第17話 体育祭 ―第2ラウンド―
準備は整った。意気揚々と相模湾の浜辺に行くと、すでにあちこちにブルーシートが敷かれているのが月明かりで見える。俺たちを含め、四つのブロックが打ち上げの会場を海にしたようだ。俺はビニール袋を手にFブロックのシートを探して歩いた。姉さんと一緒に海まで来るつもりだったが、準備に手間取ったせいで傍らにいるのは我門である。
「しかし、また下らないこと考えたな、お前は」
「それじゃあ、やめるか?」
「まさか、俺も金出してんだぞ」
「またまた我門くんったらそんなこと言っちゃってぇ、実は自分が一番やりたいくせに」
「それはなきにしもあらずだが、打ち上げ前から気持ち悪くなるからやめろ、その陣子モード」
Fブロックのシートは浜辺に入ってすぐ左にあった。
「ちわーっす」
「お、来たね。最初に会費を徴収しちゃうよ。一人千円ね」
金を払うと、ブロ長は月の光を頼りにノートに徴収確認印を書きこんだ。三枚の大きいシートの上にはパンパンに膨らんだビニール袋が、ひと目で数えられないくらい置いてある。よくは分からないが、かなりの量だ。
「さてさて、どんなお酒がありますかな」
「確かにそれは気になるな」
俺と我門はブロ長が座っているシートに置いてあるビニール袋を覗き込んだ。やはり缶チューハイが大半であるが、ウィスキーや焼酎の瓶も垣間見える。
「どんだけ気が早いの、お二人さん」
不意に声がしたので振り返ると、詩織先輩と陽子先輩がいつの間にか後ろにいた。
「坂上くん、いつ面白いことしてくれるの?」
「そいつはお楽しみです。やはり自分はシャイなのでアルコールの力を借りないと。なあ我門」
「え、我門くんもやるの?」
「まあ、最終的には大勢でやることになりますよ」
「ええ、何それ?」
「まあまあ、まあまあ、後でのお楽しみです。それより宮野先輩は来てますか?」
「なっちゃんなら、向こうのシートにいるよ」
詩織先輩が指さした先を見ると、確かに姉さんが三年生の女子と思われる人と話している。
「お前、宮野先輩も巻き込むことになるけどいいのか?」
我門が小声で言う。
「姉さんは俺が命に代えてでも守る。いや、もちろん他の女の子たちも」
「そんじゃ、お前一度ホントに死んでこいよ」
我門は蠅を追い払うように手を振った。
〇
八時が近づくと急速に人数が増え出して、あっという間に六十人くらいの人数になった。石村や柿沢も来たせいで周りが俄かに男ばかりになる。そのことを詰っていると村口先輩がふいに声を上げた。
「はじめるぞー。酒を持てー」
ガサガサと袋を漁る音があちこちに響く。俺は詩織先輩から缶チューハイを受け取った。
「持ったかー?はじめるぞー、かんぱーい」
随分と雑な挨拶で打ち上げは始まった。
七夕以来二カ月ぶりの酒だ。ぐいぐい呷る。
「ああ、久しぶりの酒だ」
石村が顔をしかめる。
「あれ、お前弱かったっけ?」
我門がからかう。
「まあ、お酒は二十歳になってからと言うが、この背徳感が味わえるのは二十歳前だけだ。弱くてもじゃんじゃん飲め」
飲み終えたチューハイの缶を潰す。
「飛ばすね、坂上。空きっ腹に飲むと酔いが回りやすいらしいから」柿沢は近くにあったポップコーンの袋を開ける。「食いながら飲んだ方がいいよ」
石村はそのポップコーンをつまんでモシャモシャと食べ出した。
「しかしEブロックの肌色スパッツ集団はうけたな。最初全裸かと思ったぞ」
「あれって、ほとんど一年生だったらしいよ」
「マジか」
大原高校の自由な校風もこの先二年は安泰といったところか。
「一人、サッカー部の後輩だ」
石村は相変わらずポップコーンを食べながら言った。
「いるんだな、サッカー部にも阿呆が」
「まあ、石村も相当阿呆だからね。水の水曜日事件の時、水風船をぶつけた女子からボコスコに言われてたじゃん」
「おま……それを言うな」
石村はポップコーンを投げた。
「それでどうしたんだよ?」
「平謝りだよ。仕方ねぇだろ」
「はっはっはっはっは」
俺と我門が笑うと石村は再びポップコーンを投げてくる。
「くそ、俺もそん時練習行けばよかったな」
我門は笑いながら悔しがった。
しばらく話していると打ち上げの雰囲気に感染し、次第にテンションが上がってきた。
