第19話

「そうだったのか……」


 俺はため息とともに肩を落とした。


「真治の奴、辛かっただろうな。トリックとは言え、若菜、お前が目の前で殺されちまうなんて」

(そこにキングはつけ込んだのだ)


 一際重々しい思念が、プリーストから伝わってくる。


(それほど、新山真治の精神的消耗は激しかったということだろう。しかし、今彼は敵の手に落ちてしまった。今のわし一人で、刺し違えるのがやっとだろう)

(え……)


 俺は頭蓋を揺さぶられるような衝撃を受けた。もはやテレパシーも使わずに、


「真治を殺すつもりなのか!?」

(そうせねばなるまい)

「そんな! あいつはキングに取り入られているだけだ! なんとか説得して――」


 と言いかけて、俺は背後から異様なまでの殺気を感じた。振り返りざま、ぐっとシャツの胸倉を掴まれる。


「ギ、ギル……」

「馬鹿者が!!」


 今しばらく沈黙を保っていたギルは、その分のお返しとばかりに一気に言葉をまくし立てた。


「新山のせいで一体どれほどの仲間が殺されたと思う? お前は戦闘訓練を受けた身だから、一方的な殺戮の現場など知る由もないだろう? だから私は黙っていたのだ、奴のことを!」

「ぐっ……」


 俺はギルの腕を掴んで引き剥がそうとした。しかし、彼女の腕は万力のようにぴくりとも動かない。先ほど頭を下げてまで、俺に許しを求めていた人間の挙動とは思えなかった。それほどの怒りが、その拳に込められている。


「ギル、そのくらいにして」


 微かに尖った声音でメリナがギルを制した。


「だはっ!」


 俺は無様に尻もちをつき、首回りを擦った。


「剣斗、今若菜が話してくれた通りだよ。だから真治は、真っ直ぐに私を狙ってくる。今は結界の中にいるから大丈夫だけど……」


 とは言いつつも、メリナの顔色は冴えない。


「だからギルの援護に、あなたに来てもらったの。同じ戦士たちの組――SATっていうのよね? そこにいたのなら、あなたは真治の手の内を読めるかもしれないから」

「さ、さあ、それはどうだかな……」


 バリバリ魔術を駆使してくる真治が、『俺がいた宇宙』での戦いと同じ挙動を取るだろうか。甚だ疑問ではあったが、確かに真治に対する免疫が最もあるのは俺だろう。

 その時、


(石崎剣斗、貴殿は『自分の生まれた宇宙』に愛着はあるか?)


 俺ははっとしてプリーストの方に振り向いた。


(プリースト、突然何を……?)

(答えるのだ、石崎剣斗)


 俺は再びプリーストの赤眼を見つめ返し、唾をごくりと飲んでから、


(……今はもうない)

(では、わしの方からも頼みたい。『この宇宙』を守るために、戦ってはくれぬか?)


 俺はおずおずと、しかし今ここにいる全員から見えるように、大きく首肯した。


(感謝する。石崎剣斗)


 プリーストもまた、腰を折って俺に謝意を示した。

 俺はと言えば、何とも言えない感覚に囚われていた。心が浮ついている。

 そして、改めて真治のことに思いを馳せた。


 アイツ……。


         ※


 あの日のことはよく覚えている。俺が真治に初めて会った日のことだ。

 最初に声をかけてきたのは真治の方だった。


「おーい、何やってんだ?」

「……?」

「お前に言ったんだ。そんな木の陰にしゃがんで、虫取りでもしてんのか?」


 夏の日差しの厳しい日だった。今日は『日本の四季を感じよう』というテーマの元、近所の森林公園に俺たちは来ていた。『俺たち』とは、両親を失って政府系の施設に預けられていた子供たちのことだ。


