第26話

 そう思い、しかしせめて一矢報いようと手榴弾に手を伸ばしかけたその時、


「待って真治!」


 俺ははっとして屋上出入り口の方を見遣った。


「来るな若菜!」


 しかし、


「わか……な……?」


 真治は呆然としてそこに立ち尽くした。俺は拳銃をホルスターから引き抜いたが、真治は鞭状の腕を元に戻している。そんな真治を撃つ気にはなれなかった。


「そう、あたしだよ真治!」

「馬鹿な!!」


 真治は我に返ったように、怒号を飛ばした。


「三木若菜は殺された! メリナ・ユニヴァが俺の目の前で、彼女の首を斬り飛ばしたんだ!」

「違うよ、真治!!」


 ぴしゃりと真治の言葉を絶つ若菜。


「メリナにそんな残酷なこと、できないよ!」

「じゃあ誰がやったんだ? 誰が若菜を殺しやがった!?」

「キング・クランチよ!」

「そんな妄言は聞き飽きた!」


 すると真治は、こちらを見もせずに魔弾を俺に向かって連射。俺は拳銃を取り落としつつ、さらにしゃがみ込みながら盾でガードする。俺の頭上を通過していく魔弾。弾速は、秒速三発といったところか。真治の魔術攻撃の腕は上がっている。

 そんなことを思う間に、真治の右腕は再び鞭状の形態を取った。


「よせ! 彼女は関係ない!」


 俺がそう言い終える間もなく、鞭は若菜の首に巻きついた。

 戦闘スキルのない若菜に防御する術があるはずもなく、その身体はゆっくりと持ち上げられた。


「しん……じ……」

「真治、忘れたのか!?」


 俺は盾を左腕に装備しながら、


「五年前の冬、俺たちの『元いた宇宙』でのことだ!」

「それがどうしたッ!」


 真治は再度魔弾を放ってきたが、俺はそれを軽く弾き飛ばした。


「休暇中に、お前が若菜と雪山登りをしていた時のことだ。お前が滑落して、助けを呼びに行ってくれたのは若菜だろう? お前は命の恩人を殺す気か!?」


 何とか鞭を引き剥がそうと、もがく若菜。だが、真治は驚きのためか、注意を向けるのが散漫になっている。


「お前、どうしてそれを……!」

「若菜が話してくれたからに決まっているだろう!? その若菜なんだよ、今お前が手にかけようとしているのは!」


 真治はぶんぶんと首を振った。


「あり得ない……。そんな馬鹿なこと、あり得ない! 若菜は殺されたんだ、何度も言ってるだろう!」

「違う! それは元々『この宇宙』にいた、全くの別人だ!」


 別人だからといって殺されていいということにはなるまい。だが、今は真治の暴走を止めなければ。


「それにな、真治。今のお前なら分かるだろう? キング・クランチにとって、幻覚を見せえることくらい造作もないんだ。若菜を殺したように見せかけたのはキングだ。メリナ――俺たちの味方のメリナ・ユニヴァじゃない! 恨むならキングを恨め!」

「うるせえんだよ、さっきからグダグダと!」


 すると、鞭が若菜の首から外された。代わって、俺に向かって振りかぶられる。はっとして俺は盾を構えたが、頭を下げるのが遅かった。


「がッ!!」


 今度は俺が、首を締め上げられる番だった。そのままあっさりと持ち上げられた俺は、背後の貯水タンクに叩きつけられた。


「なら俺はこの若菜――本物の若菜を守る! 俺が守るんだ! 邪魔する奴は皆殺しにしてやる! まずはお前から――」


 俺も味方だ、と伝えたかったが、今の真治は混乱している。どの若菜が本物で誰が幻覚なのか、分からなくなっているようだ。とても『一緒に若菜を守ろう』と提案できる状況ではなかった。

 そこまで俺の思考が回ったその時、ミシリ、と俺の背後で音がした。その直後、


「うっ!?」


 俺は凄まじい水流に飲み込まれた。貯水タンクに亀裂が入り、水が流出したのだ。

 その流れは瞬く間に屋上に広がり、真治の足元を浚った。前のめりに倒れ込む真治。

 その隙に俺は鞭を振り払い、真治の方へと牽制射撃をした。しかし真治もさるもので、魔弾でこちらの実弾を弾いた。俺と真治の間で、勢いよく火花が舞い散る。


 その時、俺は我が目と耳を疑った。驚きのあまり立ち尽くす若菜に向かい、


「若菜、伏せろ!」


 真治がそう叫んだのだ。その隙、というかタイミングの悪さ故に、俺の弾丸は真治の左肩をえぐった。しかし、魔術で痛覚を遮断したのか、何事もなかったかのように真治は若菜の方へ駆け出した。

