第31話

 取り敢えず俺は時間稼ぎのため、ギルの甲冑を軽く押し返した。


「い、今は会議中だから……。後でメリナの屋敷で話そう? な?」


 するとギルは素直に頷き、会議場の外側の方へと段差を上って行った。

 それから俺たちは、少数精鋭部隊の編制について話し合った。敵の手駒が少ない状態である以上、下手に大軍を動かすと無益な犠牲者が出る公算が高くなる。人数はせいぜい十人といったところだろう。

 基本は立候補制で、ほとんどの者が手を挙げた。それからは魔術力の高さ、現在までの実績などを加味し、人数が絞り込まれていった。

 結局、十人のメンバー選抜が終わったのは日付が変わる頃だった。


         ※


「傷の具合はもういいのか?」

「ああ」


 心配して声をかけた俺に、ギルは素っ気なく答えた。

 ちょうど伝令役の車に屋敷まで運んでもらい、暖炉のあるダイニングでの会話だ。


「一応、俺もギルも選ばれたよな。本当に大丈夫か?」

「大丈夫だと言っているだろう?」


 微かに苛立ちを含ませて、ギルは答えた。甲冑は既に脱いでおり、その横顔は暖炉の火に暖かく照らされている。

 確かにギルの選抜時には一悶着あった。あれほどの重傷を負いながらキング・クランチの前に立つのは、あまりにも危険ではないかと。

 だが、ギルは一歩も退こうとしなかった。

 自分が今までずっとメリナを守ってきた。自分がそばにいれば、メリナも安心して呪文の詠唱ができる、と。プリーストが止めようとしなかったのも、ギルの背中を押した。

 俺、ギル、それにプリースト。後の七人は、攻撃・治癒・幻惑といった魔術の使い手たちが選ばれた。後方支援には、魔方陣を移動させる能力のある者、遠距離を見通すことのできる者たちが就いた。

 攻撃開始は、今日の午後八時。残り十五時間といったところか。

 できれば今のうちから休みたかった。しかし会議場での一件もあり、ギルの調子につき合ってやることにしていた。


 が、それもこのあたりで止めておいた方がいいだろう。

 俺はあからさまに時計を見つめながら、


「俺はもう休む」


 すると、はっとしたようにギルは俺の方を見た。


「剣斗……」

「何だ? 武器の整備もあるから、あんまりぼやぼやしていられないぞ」


 俺はさり気なくギルから距離を取ろうとした。ギルもまた、俺に好意を寄せてくれているらしいことは分かっている。否、分かってしまった。だからこそ、下手に近づくべきではないと思ったのだ。

 雑念が入らないように。俺とギルが、互いに冷静さを保ち続けるために。


 俺は黙り込んでしまったギルの前で、大きく肩を竦めてみせた。


「じゃあな」


 背を向けながら片手を挙げて廊下に歩み出る。その時だった。

 ガタン、という椅子が倒れる音がして、ギルが足早に迫って来て、俺が振り返る間もなくて、そして――抱きしめられた。


「ッ……!」

「私だって怖いんだ!」


 否応なしに背に当てられる柔らかい感触に、俺は焦った。


「ちょ、ギル……?」


 ギルの両手が、俺の肩に回される。


「キングに甲冑を割られた時、私はここで死ぬんだと思った。もう私の居場所なんてないんだと思った。けど、まだ死にたくなかった。だって『この宇宙』には剣斗がいるんだもの!」

「な、何言ってんだ、お前……?」


 ギルは俺の首をごくごく軽く絞めるようにして、腕を回した。その瞬間、俺は過去に告げられた『ある言葉』を思い出した。


『あなたの居場所はここにあるのよ』


 もう一度、頭の中で繰り返す。


『あなたの居場所はここにあるのよ』


 それは、両親を喪ってから初めて施設に入った時、担任の先生がかけてくれた言葉だ。

 結局のところ『俺がいた宇宙』に俺の居場所はなかった。何故なら、俺は自分を窮地に追い込むような状況でなければ自分を維持できなかったからだ。さもなければ、両親のことを思い出してしまう。それを防ぐには、『そんな生き方』をするしかなかった。

