第9話

 もし睡眠中の俺の勘が当たっていれば、ギルと別れてから二時間ほどが経ったはずだ。

 その時、遠くから聞こえてくる轟音で目が覚めた。だが、それに危機感を覚えはしない。

 聞き慣れた音。恐らく、トラックやバスといった重量車の走行音だ。

 

 頭を軽く拳骨で叩き、頬を叩いてみたが、寝ぼけてはいないらしい。俺は今、『この宇宙』を守るために連れてこられ、そして『この宇宙』を守る戦士になるか否かという決断を迫られている。重大な局面だ。


 誰かがここ、物置に近づいてくる気配がする。しかしギルとは違う。無造作に芝生を歩いて音を立てている。殺し屋だとしたらあまりにも無神経だ。

 俺は拳銃を握り、しかしあまり警戒するわけでもなく、物置の扉を開けた。

 そこにいたのは、


「あっ、おはよう、剣斗」


 メリナだった。今日はワンピースではなく、厚めのシャツの上から外行き用のパーカーを着込んでいる。

 昨日の青に統一されたワンピース姿は実に神秘的だった。しかしこうして普通の格好をされると、純粋に年頃の女の子に見える。

 しかし突然メリナは俯き、


「わ、私、街に行くのって久しぶりだから、ちょっと気になるんだけど……。こ、この服装、おかしくない?」

「え? いいや、別に」


 メリナは胸の前で両手を組み、ほうっ、と息をついた。

 女性の服装なんて、俺みたいな無神経な奴に質問する方がおかしい。それも『違う宇宙』から来た人間に。

 だが、メリナはそんな俺の助言を当てにしたのだ。それだけ『この宇宙』と俺が『元いた宇宙』に差はないというわけか。


 俺はメリナの肩越しに、そばの幹線道路に目を遣った。


「車、通ってるんだな」

「えっ? あ、ええ。何のために道路があると思ってたの?」

「いや、それはそうなんだが」


 しばし、道路を走る車両に見入った。見慣れた通勤バスに貨物トラック、色とりどりの自家用車が数十台。特に違和感は覚えない。

 これが、この世界の日常――。


 しげしげと眺めていると、


「おはようございます、メリナ」

「あっ、おはよう、ギル!」


 メリナはギルに駆け寄った。こうして見ると、仲睦まじい姉妹のようだ。ギルが甲冑姿でなければ、だが。


「二時間ぶりだな、剣斗」


 恐らく笑みを湛えているであろうギルの声音に、俺は


「誰かさんに起こされなければ『おはよう』で済んだんだがな」


 と皮肉を返した。

 するとギルは、甲冑の腰元から一本の筒を取り出した。俺が昨日まで使っていたのと同じタイプの自動小銃だ。それで何をするかと思ったら、


「ほれ、剣斗」

「え? どわっ!」


 無造作に放り投げてきた。弧を描いて宙を舞う自動小銃。

 俺は慌てて、抱き込むようにして受け止めた。


「危ねえ真似すんなよ! 暴発したら――」

「ほれ、ほれ」


 今度は弾倉を放ってきた。


 慌てて俺がキャッチすると、ギルは


「安心しろ。弾は入っていないし、セーフティもかかっている」

「それでも弾が出るのを『暴発』って言うんだよ! あんたは剣技のプロかもしれないが、俺だって銃撃戦のプロなんだ。武器の取り扱いには注意しろ!」


 するとギルはぴたりと腕を止め、


「す、すまない、お前の大事な武器を……」

「って急に萎れるなよ!」


 らしくない。調子が狂うじゃないか。まあ、最初に出会ってから一日と経っていないけれど。

 

「わ、分かればいいんだよ、分かれば!」

「う、うむ……」


 すると、黙って見ていたメリナが


「まあまあ二人とも! 今日は買い出しも含めて街を散策しましょう! 剣斗に『この宇宙』にある地球の、日本の街並みを見せないといけないから」

「そ、そうだなメリナ!」

「そ、そうですねメリナ!」


 あれ? 今ギルとハモったのか? 俺がギルに目を遣ると、そちらも俺を一瞥するところだった。甲冑のせいで表情は窺えないが……。何だ、この気まずさは?

