第16話
「メ、メリナ……?」
その時、俺はようやく気がついた。メリナの頬を、一筋の涙が流れ落ちていくことに。
思うに、俺が危険に身を晒すことと、メリナが戦士を募り続けることは、きっと似た意味合いを持っているのだ。
俺もメリナも家族を亡くし、独りぼっちで生きている。その過酷な現実から目を逸らしたいのだ。
俺だったら事情は簡単。戦っている最中や訓練の間は、雑念を吹き飛ばすことができる。そう思ったからこそ、戦う道を提案された時、全く悩むことなく『YES』と答えることができた。
しかしメリナの場合はどうか? 前世である『違う宇宙』において両親を殺され、それを何度も何度も繰り返し経験してきたメリナ。俺はてっきり、家族の死など慣れてしまうものだと思っていたが、そんなことは決してないのだ。
考えてみれば、俺はたった一度の『家族喪失体験』で危険な任務の虜になってしまった。自分がいつ死んでも構わない。そう思ってきた。
しかしその場合、その喪失体験を繰り返せば繰り返すだけ、俺がどんどん自暴自棄の殺人フリークになっていってしまうということではないのか。少なくとも俺にはそんな危険性があると、俺自身が自覚している。
メリナは違う。いつも毅然としていて、自分だけに与えられた能力を活かそうとしている。家族喪失体験という過酷な現実に抗おうとしているのだ。たとえそれが過去の記憶を消し去るためだったとしても。
暴力に走った俺と、自らを信じて平静を保ち続けようとしているメリナ。どちらがきちんとした『生』を全うしようとしているかは言うまでもあるまい。
確かに、俺のような立場で戦う人間は社会で必要とされていた。だが俺の場合は、正義感や義務感からではなく、一種の諦め、現実逃避から戦うことを選択したのだ。それはおかしな動機づけではあるまいか。
それに比べメリナは、今も『自分にできること』『自分にしかできないこと』に挑戦し、疲労困憊しながらも人の役に立とうとしている。
そして今、目の前で泣きじゃくっている彼女。手首の内側を目の下に当て、手の甲で目元を隠すようにして涙を流している。
「うっ……うわぁ……くっ……」
メリナ……。
もしかしたら、彼女がこうして人前で泣くのは初めてなのかもしれない。理由は分からないが、ずっと彼女も『心』の戦いを続けてきたのは事実なのだ。立場上、ギルの前でも泣くわけにはいかないだろうし。
俺があまりにもデリカシーに欠けていたということもまた事実だろう。俺は、自分自身を殴りつけたい衝動に駆られた。と同時に、メリナが少しは俺に気を許してくれたのでは、という楽観的な思考に走った。
特に何を言おうとしたわけでもなく、
「メリナ」
と俺は声をかけた。しかし、メリナは幼児のように首を左右に振るだけ。
すると唐突にメリナは踵を返し、この小部屋の出口に向かおうとした。が、
「きゃっ!」
転んだ。床に置いていた洗面器につまづいたのだ。水が床にぶちまけられ、メリナは転倒する。
「おい、大丈――」
「来ないで!」
そのあまりにも鋭利な声音に、俺はベッドから下ろしかけた足を止めた。しかしメリナはすぐに立ち上がろうとはしない。両膝を床についたまま、泣き崩れてしまったようだ。
流石にこれ以上放っておくわけにもいくまい。俺は今度こそ立ち上がり、メリナの方へと近づいた。
「立てるか、メリナ?」
俺が差し伸べた手は、しかし
「触らないで!!」
という怒声に追い返された。だが俺はめげなかった。
「誰かに相談したらどうだ?」
「……」
「だってお前、一人で戦ってるんじゃないんだからさ」
「……」
しゃがみ込み、そっとメリナの肩に手を載せる。俺は腕を伸ばし、反対側の肩にもそっと触れた。少しは落ち着きを取り戻したのか、メリナは抵抗しようとはしなかった。
こうしていると、メリナと初めて出会った時のことが思い出される。すなわち味方のヘリが、俺ごとメリナを射殺しようとした時のことだ。
「俺は仲間に裏切られちまった。もう『あの宇宙』の地球には戻れない。でも、いやだからこそ、『この宇宙』を守りたい」
