第8話
シャワーを浴び終え、俺は外の物置へと向かった。季節感も『俺のいた宇宙』と全く変わらない。まだまだ肌寒い日が続きそうだ。
一応防弾ベストを着用し、手には先ほど武器庫から拝借してきたオートマチック拳銃を握らせている。弾倉は二つ。一旦別邸の外に出てから、オートロックがかかったことを確認した。
ここが一種の異世界である以上、いつ何が起こるか分からない。どうしても何かしらの銃火器は手にしておきたかった。
月明かりを背に浴びながら、芝生を踏みしめつつ物置へと向かう。僅かに歩幅を縮め、ゆっくりと進みながら周囲の気配を探る。殺気は感じられない。
さすがに物置は施錠されていなかった。ガラガラと扉を開け、その場に畳まれていた厚めのタオルの上に寝転がる。そのまま一回転すれば、立派な……とは言わないが、いつも使っている寝袋状の形にはなった。
「ふう……」
俺はごろりとタオルごと転がり、扉に背を向ける。
ひどく疲れてはいた。しかし、疲れたという心の認識に対して脳がついてこない。脳みそだけがやたらと興奮している。
俺が今いるのは『別の宇宙』なんだよな……。そう思えば思うほど、頭は冴えるばかりだ。
俺は目の前で鈍い輝きを放つ拳銃の把手に手を伸ばした。ひんやりとした感触が、俺を現実に引き留める。
そうだ。ここに拳銃があるのは現実だ。しかし、『元いた宇宙』での俺の扱いはどうなっているのだろう。真治のように行方不明になっているのだろうか。
「それこそまるで幽霊だよな……」
そう呟いた俺は、拳銃をゆっくりと手元に引き寄せた。
一緒に持ち出した消音器をつける。
そっと初弾を装填する。
そして身体を一回転させ、転がったまま銃撃した。
物置の扉に向かい、立て続けに三発。もし相手が正面に立っていたなら、三発とも腹部に喰らっているはずだ。
『元いた宇宙』から連れられてきて、右も左も分からない俺。その寝込みを襲うつもりだったのだろうが、返り討ちにするだけの腕前は俺にはあると自負している。
俺は硝煙を上げる拳銃を扉に向けたまま、匍匐前進で狭い物置の入り口そばで伏せた。反応はない。俺は低姿勢でドアのわきに移動し立ち上がった。そして呼吸を整える。
三、二、一、今だ!
バン! と俺はドアの淵を蹴り、スライドさせて開けた。来るなら来い。
俺はすぐに反撃できるよう、足を下ろしながら拳銃を構えた。敵が飛び込んで来たらすぐに射殺できるようにするためだ。
が、しかし。
「流石だな、剣斗。メリナが選んだだけのことはある」
この声は、
「何だ、あんたか」
「ご挨拶だな」
ギルの声がした。刺々しい雰囲気が消えうせたところで、俺は拳銃のセーフティをかけて腕を下げる。
「全く、夜も明けないうちに『ご挨拶』だなんて言われたくないぜ。二度も」
俺はゆっくりと物置から歩み出た。先ほどの銃撃をかわしきったのだろう、ギルが声をかけてくる。そちらに振り返り、
「何か用――」
と言いかけて、俺は絶句した。
そこでは、長身痩躯の絶世の美女が月光を浴びていたのだ。いや、痩躯、というには語弊があるな。特に、胸のあたりが。
耳は尖っていて、腰まで流れるブロンドの髪から飛び出ている。豊満な胸元や肩口は大胆に開いた薄いヴェールに包まれている。切れ長の瞳はメリナのそれに近い緑色をしており、小さな鼻と上品に閉じられた唇が印象的だった。
「あ、あんた……」
「何だ、剣斗」
「ほ、本当にギルか? さっきまで赤紫の甲冑着て戦ってた、あのギルなのか?」
「どういう意味だ」
瞳がより薄くなり、鋭い視線を飛ばしてくる。だが、俺は目を逸らすことができなかった。
あまりに美人だったから、と言ってしまえばそれまでだ。しかしこうして俺を不機嫌そうに見詰めてくるギルは、人間にはない魅力を備えているように思われてならない。
いや、彼女は人間ではない。俺の記憶が確かなら、
「あんた、エルフか何かなのか?」
無言で頷くギル。人間とそうそう外見が違うわけではないので、まあ恐怖感は感じなかったが。
「メリナには言われたのだ。この姿を見せるのは夜が明けてからにしろと。だが、私は個人的にお前の実力をもう少し見極めたかった」
「それで俺の寝込みを襲おうと?」
