第15話
俺が伏し目で辺りを見渡していたその時、
「盾は役に立ったか、剣斗?」
「ああ、ギル……」
俺は左肘の盾をかざして見せた。魔弾を数発喰らったはずだが、傷跡はほとんど見られない。ギルの甲冑と同じ色の、赤紫の円盤。それが思ったよりも遥かに軽いことに、今さらながら俺は驚いた。
そんな俺の前で、ギルは甲冑の面を外した。美麗な小顔と尖った耳が露わになる。
「本当に助かったよ、ギル。お前がこの盾を寄越してくれなかったら、俺は魔弾でハチの巣になっているところだった」
「そ、そんなに感謝される筋合いではない……。お前に死なれると、その、そう、メリナの努力が無駄になるからな!」
そう言って、ギルは視線を逸らした。謙遜しているらしい。
「ところで、ここでは何があったんだ?」
「あ、そ、そうだ、そうだな!」
突然気を取り直した様子で、ギルは説明を始めた。
「我々は先ほどまで、作戦会議を行っていたんだ。本当ならメリナも出席するはずだったんだが、あの状態ではな……」
俺の脳裏に、無防備に閉じられたメリナの瞳が浮かぶ。大丈夫だろうか。
「で、会議の内容は何だったんだ?」
「メリナの居場所がキング・クランチにバレた場合の対策議論だ」
「居場所がバレるとまずいのか?」
「当たり前だ!」
ギルはぴしゃりと言ってのけた。
俺が怯んで一歩後ずさると、
「あ、す、すまない……」
「いや。俺が呑気すぎただけだ。悪い」
ギルは『気にするな』だか『私も悪い』だか何やら呟いていたが、
「とにかく! メリナが誘拐されたり殺されたりするのは避けねばならないんだ」
と言い切った。
「メリナの能力で転移できるのは、どの『宇宙』においても地球上が限界なんだ。全宇宙を駆け巡って戦士を集めることはできない。だから宇宙へ逃がすわけにもいかなくてな……」
「それで地球上を点々としていたわけか?」
ギルは首肯する。
「日本に来たのはこれで三度目だ。お陰でメリナも私も日本語は達者になったが、それで済む話ではない。先ほどのゴーレムは、キング・クランチの放った密偵だ。そしてその目でメリナの姿が目撃されてしまった」
「そ、それって……」
俺は、自分の背後から嫌な汗が滲み出るのを感じた。しかし、
「今すぐ心配することはない」
ギルは相変わらず落ち着いた調子で言った。
「私はハーディ博士の研究室周辺に結界を張ってきた。すぐに見つかることはないだろう」
「何だ、驚かすなよ……」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
「だが、しばらくは博士の元から動けんな……。メリナの周囲に漂う霊気は、他の魔術師と比べても人一倍だ。一ヶ所にずっと隠しきるのは不可能だろう」
「でもメリナがいなけりゃ、戦士探しもできないんだろう?」
「うむ……」
ギルも考えが詰まってしまったようだ。
恐らく、先ほどこの会議場を襲ってきたオークの軍団は、単に会議を妨害するのが狙いだったのだろう。あわよくば戦士を一人でも多く戦闘不能にする、という考えもあったのかもしれない。
あれだけの軍勢を、今のメリナの元へ向かわされたらまずいところだった。しかし敵はメリナを捕捉できず、ゆえに取り敢えず結界のないこの会議場を襲ってみた、というところか。
その時だった。
「ねえ、お父さん! お父さん!」
「落ち着いて、坊や! お父さんはすぐに戻ってくるから!」
担架に乗せられ、ビニールシートを掛けられた男性。その男性に縋りつくようにして、十歳ほどの男の子が喚いている。その男の子を制止した看護師らしき女性は、しかし血まみれだった。
返り血だろう。それも男性の。
「どうしてこんなところに子供が……。ん? 剣斗? 剣斗?」
そう呼びかけてくるギルの声は、しかし俺の脳みそには届かなかった。それは虚しく鳴り響く教会の鐘の音のようなものだ。そして俺は、今までで一番強烈な既視感を覚えていた。
※
七年前の八月。