その時、俺はようやく自分の気持ちに気づいた。俺は守りたい。そう、守りたいのだ。俺の掌の下で今も肩を震わせている、この少女を。
「剣斗……」
「何だ?」
俺は驚いた。こんな柔らかで儚い声が、自分の喉から出るとは思いもしなかったのだ。
「私、ずっと『あなたのいた宇宙』でずっと戦士になってくれる人を探してきた。剣斗に才能があることが分かったのは、一ヶ月くらい前。それからずっとあなたを見つめてきた」
み、『見つめる』って……。
「そして気がついたの。私、家族を失っても戦い続けるあなたが好きなんだって。だから、『あなたのいた宇宙』にキング・クランチが向かう前に、あいつを倒さなければならない。今はまだ、『この宇宙』に注目しているから、キングを倒すには――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺は手を離してメリナの正面に回り込んだ。
「お前さっき言ったけど、俺のこと……」
すると、メリナは何の恥じらいもなく頷いた。
「うん。好き。だから剣斗には戦ってほしいけど、戦ってほしくない」
メリナは両手を床について、上半身を乗り出した。涙目で俺を見上げてくる。
お、おい、ちょっと待て。これって、今俺、告白されたのか? 出会って二日も経っていないのに? いや、でもメリナの方は俺を一ヶ月は見つめてきたと言っているし、今もその緑色の瞳には変わらない決意のようなものが宿っている。
お、俺に一体どうしろと……?
しかし、そんな俺の狼狽はすぐに終息することになった。廊下の方から足音が近づいてきたのだ。それに気づいたのは、俺の方が先だった。金属の擦れる音が混じっている。恐らく、博士ではなくギルだ。この小部屋に到達するまで、あと五秒といったところか。
新たな事態の進展に、俺は違う意味で狼狽した。
メリナを泣かせたことが、よりにもよってギルにバレるのはまずい。だがメリナに、今すぐ泣くのを止めろと言える状況でもない。こうなったら……!
「メリナ、剣斗、晩ご飯ができ……って、え?」
「や、やあギル。ノックぐらいしてくれよ」
「ど、どうした? 何があったんだ、剣斗?」
俺が咄嗟に取った行動。それは、メリナを思いっきり抱きしめることだった。
それを俺の背後から見つめるギルは、呆気に取られているようだ。
「あ、危ないじゃないかメリナ! 突然転ぶなよ!」
「あー、えっと、すまない。間が悪かったようだな」
シャキン、と刃物が取り出される音がする。
「石崎剣斗、貴様、今自分が何をしているのか、分かっているんだろうな?」
じょ、冗談だろ!? ちゃんと言い訳はしたぞ、嘘だけど!
すると間もなく、俺の首筋に冷気が走った。あの日本刀が、俺に触れるか触れないかという位置で止まっている。俺が震え出したら、そのまま切られてしまうのではないかと思うような距離だ。
「ち、違うのギル!!」
「メリナ!?」
メリナが突然声を上げたことで、ギルはさっと刀を腰元に戻した。
「どういう意味です、メリナ?」
「わ、私、本当に転んだの! それを剣斗が受け止めてくれたの!」
ゆっくりと背後に目をやると、兜を脱いでいたギルは何とも言えない表情をしていた。何を考えているのか、全く読ませない。ただし、ものすごい勢いで脳みそをフル回転させていることは伝わってくる。そんな歪んだ表情だ。
するとギルは、ふーっと長い息をついて、
「失礼、私が何か考え違いをしていたようですね。申し訳ありません、メリナ。ついでに悪かったな、剣斗」
「どうして俺がわざわざ格下なんだよ!?」
「いいからいいから二人とも!」
ギルに噛みついた俺を留めたのは、やはりメリナだった。
「今日はギルが腕を振るってくれたから、きっと美味しいよ! 冷めないうちに、ね?」
「あ、ああ……」
すると、何事もなかったかのようにメリナとギルは歩き出した。メリナの頬に涙の跡など残ってはいない。そんな二人の会話に割り込むこともできず、俺はゆっくりと二人について行った。
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