 しかし、意図してか否かは分からないが、メリナは率先して歩き出した。


「あっ、メリナ! 待ってください!」


 ギルは慌てて追いつき、俺の方を振り返った。どうやら、早速俺もメリナのボディガードにされてしまったらしい。

 俺はため息をつき、自動小銃に弾倉を込めて初弾を装填。大股であちこちに視線を飛ばしつつ、二人を追っていった。


         ※


「ここが幹線道路ね。あなたのいた『宇宙』とあんまりと変わらないと思うけど」

 

 確かにな、と頷きかけて、


「っておい、ちょっと待てよ!」


 俺は慌てて道路に駆け寄った。異様な動きをしている車が走っている。


「どうした、剣斗?」

「こんな車、『俺の宇宙』じゃ走ってねえぞ……」

「それはどういう――」


 というギルの言葉が切れた。恐らく、メリナが止めてくれたのだろう。

 

 さて、その『異様な』車というのは、何とタイヤがなかったのだ。これで『車』と言えるのか否か、さっぱり分からない。代わりに、僅かに道路から浮いている。


「これは……超電導の技術を応用しているのか?」


 肩を竦めるギルの横で、メリナは


「ええ。そのはず」


 と短く答えた。突然の近未来的技術に直面し、俺の胸は高鳴った。

 が、それは悪い兆候だ。今の俺は、『仮』とは言えメリナのボディガード。冷静さを失ってどうする? 


 少しばかり目移りしながら、幹線道路沿いを歩んでいく。しかし、


「!」


ふと巨大な影に覆われ、俺は咄嗟に自動小銃の銃口を上げようとした。しかし、


「慌てるな、剣斗」


そこでは、低空を進む飛行船が太陽の光を遮っていくところだった。

影の先をずっと見渡していくと、


「あっ」


 俺は既視感を覚えた。見慣れた商店街が広がっている。ただし、少しばかり様子が違っていた。


「少し見てきてもいいか?」

「そ、それは構わないけど……」


 メリナの控えめな言い方に、


「その自動小銃は置いていけ。『お前のいた宇宙』と同様、ここは日本だ。下手に銃器を持っていると、銃刀法違反で捕まるぞ」

「そ、それもそうだな……」


 俺は困惑した。こんな時に限って、拳銃を置き忘れてきてしまったとは。身を守るのが近接戦闘用のコンバットナイフだけとは心細い限りだ。


「剣斗、これを」


 ギルが差し出したのは、まさに俺が求めていた拳銃だった。

 そっと把手を俺に握らせるギル。合わせて、弾倉を二つ。


「ああ、悪い。助かる」

「さっきはすまなかったな、剣斗。お前にとって、自動小銃がそんなに大切だとは思わなかったんだ」

 

 俺は無言で拳銃のコンディションをチェックし、弾倉を叩き込む。


「……剣斗?」

「ん? あ、どうしたんだ、ギル?」


 しかし次にギルから告げられたのは、思いがけない言葉だった。


「許して、くれるか?」


 俺たちの間の緊張感を察したのか、メリナは黙って俺たちの顔を交互に見詰めている。


「ま、気にすんな。せっかく持ってきてくれたんだしな」


 そう言って、俺はカシャリと音を立てながら甲冑の肘のあたりを叩いた。

 するとギルは、


「べ、別にそこまで言ってくれなくても……」


 と言って顔を背けてしまった。


「ギル?」

「す、すみませんメリナ。少しぼーっとしてしまって……。これではボディガード失格ですね。気を引き締めます」

「昨日飲み過ぎたんじゃないのか?」

「剣斗、お前は黙ってろ!」


 するとメリナはパッとギルを振り返り、


「あなた、昨日もまたお酒を?」

「い、いや、少し寝つけなかったもので……」


 俺は口を出さないことにした。ギルの飲みっぷりからして、彼女に酒のない生活は想像できないだろう。かと言って、ギルの肩を持ってしまってはメリナの機嫌を損ねてしまう。


「今日は俺のために、街を案内してくれるんだろ? なら、早く行こうぜ」


 そう言い切ると、二人は同時に俺に振り返り、


「あ、そうね!」

「あ、そうだな!」


 と声をハモらせた。


「私はメリナの後方を守る。剣斗、あなたはメリナの隣で彼女を守れ。質問には二人で答える」

「了解だ」


 何だかやたらと妙な雰囲気になるな。まあ、仕方ないか。ここは『俺のいた宇宙』ではないのだから。

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