「お父さん、まだ?」
「もうすぐ、もうすぐだぞ剣斗。もうすぐ海が見えるからな」
石崎家一向は、自家用車で緩やかな山道を走っていた。キャンプに行く予定だったのだ。
乗員は、運転席に父、助手席に俺、後部座席に母と妹の合計四人。
海の見える丘の上でのキャンプ。海と山のいいとこ取りができるとあって、俺はいつになく興奮していた。
後部座席からは、泣き始めた妹をあやす母の声が聞こえてくる。
道路の右側には崖がそそり立ち、左側は断崖絶壁になっている。ただし左側はガードレールが設置されており、特別視界が悪いわけでもなかった。
そう。何も心配することなどなかったはずなのだ。対向車線から勢いよく大型バンが飛び出してくるまでは。
「……え?」
神は俺に、呆気に取られるだけの時間を与えてくれた。否、記憶に焼きつけるだけのインパクトを残した。
直後、俺の身体は左に、右にと大きく揺さぶられた。子供用シートベルトのお陰で車外に飛び出すことはなかった。しかし、乗用車自体は左側に大きく跳ね飛ばされた。ガードレールに一旦つっかかりそうになったが、あまりの衝撃に車は前転の要領でぐるりと縦回転。そのまま左側の断崖絶壁に向かって落ちていった。
結果として、バンの直撃を喰らった後部座席の二人は即死。遺体は通夜の日にも葬儀の日にも封印されたままだった。恐らく、原型を留めていなかったのだろう。俺と父は病院へ運び込まれ、集中治療室へ収容された。
俺の意識が戻ったのは、ちょうど集中治療室から担架で運び出されるところだった。その時ちょうど、父も運び出されてきた。しかし、その身体にはビニールシートがかけられている。俺がその『身体』を父だと認識できたのは、右足の甲に特徴的なほくろがあったからだ。
俺は必死に手を差し伸べようとしたが、感覚がぼんやりとして動かない。首を巡らせることはできても、言葉を発することはできなかった。
お父さん。
人工呼吸器が邪魔をする。
お父さん!
俺と父の間に看護師が割って入る。
お父さん!!
※
「お父さん!!」
「きゃっ!」
俺はかけられた毛布を吹き飛ばす勢いで起き上がった。
呼吸が荒い。寝汗がひどい。車のスキール音と、車が落下した直後の衝撃音が耳にへばりついている。
そんな俺のそばにいたのは、
「メリナ……」
「け、剣斗、大丈夫? ひどくうなされていたから……」
俺は唾をごくりと飲み、俯いて額に手を遣った。
「ああ、少し昔のことを思い出しただけだ」
ふとメリナの方を見ると、清潔なおしぼりを握っている。どうやら俺の熱を下げようと頑張ってくれていたらしい。
俺は眠りに就くまでの経過を思い出そうとした。確か、父親を亡くした子供を見かけて、ギルに引っ張り出されるようにして博士の研究所まで連れてこられ、少し休んだ方がいいと博士に提言されたのだ。こんなに広いベッドで眠れたのは久しぶりだ。
それよりも、
「メリナ、お前は大丈夫なのか?」
「あ、うん。ちょっと頑張り過ぎただけだから」
メリナは平然と答えた。
思えば彼女もまた、両親を殺され続けてきたのだったか。それなのに、何故俺と違ってこんなにも毅然としていられるのか。
「一つ訊かせてくれないか、メリナ」
「何、剣斗?」
俺は再び俯き、視線を下げたままで、
「お前、両親が亡くなっても平気なのか」
「……」
「転生する間に何度も見てきたんだろう? 親が殺されるのを。どうして平気なんだ」
断定的な口調になっていたのは、我ながら意地が悪いと思う。
「なあ、メリナ――」
俺が顔を向けた直後、パシン、といういい音がこの小部屋に響き渡った。
ゆっくりと手を伸ばし、軽い痛みを訴える頬に手を遣ると、
「……」
無言で、しかし凄まじい精神的圧力をもって、メリナは俺を見返していた。
顔は真っ赤に染まり、唇を噛み締め、肩をいからせてわなわなと全身を震わせていた。
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