 代わりに、初めてメリナやギルと出会った夜のことを思い出す。二人の必死な姿に、俺の心が突き動かされたのは事実だ。それは『自分が必要とされている』『捨て駒ではない』ことを立証するのに十分足りるものだった。

 しかも現に、俺は『元いた宇宙』で味方のヘリから銃撃を受けている。

 メリナを殺そうとするのが命令であれば仕方がない。だが、その場には俺もいたのだ。にも関わらず、銃撃には何の躊躇いもなかった。ギルがいなければ、メリナはもちろん俺までもが木端微塵にされていたはずなのだ。


『俺が生きていくための戦場は、ここではなかった』


 そんな気持ちが、俺の心にわだかまっていたようだ。

 残念ながら、施設の担任の先生の言葉は、ヘリの二十ミリバルカン砲の前に散り散りになってしまった。

 そのまま俺の捻じれた人生もバラバラにしてくれればよかったのに。

 そんな思いが脳裏を走る。だが、その思いはすぐに霧散した。自分は必要とされているのだ。『この宇宙』で。メリナやギルのために。


 気がつくと、ギルは涙を流していた。俺の肩に後ろから顔を押しつけ、声もなく、鼻をすすることもなく。

 俺はそっと、ギルの頭に手を載せた。そして、本心を語らねばならないと思った。


「ギル。俺、お前の気持ちが分かったような気がするよ」


 微かにギルは首を傾ける。


「ありがとう。俺をこの世界に導いてくれて。でも、俺には守りたい人間がいるんだ。その……お前よりも」


 するとギルは、そんなことは端から分かっていた、とでも言いたげに何度か頷いた。


「私だって……」

「うん」


 少し、ほんの少しだけしゃくり上げたギルに相槌を打って、俺は続きを促した。


「私にだって、守りたい人がいる。私の窮地を救ってくれた、『宇宙間転移魔術』の使い手だ」


 ギルの窮地を救った魔術師。それは明らかにメリナのことだ。でなければ、こんなにプライドの高いギルがメリナに敬語を使う理由が見当たらない。


「少し、私の話も聞いてもらえるか? 剣斗」

「もちろんだ」


 俺から身を引いたギルに振り返り、俺はしっかりと頷いた。


 俺たちはその場で話すことにした。というのも、ギルがダイニングにまで戻ろうとしなかったからだ。俺も特に違和感は覚えなかった。むしろ、立ち話でしか出てこない話題というのもあるのだと、改めて認識できたくらいだ。

 

 ギルが話してくれたところによれば――。


         ※


「どうして? 何故兄さんが行かなければならないのですか?」

「すまないな、ギル」


 兄の温かな、大きな掌が頭に載せられる。その背後には、『別な宇宙』――『今俺たちがいる宇宙』――へと繋がる転移用の球体が広がっている。そばに立っているのはメリナではなく、メリナの前任者にあたる老婆風の魔術師だった。

 兄は、雲のない空のように磨き上げられた甲冑を着込んでいた。兜をわきに挟んでいる。左腰には一本の日本刀と槍を差している。当時のギルと比べると、兄は膝を折ってようやく視線を合わせられるくらいだった。そんな幼いギルに、兄の思考は理解できなかった。

 他の人に任せられないのか? キング・クランチなど見たこともないのに? そんな敵に対して、それも赤の他人のために戦うことに、一体何の意味があるというのか?


「……」

「どうした、ギル?」

「行かないで」

「僕は行かなくちゃ。何度も言って聞かせただろう?」


 兄の声や掌は、一片の苛立ちも感じさせなかった。悲壮感さえも。


「戦士シャンティス、そろそろ時間だ」


 老婆が淡々と告げた。


「はい」


 短く、しかし力強く答えた兄は、立ち上がって背を向けた。

 それが、ギルが目にした最後の兄の姿だった。

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