「うし」持っていた缶を飲み終えて立ち上がる。「お前らといると、阿呆が移りそうだから女の子と話してくるわ」
「むしろ、俺たちはお前から移された被害者なんだけどな」
「それなら、これ、持ってけよ」
我門が持ってきたビニール袋を差し出す。確かにこいつは失くすわけにはいかない。
俺はゆっくりと姉さんを探しながら賑やかなシートの間を歩いた。すると、不意に何かに躓いて転びそうになる。何とか体勢を立て直すと、誰か足を引っこめるのが見えた。
「あー、転ばなかったー」
「ちょっと有紀、何やってんの」
「すいません。大丈夫ですか?」
一緒に座っていた三人の中の一人が立ち上がる。堀川さんだ。「あ、坂上くん」
「なんだ、坂上くんだったの」
城崎さんが露骨に安堵した。
「城崎さん、それひどくない?」
「いや、そうじゃなくて先輩だったら大変じゃん。もう有紀が酔っ払っちゃって」
「酔って、ない」
原さんが叫ぶ。
「確かに酔ってるね」
「こら、坂上、酔ってないっつってんでしょ」
「うわっ」
原さんが紙コップに入れてあった液体をぶちまけたので、慌てて身をかわす。
「有紀、やめなって。坂上くん、その袋は何?」
城崎さんは原さんを抑えながら訊く。
「ああ、これは後でのお楽しみ。そんじゃ」
原さんが紙コップに二杯目を注いでいるのが見えた俺は、そそくさとその場を離れた。
最初にいたシートから一番離れたシートに姉さんはいた。しかも、何故だか知らないがお誂え向きに一人だ。俺は姉さんの隣に腰を下ろした。
「よろしければ、ご一緒させてください。お姉さま」
「構わなくてよ。幼馴染さん」
「ずっと一人でいたの?」
「由里ちゃんと飲んでたんだけど、ちょっとヤバいかもって言いいながら、どっか行っちゃった。介抱しようとしたんだけど必死に断るから」
「なにゆえブロ長は打ち上げで体調を崩してるの?」
「むっくんがいけない。無理矢理ウィスキーをストレートで飲ませるから。自分も飲んで苦しんでたけど」
「なるほど。姉さんもウィスキー飲んだ?」
「少しだけ」
「それじゃあ、もしかして結構酔ってたりする?」
「どうでしょうねー」
姉さんと呼んでも怒らないが、さして酔っているわけでもなさそうだ。
「安心して酔い潰れていいよ。俺が家まで抱っこでも負んぶでも肩車でもしてくから」
「はいはい。やらしい想像してないで飲んだ、飲んだ」
姉さんは置いてある缶を拾って俺の頬に押し付ける。受け取ると、すでに開いていた。まさか姉さんの飲みかけか。勢い込んで口に流し込むと喉に灼けるような感覚が走り、咽る。
「ぶほっ」
くそ、これウィスキーじゃねぇか……
「ちょっと、大丈夫?」
姉さんが背中を擦ってくれるので簡単に咳を治めるのは忍びない。そのままわざと咳き込み続けていたが「ん、どうしたの?」と言って姉さんは手を止める。
見上げると、女の子がもう一人の女の子に肩を貸して立っている。もたれかかった女の子の方はがっくり首を垂れて顔が見えない。
「いや、その、坂上先輩に用があるって言ってたんで、連れて来たんですけど」
首を垂れていた女の子が顔を上げた。
アッキーだった。
「先輩」
アッキーは大声で言いながら、俺の正面にしゃがみ込んだ。随分酔っ払っているようだ。
「私、テニス部のマネージャーやります」
「本当か、そいつは嬉しいね」
「どんなことでも頑張ります。だから、よろしくお願いします」
アッキーは宣言するように言った。このまま、『そうか。頑張ってくれ』と言ってお茶を濁すのは簡単だが、浅いロブが上がったらスマッシュを打たないのは少数派であるのと同じで、可愛い女の子が『どんなことでも頑張ります』と言ったらその決意のほどを確かめない男も少数派であろう。
「へえ、ホントにどんなことでも頑張れる?」
「はい、頑張ります」
「じゃあ、例えば」
「じーんちゃん」すかさず姉さんが言葉を挟む。「何しようとしているのかな?その手は?」
「別に何も」
とっさにアッキーに伸びようとしていた自分の両手をシートの上に戻す。
「陣ちゃん、気をつけないと本当に軽蔑するからね」
その時、大声を張り上げて村口先輩がやって来た。相手のブレークポイントで出るダブルフォルトくらいタイミングが悪い。
「へいへいへい、坂上、また何かやらかしたのか?」
