第27話

 数秒の後、白い魔方陣が地面を滑るようにやって来た。

 通常の円形の魔方陣。しかし、同心円状に幾重にも描かれたそれは、今まで見た中で最も精緻な作りをしていた。円と円の間を、楔形文字のような記号がぐるぐると回転している。

 俺はその中心に、若菜を仰向けに寝かせた。

 すると、魔方陣の光が若菜の身体を包み込んだ。徐々に出血の勢いが滞っていく。しかし、それは単に、噴き出すだけの血液が若菜の身体に残っていないのでは、とも思われた。


(トプラ、まだ出血が止まらない! もう少しどうにかならないのか!?)

(……)

(トプラ? 何をしてるんだ?)


 俺は慌てて後方、会議場のある方面を見遣った。と同時に、ぞっとするような予感が背筋を駆け抜けた。


「まさか……!」


(プリースト、敵に防衛線を突破された可能性があります!)

(何だと? そんな馬鹿な!)


 プリーストも動揺を隠しきれていない。


(敵は大方駆逐した! ここは突破されていない!)

(違うんです! トプラが治癒魔術を魔方陣に込めて送ってきました。もしかしたら、それでトプラの居場所がばれたのでは?)


 はっと息を飲む気配が、プリーストの思念に混じった。


(トプラのそばにはメリナがいる! 何とか追いつけるか?)

(相手は瞬間移動を使って来ます!)

(霧状に姿をくらませるのか?)

(違います!)


 自分の説明力不足が歯がゆい。


(ではどうなのだ?)

(その……。俺がメリナに連れてこられたような球体が現れて、敵は真治を連れてどこかへ消えました!)


 トプラの魔術が逆探知されたこと。

 トプラのそばにメリナがいること。

 メリナの護衛には必要最低限の戦力しか配されていないこと。


 メリナの能力を欲しているキング・クランチが、この機を逃すだろうか?

 それはすなわち、キングによるメリナの拉致を意味している。トプラの身も危ない。


 そして俺は、唐突に察した。あの偽メリナこそ、キング・クランチ本人だったのではあるまいか。


(プリースト、若菜を頼みます! ギル、聞こえてるか?)

(ああ! 私と剣斗で、急いでメリナの元へ!)

(了解だ、ギル!)


 プリーストは無言。俺とギルの覚悟のほどを感じ取ってくれたのだろう。


「剣斗―――!」


 ギルの声と共に、ユニコーンが視界に入って来た。ギルは自分の鞍の後ろを叩き、


「乗れ!」


 と一言。

 馬に乗ったことのない俺だが、不思議と身体はふわりと宙を舞い、綺麗にギルの背後に収まった。


「行くぞ!」


 声を張り上げるギル。

 今さらながらではあるが、


「相手はテレポーテションを使える! 追いつけるのか!?」

「だったら剣斗は、時間稼ぎをしている味方を裏切るのか!?」


 そうだ。会議場での戦況は分からない。

 真治は負傷しているから参戦しないとしても、キングが相手となるだけで皆薙ぎ払われてしまうのではないだろうか。

 プリーストは、『今の自分では真治と刺し違えるのが精々』だと言っていた。とすれば、それより強力なキングの力量は測り知れないものがある。


 十分後。

 俺たちはようやく会議場を視界に捉えた。いや、『ようやく』という表現は語弊がある。

 ユニコーンは、通常の馬どころか自動車以上の速度ではるばるやって来たのだ。時速六十キロはくだらないだろう。よくこんな馬を操れるものだと、俺はギルのことを思った。そしてそんな彼女にしがみついていられた自分も凄い、とも。

 しかし、そんな雑念は一瞬にして吹き飛んだ。


「遅かったか!」


 ギルがユニコーンに鞭をくれながら呟く。

 会議場はもちろん、防御結界が張られていた。しかし、一旦場所を知られてしまっている以上、結界の『強度』が問題となる。どれほどの攻撃に耐えられるのか。

 そんな状況下で、会議場からは黒々とした煙が上がっていた。


 俺たちはトラップを警戒しつつ、会議場へと近づいた。元々非常口になっていた扉は、周囲の壁ごと消し飛んでいる。俺の得物は拳銃一丁。ギルの得物は斧と日本刀だ。斧を投げて牽制し、そのまま日本刀で斬りかかろうという狙いらしい。