「……」

「え? 何? 聞こえねえよ」

「カブトムシ、いないよ?」


 そう言って俺が立ち上がると、真治は俺にデコピンを喰らわした。


「痛っ!」

「あ、悪い。強すぎた。大丈夫か、お前?」


 俺はかぶりを振って、『大丈夫』と答えた。

 すると真治は、ふっと気合いを入れて木の幹を蹴飛ばした。ガサガサと木の葉の擦れ合う音がして、次の瞬間、


「うわ!?」


 ちょうど俺の頭上に一匹、何かが落ちてきた。


「お、でっかいカブトムシだな! ラッキーだぜ、お前!」

「えっ? なになに? うわあ!」


 頭部がガサガサする違和感に、俺は一種の恐怖を覚えた。

そんな俺に白い歯を見せながら、真治は


「ほらよ」


 俺の頭から一匹のカブトムシを摘み上げ、ゆっくりと俺の手の上に置いた。


「う、わ」


 俺の掌はカブトムシに引っ掻かれてチクチクと痛んだ。しかしそれよりも、初めて生で目にしたこの生き物への興味の方がずっと大きかった。


「俺、新山真治っていうんだ。お前は?」


『僕は』と言いかけて、何だか子供っぽいのではという感覚を覚えた俺は、


「お、俺は石崎剣斗」


 初めて『俺』という一人称を使ってみた。


「剣斗だな! 俺、ずっと前からここで過ごしてたんだ。クラスが違うから声かけづらかったんだけど、これで友達だ。よろしくな!」


 俺はカブトムシをそっと木に登らせ、真治の差し出した手を握り返した。

 と、その時だった。


「お、やっと来たか! おーい、若菜!」


 誰だろう。俺は伸介の背の向こうに現れた高級車に目を遣った。夫婦と思しき男女と、一人の少女が降りてくる。親子だろうと推測した。そんな三人に向かって、真治はぶんぶん腕を振っている。

 俺たちと同い年ぐらいの少女――若菜。彼女もまた、嬉しそうに三つ編みの黒髪を揺らしながらこちらへ駆けてきた。彼女もまた活発な性格のようだ。俺と若菜もまた自己紹介をし、三人で遊んだ。

 

 真治が若菜に熱烈な恋心を抱いている。それに気づくのに、そうそう長い月日はかからなかった。若菜の両親が別れ、若菜がこの施設に預けられることになるのは、それから一週間後のことだった。


         ※


「着いたよ、剣斗」

「あ、え?」

「自分の足で歩いてきたのに、目的地を忘れちゃったの?」


 やや呆れ顔のメリナを前に、


「確か、お前の本家に行くって……」

「そう。だから到着したんだってば」


 振り返ると、そこにいたのはギルだけだった。


「若菜とプリーストは?」

「若菜はキング対策本部の宿舎に戻った。プリーストは魔術師に訓練を施している」

「こんな夜中に?」

「ああ、そうだ」


 俺の間の抜けた質問に、ギルは淡々と答えた。

 ちなみに、ハーディ博士の研究室兼居住区から出てこられたのにはきちんと理由がある。

 オークたちを引き連れた伸介が会議場を襲った際、敵の捜索魔術が弱まったのだ。今もその魔術が弱いままであることを察したプリーストが、メリナの移動を提案したらしい。

 メリナの本家、最も防御結界の厚いこの和風豪邸へ。

 だが一つ、俺には引っかかることがあった。


「なあ、疑うようで悪いんだが……。プリーストがスパイだって可能性は? 彼ならここがメリナの拠点だって、知ってるんだろう?」

「知ってるけど、彼がスパイである可能性はないよ」


 俺が首を傾げて見せると、メリナは


「彼なしではとても今まで戦ってこられなかった。敵の方が、軍勢も多いし魔術力も強いからね。そもそもキングからしてみれば、スパイなんて送り込む必要はなかったんだよ」

「それでもプリーストはやって来た……?」


 メリナは頷き、


「プリーストはキングの弱点を教えてくれたし、戦い方も伝えてくれた。今さら私たちを裏切っても、何の得もないよ」


 なるほど、と俺が手を打ち合わせていると、


「ほら、さっさと入れ、剣斗」


 ギルに促され、俺は立派な門をくぐった。


「ここって……」


 見覚えがあるぞ。そうだ、県の民俗文化資料館だ。少なくとも『俺のいた宇宙』ではそうだった。

 広大な敷地で、コの字型に囲われた美しい中庭を持つ庭園。典型的な和風建築で、その外観が損なわれぬよう、年に一回は一斉清掃が為されていた。

 松の木や石造の位置がやや違うが、確かにここは民族文化資料館にあたる『この宇宙』での存在だ。


「今日からの活動拠点はここだ。少なくとも、メリナが次の戦士を探索しに行くまでの間だがな」

『分かった』と告げて頷きかけた時、


「あ」

「どうした、剣斗?」

「スマホ、博士のところに置いてきちまった」


 まあいいか。今、というか『この宇宙』においては無用の長物だ。

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