第5話
俺は困惑の色を隠せなかった。
さっきから『宇宙』がどうのこうのって……。いや、信じる方がどうかしている。俺を何らかの組織に引き込もうとしているのだろう。例えば、彼女が属するテロリスト、とか。
だが、出動前のミーティングで説明された通り、超常現象が起きているのは事実なのだ。
俺は何気ない風を装って腕時計を見た。出動から約三時間。隊長からの連絡が途絶えていれば、そろそろ支援部隊がやって来るはずだ。
俺は賭けに出るしかなさそうだ。支援部隊到着まで、ここでメリナたちを引き留めておくか。あるいは、俺が本当に『彼らの宇宙』を守る素質のある人間だと仮定し、メリナの指示に従って人助けをするか。
「一つ訊かせてくれ」
「ええ」
相変わらず凛とした声で応じるメリナ。
「俺はこの世界に戻って来られるのか? お前やギルは何度も行き来しているようだが……」
「その点は心配いらないよ」
メリナは即答した。
「私たちは誰かに強要するわけではないし、まして命令するつもりもない。だからこそ、一度私たちの世界に来て、見てほしいの。この『多くの宇宙』を股にかける『宇宙覇者』が、いかに冷酷で残忍な者なのか」
その瞬間、俺はドキリ、と心臓が跳ねるのを感じた。
今まで強気一点張りだったメリナ。その瞳に、微かに光るものを認めたからだ。一種の弱み、だろうか。
「メリナ、お前も酷い目に遭ったのか?」
そう尋ねた直後、
「馬鹿者!!」
ギルが振り返り、俺を怒鳴りつけた。
「石崎剣斗、貴様はまだ部外者だ! 戦うか否か迷っている半端者だ! それがよりにもよってメリナに――」
「殺されたの」
「え……?」
甲冑越しのギルの剣幕たるや、凄まじいものがあった。しかし、それをメリナはあっさりと一言で制してしまった。ギルと目を合わせようともしない。
その遣り取りを、俺はポカンと口を開けたまま眺めていた。正確には、メリナの瞳を。
涙を流してはいなかった。しかし、流すまいとして必死になっているのか、頬が微かに痙攣している。
自分の両親を亡くして七年。その間、こんな顔をする人間を俺は見たことがなかった。
そもそも、この年代で両親を亡くしたという人間は稀だろう。強いて挙げれば行方不明になっている真治だが、彼の両親が亡くなったのは彼の記憶にもない頃だと聞いている。
だから実際に、両親を亡くした喪失感に襲われた人間と会話をするのはこれが初めてかもしれない。
その時の心境を表すのは、非常に難しいことだった。だが、それは『俺には似合わない』からであって、気持ちは不思議とはっきりとしていた。
守りたい。
俺はメリナを守りたい。
両親を亡くしたというなら、せめて、彼女だけでも。
メリナが俺の前にゆっくりと立ち上がった、その時だった。カッと眩いサーチライトが、空から降ってきた。小型ヘリのものだ。
「メリナ、敵襲です!!」
ギルが叫ぶ。彼女は再び振り返り、俺たちに背を向けながら斧で空を切り始めた。
俺たちの支援部隊が到着したのだ。恐らく、地上部隊を降ろす前に偵察をしているのだろう。
「剣斗、決めて! 本当にこのまま『この宇宙』の戦士でいるのか、『私たちの宇宙』を救う英雄になるのか!」
「え、英雄……?」
『英雄』だって? 突然何を言い出すかと思えば……。
「私が銃撃を弾きますから、その間に『私たちの宇宙』に繋がるゲートを開いてください!」
「分かった! 剣斗、こちらへ!」
メリナは膝立ち状態だった俺の腕を引いて、袋小路の最深部に向かって駆け出した。引っ張り上げられた俺も、ヘリの立てる轟音に背を叩かれて走り出す。
その時だった。連続した鋭い金属音が、俺たちの頭上を通過していった。まさか、
「俺たちを殺す気か!?」
メリナもギルも、飽くまでその身柄の確保が最優先だったはず。しかし第一陣である俺たちが通信不通となって焦ったのか、攻撃を始めてしまった。
銃撃音とそれが弾かれる高い金属音に追われるようにして、メリナと共に最奥部の壁面に到達した。廃ビルの外壁だ。
「ギル一人では危険かもしれない。剣斗、なんとか私を援護して」
「援護だって? お前、戦うつもりなのか?」
「違う。『別な宇宙』へのゲートを開くの。私が意識を集中している間に、ギルと一緒に銃撃を防いで」
言うが早いか、メリナは背を向けて跪き、呪文の詠唱を始めた。
日本語ではない。ラテン語に近いだろうか? 取り敢えずそれが何語であれ、魔術的な何かが起こっているのは確かだった。背後から見ても、メリナの組んだ手先から、七色の光が溢れ出すのが見える。
彼女を守らなければ。だが、直接空から攻撃してくるヘリを相手に、ギルも思わぬ苦戦を強いられているようだ。俺がどうにかしなければならない。俺に残された武器は――これだ。
俺は発煙筒を掲げ、再び自らがサーチライトに照らされるのを待った。ここまで来ると、ヘリの回転翼による轟音が耳に痛い。呪文の詠唱が遮られていなければいいのだが。
そう思っているうちに、サーチライトが近づいてきた。目測で時間を計る。
三、二、一、今だ!
