第34話

 刀は鞭を二、三本と、真治の胴体を一刀両断した。

 防弾ベストなど何の意味も持たない。あまりの斬れ味に、血飛沫を浴びる間もなく俺は真治のそばを通り過ぎた。慌てて振り返り、真治の姿を視界に捉える。

 真治は、その上半身がこちら側に倒れ込むところだった。下半身は膝をつき、上半身との境目からは勢いよく真っ赤な血と臓物が溢れ出している。

 こちら側に倒れた真治の顔には、そんな馬鹿な、という驚愕の表情が浮かんでいた。ようやく感情的な顔つきをしたな、と俺は思った。


 だが、瀕死の状態とはいえ真治はまだ生きていた。だんだんと、この石造りのホールに漂う殺気が薄まっていく。俺は自分のコンバットスーツの隙間から、一枚の封筒を取り出した。


「悪いな真治。本当なら俺みたいな代理人じゃなくて、本人が手渡すべきだったんだろうが……」


 俺は戦闘でぐしゃぐしゃになった封筒を、真治の顔の前にかざしてやった。そこには、女の子らしい丸文字で『新山真治様へ』と書かれている。

 誰からなのかは言うまでもなかった。真治は目を見開き、そこに微かな光が生まれた。


「この前、偽メリナが若菜を殺した時に、若菜はこれを握っていたんだ」


 真治は陸に上がった魚のようにパクパクと口を動かす。だが、それは決して滑稽な所作ではなかった。


「読んで聞かせてやる。お前は静かにしてろ」


 俺はそっと封を切り、ゆっくりと手紙を開いた。

 真治の命がいつなくなるのかは分からない。治癒魔術で治るかもしれないし、このままあっさり死んでしまうかもしれない。

 だったらせめて、鎮魂歌の代わりにこの手紙の内容を知ってほしい。

 親友が生死の境をさまよう前で、俺は切にそれを願った。

 一度静かに深呼吸をし、文面に視線を落とそうとした――その時だった。


 ゴゴッ、とこのホール全体が揺れた。微かに砂塵が降ってくる。

 それとほぼ同時に、


「とあっ!」

「うおっ!」

「はっ!」


 キング・クランチ討伐部隊の面々が、天井から落ちてきた。何とか皆が受け身を取り、落下の衝撃に耐える。

 そして見た。天井には、空間移動魔術の込められた円がぽっかりと空いていたのだ。

 すると、砂塵の中から真っ先に赤紫の甲冑が立ち上がった。


「剣斗! 剣斗、無事なら答えろ!」

「ああ、大丈夫だ!」


 ギルは振り返り、俺の姿を認めたようだ。


「全く、どうしたのかと思ったぞ」


 安堵の色を隠せないでいるギルに、俺は尋ねた。


「皆、どうしたんだ? いやそもそも俺自身、どうしてこんなところにいるのか……」

「質問は後だ」


 そう言って、ギルはメリナが座らされている椅子に駆け寄った。


「あっ、ギル!」

「怪我はありませんか、メリナ?」

「大丈夫! 剣斗が真治を倒してくれたから……」


 と言いかけて、ふっとメリナは口元をすぼめた。


「ごめんね、剣斗。真治は剣斗の友達、なんだよね」

「んっ……」


 俺は俯きそうになる自らを叱咤し、


「で、でも寝返った奴だ! 敵なら倒しちまうしかないだろう?」


 メリナは複雑な顔をして、『そうかもしれないけど……』と呟いた。


「あなたには、友達を殺すなんて体験はしてほしくなかった。悲しんでほしくなかったんだよ。でも、私があなたを『この宇宙』に連れ出したばっかりに……」

「それは違うよ、メリナ」


 俺は膝を折ってメリナと視線を合わせた。メリナの両肩に手を載せる。

 しかし、何がどう違うのか、自分でも分からなかった。


「まあ、なんだ。俺は『元いた宇宙』では人殺しの爪はじき者だったんだ。やることは『どこの宇宙』にいても変わらなかったさ」


 俺はぎゅっとメリナの細い肩を握り締めた。

 するとメリナは、キッと顔を上げた。その瞳は真っ赤で、涙を溢れんばかりに湛えている。


「メリナ、どうし――」

「そんなこと言わないでよ!!」


 突然の叫び声に、その場の全員がこちらを見た。


「自分が人殺しだからって、友達を平気で殺せるっていうの!? そんな酷いこと言わないで!!」


