第36話

 最初に異状に気づいたのは、やはりプリーストだった。


(剣斗、ギル、私から離れるな! 来い!)

(どうしたんです!?)


 俺は慌てて腰を上げた。するとプリーストは

 

(メリナの元へ! 離れていては、全員は守りきれん!)


 何が何だか分からないまま、俺とギルはプリーストに追いつき、メリナたちの元へ駆けつけた。

 するとプリーストは一旦ひざまずき、両手を組んでから勢いよく腕を開いた。

 何があったのか理解するのに、数秒を要した。どうやらこれは、プリーストがバリアを展開したらしい。それも、先ほどよりも遥かに広大なものだ。


 半球体の淡い青のフィルターがかかると同時、


(全員……ここにいる全員を殺してやる!!)


 という強烈な思念が俺たちを襲った。キング・クランチの声だ。

 振り返ってその死体を見ると、黒い蠅の群れを成すかのように天井へ向かっていくところだった。そのまま天井に吸い込まれて――。


(来るぞ!!)


 プリーストが思念で叫ぶ。

 直後、強烈な雷光と電撃がバリアの頂点に直撃した。ガラガラと崩れていく、石造りの天井。


「うわっ!」


 俺は腕で頭を覆い、その場にしゃがみ込んだ。ギルも同じように頭部を守っている。

 恐る恐る見上げると、天井があった場所には真っ黒な空間が広がっていた。

 確かに作戦の遂行上、現在は夜中だ。しかし今俺たちの頭上にあるのは、空気ではなく夜空でもない。


(あれがキング・クランチの本当の姿だ)


 プリーストも、まるで目を奪われたかのように頭上を見上げている。どうやら気体とも液体ともつかない姿で、キングはこのホールの外側を覆っているらしい。残念だが、自動小銃の射程外だ。

 皆が頭上を見上げる中、


(死ねえええええええ!!)


 キングはその真っ黒な姿から――俺には黒くはためくマントのように見えた――、太陽のような光球を降らせ始めた。

 バリアに当たった光球が弾かれ、四散する。しかし徐々に、バリアに亀裂が入り始めた。このままでは……。


(皆、聞け!!)


 俺はプリーストの方へ振り返り、


「プリースト!!」


 思わず声を上げた。プリーストは、身体の節々から出血していたのだ。石床に吸い込まれるように、赤い筋が滴っていく。それだけバリアの展開が、彼の身体に負荷をかけていたということだろう。


(私がキングと同じ姿で奴を押さえつける! 私の敗北が決するまで、メリナを守り通せ!!)

(何をおっしゃっているんです、プリースト!?)


 真っ先に異議を申し立てたのはギルだ。


(これだけの力を振るっているキングを『取り込む』など、自殺行為です!!)


 取り込む? どういう意味だ?


(私がキングを一瞬でも取り込めれば、そのままブラックホールに突入できる! 私とてかつての『宇宙覇者』の右腕だ、そう簡単にやられはせん! この命、今までキングの参謀だった私が背負うにしては軽すぎる罰だ。せめて少しでもいい、贖罪をさせてくれ!!)

(プリースト!!)


 ギルがその肩に手をかける間もなかった。プリーストはバリアを残したまま、自分だけは瞬間移動と見紛う勢いで飛び出した。そしてバリアの外に出た瞬間、今度は真っ赤な空間が広がった。プリーストの変身した姿だ。

 それが展開した瞬間、この古城らしき場所の壁が一気に崩れ去った。俺たちの及びもつかない戦いが、自分たちの頭上で行われている。

 そして、ジリジリと赤い空間が黒い空間を巻き込み、ゆっくりと下降し始めた。


 固唾を飲んで見つめる俺たち。あまりに現実離れした光景に、身動きできなくなってしまったのだ。

 そんな俺たちを現実に引き戻したのは、足元をすくうように流れてきた空気だった。


「メリナ!!」


 ギルが駆け寄った。メリナは顔を真っ赤にして、肩で息をしている。そしてその背後には、巻貝のように捻じれた円錐が銀色の球体に映しだされていた。風はそこから、俺たちを押し退けるように吹いてくる。

 

 球体に触れたり入ったりしなければ、その中に何があろうが影響を受ける恐れはない。でなければ、キングよりも先に俺たちがブラックホールに吸い込まれていたはずだ。


(プリースト、今です!!)