撃ち上げられた発煙弾は、ちょうどヘリの正面で炸裂した。無論、墜落には及ばない。だが、操縦者の腕が少しは鈍るはずだ。案の定、上空を旋回しているヘリからの銃撃は、明後日の方向に行われた。
一旦遠ざかる、ヘリの回転翼の音。代わりに背後から聞こえてきたのは、何とも不思議な音だった。繊維の厚い風船を一気に膨らませたかのような、それでいて泡が弾けるような。
「ゲートが開いた! 剣斗、早く!」
「あ、ああ!」
俺が振り返ると、そこには大きな球体が存在していた。まさにその場に、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようだ。銀色の球体だと思っていたのは、『ゲート』と呼ばれるものらしい。
そこに映る光景は、きっと『別な宇宙』、すなわち『メリナたちの宇宙』なのだろう。
「ギル! 撤退を!」
「分かりました、メリナ!」
ギルが背後から駆け寄ってくる。その間に、メリナは何の躊躇いもなく、跳び込むようにして球体にぶつかっていった。そして、消えた。ちょうど別次元へと吸い込まれたように。
残された俺とギルに、再びヘリが旋回してくる気配が刺さる。
「私たちも行くぞ、剣斗! さもないと!」
「ああ、ハチの巣になるな!」
こうなったら仕方がない。俺に残された脱出口は、異世界へのゲートだけだ。早く飛び込まねば。しかし、当然ながらこれは俺が今まで体験したことのない事象だ。それに、絶対的な安全が保障されているとも思えない。
僅かに足元が緩んだ俺は、しかしギルに思い切り腕を引かれ、
「う、うあっ!?」
跳び込んだ。ゲートへと。
その直前に耳に残ったのは、ヘリの機関銃が吐き出す銃声と薬莢の落ちる金属音だった。
※
「もう安全だ、剣斗」
ギルの声が聞こえる。
「さあ、早く目を開けろ。お前には、見せたいものや聞かせたい話、それに会わせたい人物がいる」
「……」
「剣斗!!」
「ぶはっ!」
俺はようやく、自分の状態に気がついた。ぎゅっと目を閉じ、息すらも止めていたのだ。
「お、俺たちは――」
「無事ゲートを通過して『転移』に成功した。ここが『私たちの宇宙』だ」
目の前にいるのは、もはや見慣れた赤紫の甲冑。それに、青いワンピースに緑色の瞳をした少女。
「三人でも無事転移を成功させるとは――流石ですね、メリナ」
俺の肩に手を載せていたギルは、首だけ巡らせて背後のメリナを見遣った。
「ええ。三人同時に、っていうのはあまり経験がなかったけれど。とにかく、上手くいってよかった」
微かに笑みを浮かべるメリナ。俺はギルの手を借りて立ち上がり、辺りを見回した。そして、ぞっとした。慌ててメリナに視線を戻し、
「おい、転移なんかしてねえぞ! さっきと同じ廃棄区画じゃないか! 早く逃げないと――」
「ヘリの餌食にはならないよ、剣斗。ここはれっきとした『私たちの宇宙』。心配はいらない」
「え……?」
見渡す限り、先ほどと同じようなコンテナや鉄筋が転がっている。廃ビルの配置さえ、同じようだ。違う点を挙げるとすれば、
「ヘリは? ヘリはどこへ行った?」
「だから、ここは『あなたのいた宇宙』とは違うの!」
メリナが声を張り上げた。
「この場所は偶然、『あなたのいた宇宙』にそっくりだけど、すぐにそれとは『違う宇宙』であることが分かると思う」
ついてきて、と言って、メリナは俺のそばを通って袋小路の反対側へと歩き出した。
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