 きっと真治は、今ここにいる若菜が本物だと判断したのだろう。


「俺と逃げよう、若菜! キングの元でならお前をずっと守り通せる! 来るんだ若菜!」


 足元が不安定な中、何度も転び、無様にこちらに隙を見せながらも、真治は若菜の元へと向かっている。その距離、十メートル、五メートル、三メートル、そして一メートル。


「真治!」


 若菜も真治に叫び声を飛ばす。


「若菜、俺に掴まって――」


 と真治が言いかけた、まさに次の瞬間だった。


 ザッ、と何かが生々しい音を響かせた。そして俺は見た。若菜の胸から、巨大な刀剣の先端が飛び出ているのを。


「若菜ッ!!」


 俺は叫んだ。

すると若菜を背後から襲った敵は、若菜を蹴り飛ばすようにして刀剣を引き抜いた。

 それはあまりにも暴力的で、非日常的で、残酷な光景だった。


「若菜、若菜!!」


 俺は拳銃も盾をかなぐり捨てて、若菜の元へ駆け寄った。そばには既に真治が到着している。しかし、真治は若菜を見ていたのではない。それに気づいて、俺も視線を向けると――。


 メリナが、立っていた。いや違う。これは幻覚だ。そうでなければ、こんな残忍な笑みをメリナが浮かべられるはずがない。

 俺の脳漿は沸点に達し、その偽メリナにしか注意が向かなくなっていた。


「貴様あああああああ!!」


 俺は素早くコンバットナイフを手にし、偽メリナに斬りかかった。しかし、それはあっさりと空を斬る。返す刃で連撃を繰り出そうとした俺だったが、


「!?」


 思わず立ち止まり、バックステップした。そこには、俺が初めて『この宇宙』に連れてこられたのと同じ球体が、黒々としたオーラを放っていた。直径は三メートルほどはあるだろうか。

 すると偽メリナは、球体の方を振り返ることもなく真治の後ろ襟を引っ掴み、幼い少女のような――しかし背筋の凍るような冷たい声音で笑い、背中から球体に飛び込んで、消えた。


 俺の眼中にあったイメージは二つ。

 まずは、真治の絶望とも呆然ともつかない表情だった。球体に吸い込まれる寸前、真治の顔は能面のように固まり、現実を見続けることを放棄した目をしていた。

 もう一つは、たった今俺の目の前で倒れている若菜だった。うつ伏せになった彼女の背中からは、火山噴火のように真っ赤な鮮血が吹き上がり、俺のコンバットスーツに降りかかっていた。俺はそばに屈み込み、必死に背中の傷に両手を押し当てた。すぐに止血しなければ、失血性ショックで若菜は……!


(プリースト、応答してください! プリースト!)

(どうした、剣斗!?)

(真治と戦っている間に、何者かがメリナの格好で乱入して若菜に重傷を負わせました! 近くに治癒魔術を使える魔術師はいませんか!?)

(こちらにも重傷者が多数出ている! 持ちこたえろ!)

(し、しかし……!)


 その時、俺の思念は唐突に途切れた。俺の手の下で、若菜が身じろぎしようとしていたのだ。


「おい、動くな! 今治癒魔術を施して――」


 すると、若菜は奇妙に顔を歪めた。笑みを浮かべようとしているのか?

 それから若菜は微かに左腕を動かし、着用していた防弾ベストの左胸に手を当てた。

 

そして、動かなくなった。


「お、おい、若菜?」

「……」


 俺の心が絶望に塗り固められる、まさにその直前だった。


(剣斗くん、聞こえるかい?)


 この思念のパターンは――。


(トプラ? 君なのか?)

(今から僕はありったけの治癒魔術を込めた魔方陣を展開する。若菜を担いで、そのビルの階段下にまで来られるかい?)

(あ、ああ!)

(それじゃ、急いで!)


 俺は若菜を仰向けにし、傷口から目を逸らしながら非常階段を駆け下りた。非常電源が作動し、途中からエレベーターを使えたのは幸いだった。


(辿り着いたようだね?)

(ああ!)

(そっと彼女を寝かせてくれ。今から魔方陣を送るから)


 つまり、トプラもプリーストと似た魔方陣の運用ができるというわけか。


(よし! 頼むぞ、トプラ……!)

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