すると俄かにギルは肩を震わせ、
「や、やましいことを言うなっ!」
と俺の頭上から叫んできた。
「やましいってどういう意味だよ?」
「そ、それは……」
すると、ギルはだらんと両腕を伸ばして、片手でもう片方の腕の肘を押さえた。 そのポーズに、俺は不思議な魅力を覚えた。……って何を考えてるんだ。今はそんな感想を抱いている場合じゃないだろうが。
「ギル、あんたも『別の宇宙』から呼びかけられてきたのか?」
「そうだな……。私の場合はメリナではなく、前身の『引率者』に連れられてきた」
「何だ? 『引率者』?」
ギルは大きく頷いた。それに合わせて胸が上下に揺れ――って、だからそんなことを考えてる時じゃねーっての。
ギルによれば、キング・クランチに襲われた世界では、異次元へのゲートを開くことのできる子供が生まれてくるのだという。キング・クランチが顕現した際の副作用のようなものだ、と。
「それがメリナなんだな? 『この宇宙』では」
「そうだ」
胸の前で腕を組みながら、ギルは頷いた。
しばし俺たちは黙り込んで、夜空の星々を眺めていた。俺は物置の外壁――と言ってもプレハブ小屋みたいなものだったが――に背を預け、ギルはすっと立ち尽くしたままだった。
すると、全く唐突に
「飲むかい?」
「ん?」
あらかじめ持ってきておいたのだろう、琥珀色の『何か』が入った瓶をギルは手に取った。
「それって何だ?」
「テキーラだ。私は戦いに出る前によく飲むが」
「はあ!?」
な、何を言い出すかと思えば……!
「酒なんか飲んでたら、戦闘中の判断力が鈍っちまうぞ?」
「私の判断はメリナを守ることだけだ。盾になって死ねるなら、それほど名誉なことはない」
つまり、自らが攻撃を受けたり負傷したりすることには無頓着というわけだ。しかし俺は、そこまでしてメリナを守る覚悟はまだできていない。
「俺は遠慮するぞ。まだ二十歳にもなってないのに……」
するとギルは、口内のアルコールを一気に飲み込んだ。肺に入りかけたのか、ゲホゲホとむせ返る。
「おい、どうしたんだよ急に?」
「いや、いやいや」
ギルは両手をひらひらと振った。
「剣斗、お前が思いの外慎重な男なんだと思ってな」
「はあ?」
「そうか。『お前の宇宙』では、二十歳未満の人間は酒にありつけないのか」
「だったら何だよ?」
「いいや、別に?」
何だよ。人を子ども扱いしてるのか?
「そういうお前は幾つなんだよ、ギル?」
「十九。『私のいた宇宙』では、十五歳から飲酒はできたのでな」
ああそうかい。俺は酒に興味はないので、適当にふん、と鼻を鳴らした。
だが、考えてみれば不思議なものだ。こんな理想的なボディライン……は関係ないが、大人びた雰囲気を漂わせているギルが、まだ十代だったとは。
俺と同じ十代『だから』という親近感と、十代『なのに』という違和感。その二つの波が、俺の脳内でせめぎ合う。
「なあギル。お前にとってメリナってどういう存在なんだ?」
「何だ、藪から棒に」
「俺が『元いた宇宙』では、俺は殺し屋だったんだ。それも、メリナとあんたを捕まえるというミッションを背負ってた。それが、俺と全く逆に『何としてでもメリナを守る』と覚悟を決めているあんたがいる。それが何だか……不思議でな」
自分でテキーラを注いでいたギルは、酔った気配を全く見せずに理路整然に語った。
「私は見た。キング・クランチとその部下たちが、いかに卑劣な連中であるかということを。だから、それを倒すべく『あちこちの宇宙』を彷徨っているメリナを守りたいと思った」
それだけだ、と言ったギルは再び俺にテキーラを勧めた。
かぶりを振って断ると、ギルは少し眉を下げた。
「たまには誰かと飲み明かしたいと思っていたんだがな」
「俺とは今日会ったばかり何だぞ? そんな奴と飲んでもさして美味くはないんじゃないか?」
するとギルは両腰に手を当て、確かになと肯定した。それから苦笑する。
「もうじき夜が明けるだろうが、少しは眠っておけよ、剣斗」
「お前こそ飲み過ぎるなよ、ギル」
そう言い交わして、ギルは別邸へと戻っていった。
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