上げの話で盛り上がりながら歩いていると、今日のところは部室へ行くのは止して、このままアッキーとどこかで優雅にお茶でもしていた方が良くないかという考えが幾度も頭をもたげたが、潔く限界までゆっくり歩くだけにとどめた。

 部室の前まで来て、サプライズらしくするためにアッキーを部室の中からは見えない位置に立たせてから扉を開けた。ささやかな抵抗としてゆっくり歩いてきたためか、教室を出たのはさほど遅くなかったのにすでに四元さんも含めて全員が揃っている。

「おい陣、サプライズって何や?待たせといて、しょーもないもんだったら怒るで」

「しかしその可能性が十分ありうるから、言う通りに待ってた俺たちも俺たちなんだけど」

「まあ、何にしても問題だけは起こすなよ」

「早いとこ驚かしてみろよ」

 矢継ぎ早に貶してくる阿呆どもを無視して、俺は四元さんに話しかける。

「四元さん、特に君にとってはサプライズだよ」

「えっ?私?」

「どうぞ」

 アッキーを招じ入れる。

 アッキーは恐る恐る部室に入り、ぺこりと頭を下げた。全員ポカンとしている。

「我が部の新しいマネージャーです。さあ、自己紹介どうぞ」

「あ、秋澤瑞穂です。よろしくお願いします」

「あだ名はアッキーだから。というわけで、よろしく」

「陣、お前マジか……」

「大マジだ。なあ、アッキー?」

「はい」

「もし無理矢理連れて来られたなら、ちゃんと通報した方が、むがっぷ…」

 日野が気遣わしげに言ったので、俺はそばにあったテニスボールを日野の口に押し付けて黙らせた。

「ああぁ嬉しぃ。一人で詰まらないから辞めようと思ってたけど、こんなに可愛い後輩が入って来るなら続けるよ。マネージャーの四元唯奈です。よろしくね」

 さらりと爆弾発言をしながら、俺にはついぞ見せたことのない笑顔で四元さんはアッキーに挨拶する。

「はい。よろしくお願いします」

「アッキー、俺のことは覚えてる?」我門は遠慮がちに言う。

「はい。でも我門先輩がテニス部だというのは知らなかったです」

「ああ、ええって。こいつは一番適当にやってる奴やから。俺は木戸高道や、よろしくな」

「大場道夫です。マネージャーをやってくれるなんて有り難いよ。よろしく」

「日野正です。よろしくお願いします」

 つつがなく自己紹介が済んでしまい、俺は四人とともにすぐにコートに向かう羽目になった。今ひとつテニスに気が乗らないので、部室でアッキーの歓迎パーティをしたらどうかという提案をしたが、サプライズだったから何も準備してないという理由で持ちこされた。

「しっかし、よくこんな部のマネージャーをやろうなんて殊勝な子がおったな」

「俺の人望のなせる技さ」

「人望よりも今はテニスの技量が欲しいとこだね。県の団体戦も近いし」

「ここのところテニスをしていなかったから、もしかしたら逆に戻ったかもしれないぞ」

「そんなことがあったら、そっちこそサプライズだな」

「ほな、球出したるで」

 木戸が出した球に向け、俺は思い切りよくラケットを振り抜いた。

 ガシャ。

 見事なまでのフレームショットに、危うく涙腺が決壊しそうになった。

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