 メリナが叫ぶ。

 頭上では、赤と黒がぐちゃぐちゃに入り乱れている。そんな中、赤い部分が黒い部分を引っ張るようにして下りてきた。しかし黒い部分も下降を拒むようにうごめいている。実にグロテスクな光景だった。

 そこまでしてプリーストは、キングを葬ろうとしている。


 そんな赤と黒の空間に向かい、銀色の球体がふわり、と浮かび上がった。赤い空間が、ここぞとばかりに黒い空間を引きずり込む。もはや混然一体となった空間は、凄まじい風圧と逆風を起こしながら、球体に吸い込まれ――消えた。


 何事もなかったかのように、球体はゆっくりと下りてきた。どんどん小さくなって、時空の穴が封じられていく。


「やった……のか?」


 俺の呟きに首肯するメリナ。


「うん。そうみた……い……」


 すると、魔術力を使い果たしたのか、メリナはその場でふらりと倒れ込んだ。


「メリナっ!!」


 俺は慌ててメリナを抱きとめた。ギルも急いでやって来る。


「ごめんね、剣斗、こんなことに巻き込んじゃって……」

「今そんな話をしてる場合か!!」


 咄嗟にメリナの手首を取る。すると、脈がどんどん弱まっていくのが感じられた。


「誰か治癒魔術をかけてくれ!! メリナが死にかけてる!!」


 俺は唾を飛ばしながら怒鳴った。やっと我に返ったのか、数人の魔術師が駆けてきてメリナを床に横たわらせた。両手をメリナに向けて、呪文を唱え始める。


「メリナ、しっかりしてくれよ……!」


 と、その時だった。

 米粒大にまで収縮していたはずの球体が、いきなり拡大した。そこから出てきたのは、一本のか細い腕だった。


「うっ!?」


 完全に油断していた俺の足首に、関節のない腕がするりと巻きついた。


(せめて一人でも道連れにしてやる……!)


 拳銃を取り出す間もなかった。ギルが駆け寄りながら抜刀して斬りかかるも、キングの腕は勢いよくしなり、ギルを弾き飛ばした。俺もまた、石床に叩きつけられる。攻撃魔術を有する者は、ここにはもういない。

 ここまでか。俺一人が余計に犠牲となることで、事態が済むのならそれでいい。そんな諦念を抱いた、直後のことだった。


 一本の、生身の人間の腕がキングの腕を掴み込んだ。その腕には魔術が込められており、紫色に光っている。

 はっとして視線を向けると、


「真治!!」


 床を這ってきたのだろう、真治がキングの腕にしがみついている。両足は失われ、しかし残った腕でキングの動きを妨害している。


(真治、貴様ッ!!)


 キングにもこちらの様子が察せられたらしい。さらに勢いよく腕をしならせようとする。しかしその直前、真治はキングの腕に思いっきり噛みついた。

 すると、キングの腕がねじれて食いちぎられ、黒い液体が噴出した。

 その隙に俺は拳銃を構え、キングの傷口と思われる箇所に、


「くたばれえええええええ!!」


 絶叫しながら引き金を引きまくった。

 すると、俺の足を締めつけていた力が急激に緩んだ。その直後、キングの腕は先端から黒い灰になって崩れ去り、残りの部分は勢いよく銀色の球体に吸い込まれて――消えた。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 俺は息を切らしながら、拳銃の弾倉を交換した。反射的な所作だ。しかし、今度こそ球体は閉じられた。聞こえてくるのは、自分の荒い息遣いだけ。

 そのままごろりと身体を反転させ、


「真治! 真治!」


 呼びかけながら彼の元へと匍匐前進した。かつての親友の元へと。


「こいつは味方だ! 誰か、誰か治癒魔術を伸介に……!」


 そう叫んだ俺の肩に、真治は手を載せた。ゆっくりと首を左右に振る。

 最早声も出せないのだろう。しかし、真治の言わんとすることは分かった。

 

 ――死ぬ時くらい、静かにしてはくれないか、と。そして、済まなかった、と。

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