 すると、


「煙が邪魔だよね? 待って、今消しちゃうから」


 幼い子供のような声。間違いない、キング・クランチだ。俺とギルはそれぞれ得物を構えたが、前方を窺えない以上、下手な手出しはできない。

 キングの宣言通り、煙はあっという間に晴れていった。そこに展開された光景は、


「メリナ!!」


 ギルが叫ぶ。そこには、メリナがいた。苦しげな表情だ。そしてすぐ後ろで、彼女の首に腕をかけているのは、


「思ったより早かったね。さすが、ユニコーンを使っただけのことはある」

「メリナを離せ!」

「そう噛みついてこないでくれよ。僕は今、なかなか愉快な気分なんだ。あまり害されたくはないね」


 そう言って、メリナの影から一人の『少年』が現れた。

 髪や瞳は黒く、日系人のそれを思わせる。しかし顔の彫りは深い。背の高さはせいぜいメリナと同じくらいか。そんな小柄な体躯には似合わない、しかし風格ある真っ黒なマントを広げている。よく見れば、今俺が着ているのとそっくりなコンバットスーツを着用している。


「どうだい、石崎くん。似合うかな? 『君のいた宇宙』の防御服を、『この宇宙』の技術で作ってみたんだけれど――」


 そこで、俺はすかさず銃撃した。スーツの影響の及ばない、キングの頭部に向かって。

 もちろん、メリナの頭部を避けて発砲した。しかしその計三発の弾丸は、呆気なく弾かれた。

 キングの奴、自分自身に防御結界を展開していやがる……!


「おやおや、君の方がギルさんよりもよっぽど冷静だと思ったのだけれど……。そうでもなかったみたいだね」

「それはお前もだろう、キング・クランチ?」


 俺はわざと余裕を装って見せた。肩を大きく竦め、


「いくら敵だからって、こんな殺し方は不条理だと思わないか?」


 改めて辺りを見回してみせる。そこは、血の海になっていた。魔術ではなく、物理攻撃によるものだ。ところどころに、メリナの護衛を任されていた者たちの肉片が浮いているように見える。


「これじゃあ埋葬の仕様がないだろう? 少しは相手の身にもなってくれよ」


 するとキングは、ははっ、と乾いた笑い声を上げ、


「それが突然僕に発砲した人間の言葉かい?」

「生憎、その通りだ。俺はお前を殺したい。今すぐメリナを離せ」

「生憎、だって? それはこちらの台詞だよ。だって君の弾丸では、僕を傷つけることはできないじゃないか? この結界で――」


 とキングが言いかけた瞬間、


「だったら結界を破るだけのことだ!!」


 ギルが勢いよく斧を投げつけた。俺の弾丸が食い込んでいるところへ。

 すると、僅かに押されたのか、結界にひびが入った。

 タイミングを計ったかのように、メリナは速攻で呪文を詠唱してキングの腕から抜け出した。


「おっと!」

「そこまでだ、キング・クランチ!!」


 ギルは一気に駆け出した。刺突するつもりだ。

 メリナという盾を失い、結界の効力も破られかけているキングからすれば、まさに絶体絶命だろう。しかし、


 キィン、という澄んだ音が会議場の全体に響き渡った。


「落ち着きなよ、ギルさん」

「ぐっ……!」


 キングは自らの大剣で、ギルの刀の切っ先を受け止めていた。


 力が拮抗したのは、ほんの僅かな時間だった。


「ふっ!」

「うあ!?」


 大剣が振るわれ、ギルの愛刀が吹き飛ばされる。ギルはバク転して距離を取り、二本目の刀に手を伸ばした。しかし、


「遅いね」

「!?」


 驚いたのはギルだけではない。俺もだ。

 まさにテレポーテーションを短距離で行ったかのように、キングはギルの懐へ飛び込んでいた。


「ギルッ!!」


 俺が叫んだ時には、右肩から左腰にバッサリと斬られたギルが倒れ込んでいた。

 俺はすかさず発砲したが、やはり射撃武器では防御結界を破れない。


「本当は友達になりたかったけど……。残念だよ、石崎剣斗くん」


 そう言って、キングは瞬間移動と見まごう速度で俺に接近。


「じゃね」


 と言って俺をぶった斬ろうとした、まさにその瞬間だった。

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