「よっ、大原一の変態」
離れたシートから我門や石村たちが煽る。
「坂上くん、いつ面白いことやってくれるのー?」
詩織先輩と陽子先輩も声を張り上げる。
「坂上が面白いことをやってくれるってぇ」
全員が声を大にして言うのでやたらに注目を集める。半ば強制的な気がしたが、そろそろいい頃合いなのも確かだ。俺は計画を実行に移すことにした。
「Fブロックの皆さん。改めまして、坂上です」
やんやの歓声が上がる。
と思ったが、九割が野次だった。なので、その中の歓声を聞き分けるために俺は随分と耳を澄ました。
「自分はまだ今回の体育祭の結果に納得がいきません。何で我々のダンスが二位なのか」
そうだ、そうだ、という同調の声で、俺のテンションは五ポンド飛ばしくらいで上がる。
「なれば、我々がすることは何か。それはただ一つ。体育祭の第二ラウンドです」
声高に言い放ったため拍手が起こったが、皆の頭上には明らかに疑問符が浮かんでいる。
「それでは体育祭第二ラウンド開幕の狼煙をして、面白いことに代えさせて頂きます」
手もとのビニール袋からライターとロケット花火を取り出して、困惑するFブロックの面々の前で火をつけた。導火線が散らす火花でどよめきが走る中、俺は辺りに点在している他のブロックのシートの中から標的を吟味する。どのブロックもロケット花火で攻撃するのにちょうどよい距離を保っているのは偶然か。
「開戦じゃー」
俺は海に向かって右の、俺たちよりは大分波打ち際で打ち上げをしているブロックに向かってロケット花火を投げた。Fブロックからの悲鳴と驚愕と笑いを伴ってロケット花火は静かに夜空へ舞い上がり、最高点を過ぎてからシュバッという音を立てて狙ったシートのやや右に高速で落下した。
パン。やや遅れて炸裂音。さらに遅れて悲鳴が上がる。
「体育祭の第二ラウンド開始だ。かかってこいや」
俺はそのブロックに向かって叫んだ。
「不意打ちとは、ええ度胸やのぉ。今に見とれや」
木戸の声だ。するとAブロックか。
「ちょ、ちょっと、何やってるの」
姉さんは大分おろおろしていたが、少し口元が緩んでいるのを幼馴染の俺が見逃すはずはない。
「姉さんもこれ持って」
ライターとロケット花火の入った袋を数個、姉さんに渡す。
周りを見ると、投げられたAブロックと同じくらいFブロックも混乱している。しかし、村口先輩は目を輝かせて生き生きとしていた。さすが生粋の大原生である。
「坂上、俺にもくれ」
「どうぞ」俺は大分多めに村口先輩に渡した。「全員武器を持てー。すぐに仕返しが来るぞー」そのままFブロックのシートの駆けまわり、ライターとロケット花火を相手の困惑を無視して押し付けるように配っていく。
今、海で打ち上げをしている四ブロックにはどこにもテニス部の奴がいる。あらかじめ示し合わせてあるので、どこのブロックにも大量のロケット花火があるのだ。
見る間にシュバシュバと音を立てて三本の光芒が飛んで来、パパパンと炸裂する。
これでほとんど全員の覚悟が決まった。しっかりと台に据えて狙いを定める者、とにかく投げる者、「たーまやー、かーぎやー」と叫ぶ者、事態はあっという間に戦争なのかお祭りなのか分からない状況になった。
「自分らだけ高みの見物できると思うなよ」
俺は親切にも、残りのD・Gブロックにもロケット花火を投げ入れ、参加するきっかけを作ってあげた。
すると、すぐに待っていましたとばかりにお礼が三倍、四倍になって返ってくる。
四ブロックの爆撃が交錯し、炸裂するロケット花火で辺りは突如としてむやみに明るくなったが、眩し過ぎて結局何も見えない。周囲を取り巻く光の帯に幻想的な雰囲気はなく、感じるのは身の危険だけである。それでも飛び交う閃光に照らされて垣間見える顔が全て嬉々としているのは、やはり全員が阿呆だからだろう。ロケット花火の炸裂音のせいでほとんど途切れない耳鳴りの向こうには高笑いさえ聞こえる。
一分が一時間にも思えるほど濃密な時間の中で、そしてロケット花火が背中をかすめ、足元で爆ぜ、腕を擦る中で、俺は改めて思った。
なんて阿呆なんだ。そして、何かひどく懐かしい。
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