 その言葉に、俺は自分の感情の蓋が弾け飛ぶのを感じた。


「誰が平気なもんかよ!!」


 今度はメリナが目を丸くして、俺を見つめた。


「俺は両親を喪ってから、ずっとその記憶から逃げ続けてきた。あんまりにも酷い現実だったからだ。でも真治は違う。その現実を、たった一人で受け止めようとしていたんだ。そんな奴をどうして俺が平気で殺せるっていうんだ? そもそも俺よりも先に真治を『この宇宙』に招いたのはお前らなんだろう? お前らがちゃんと真治を説得していれば、こんなことにはならなかった! 真治は俺に殺されずに済んだかもしれないんだ!!」

「もう止めろ、剣斗」


 重い声が響き渡った。それはギルの声だったが、それにしてはあまりにも痛々しく、心にじわりと染み込んできた。


「死んだ人間は生き返らない。それに、どうせ責めるなら私に罪を押しつけろ。あのタイミングで日本刀をお前に渡したのは、私の独断だからな」


 続けて、ギルは説明を施してくれた。

 俺がこのホールに引きずり込まれたこと。

 プリーストがその形跡から、俺の居場所を発見したこと。

 空間移動魔術を使って、日本刀をギルから俺に渡せるようにしてくれたこと。


「ようやく人間が通れる程度に空間を広げられたのは、ついさっきのことだ。もう戦闘は終わっていたようだが」

「なあギル……」


 俺は立ち上がり、しかし目線は下げたままで尋ねた。


「真治に治癒魔術を施してやってくれないか。あいつはもう敵じゃない。なんとか救ってやりたいんだ」

「それはできない。どんな魔術も、無限に使えるわけではない。キング・クランチとの戦いに備えて、魔術力は温存すべきだ」


 ギルの口調に、同情の余地は含まれていなかった。ただギルが本心を押し隠そうとしていただけかもしれないが。 


(ギルの言う通りだ、剣斗)


 脳内に声が響き渡る。するとプリーストが、天井に空いた穴から降りてくるところだった。ふわりとマントがはためき、軽い屈伸を行うようにして床に足をつける。


(キング・クランチがどれほどの被害を『多くの宇宙』にもたらしてきたかを考えれば、奴の手駒は少しでも減らしておかねばならない)

「真治は手駒じゃない!!」


 俺は声を張り上げた。


「真治は俺の友人で、若菜の幼馴染で、かけがえのない人間だったんだ!! それを俺は……。俺はッ!!」


 俺は自分の背筋がぞっとするのを感じた。真治を斬った時の自分の感情――なんと無慈悲であったことか。だが、こちらが相手を殺さなければ、俺が殺されていた。

 そう思って、俺は今までの任務の数々に伴う罪悪感や自己嫌悪感を封印してきたのだ。今さらどうこう言える立場ではない。


(忍耐というものを覚えたな、剣斗)


 プリーストが心に語りかける。


(人間は戦って自分の居場所を勝ち取っていく生き物だ。どんな動植物でもそうかもしれないが、人間はとりわけその心の動きが複雑極まりない。たとえ今日の友人であったとしても、明日には敵になっているかもしれん。『この宇宙』でも『どの宇宙』でも変わらない、一つの真理だ)

(真理……)

(お前は若い。だが、武人であることに変わりはない。それを胸に刻んでおけ)


 俺はがっくりと肩を落とし、ひざまずきそうになった。そうしなかったのは、ひとえにプリーストの言葉が本当のことだと思えたからだ。


 そんな俺の横で、要領よくメリナが声を上げた。


「真治が剣斗を拉致して戦った、ってことは、私たちの居場所はもうキングにはバレてるんだよね? だったら早く、ここからキングの現在位置まで空間移動を」


 と言いかけた、その時だった。


「その必要はないよ」


 すると、俺の視線の先に球体が現れた。空間移動に伴う球体だ。

 そしてこの声変わり前の少年のような、中性的な声は間違いなく――。


(総員、戦闘用意!!)


 全員の殺気が、その球体の向こうにいる『奴』、キング・クランチへと向けられた。

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