第3話
それが好機であると気づいたのは我ながら冴えていたと思う。
俺は左脇に吊ったホルスターに手を伸ばし、短い発煙筒を取り出した。パン、という軽い音と共に、青い煙が空中で瞬く。
これは狙撃手への合図だ。今、対戦車ライフルで甲冑を攻撃すれば、あの装甲版を破れるかもしれない。
だが、それは甘い考えだった。ドォン、という発射音と同時に弾丸は停止したのだ。甲冑に到達する前に。
俺には確かに見えた。淡いグリーンの壁――バリアとでも呼ぶべきものが、弾丸の方向へと展開されたのを。
《何だ!? 弾が弾かれたぞ!?》
「バリアだ!」
俺はヘッドフォンのマイクに吹き込んだ。
「赤紫の甲冑をバリアが守ってる! 信じられないかもしれないが……だから弾かれたんだ!」
《何を言ってるんだ、石崎? そんなもんスコープには映ってねえぞ!》
「馬鹿野郎、肉眼で見るんだ!」
僅かな沈黙。その一、二秒の時間は、しかし俺を冷静にするには不足だった。
《もう一発お見舞いしてやる! 今度こそ奴の頭を――》
止めろと叫ぼうとした、その時だった。
甲冑が、跳んだ。実に美しい弧を描いて跳躍したのだ。そのスピードに追随できるライフルなどありはしまい。
案の定、
《がはっ!》
俺の通信相手だった狙撃手は、気絶させられたようだ。対戦車ライフルの次段装填にかかる時間と、あまりにも俊敏な甲冑の動きを考えれば当然のことだった。
《目標、北西の廃屋に確認! 狙える者は躊躇うな! 撃て!》
隊長の大声が響く。あちこちで、マズルフラッシュが瞬いた。だが、甲冑の装甲を破った弾丸は一つとして存在しない。装甲そのものの強靭さと、時折発生するバリアによって。
俺は自動小銃を構え直し、甲冑の隙を窺った。しかし、スコープを覗き込む直前、甲冑は驚異的な勢いで再び宙を舞った。その先にいたのは、
《ぐはッ!》
《た、隊長! くそ、くそおおおおおおお!!》
隊長がやられた。あの甲冑の勢いからして、手痛い打撃を喰らったのは間違いない。
それより問題なのは、司令官が不在となってしまったことだ。
指揮系統が滅茶苦茶にされた仲間たちは、あちこちで銃声を響かせた。が、それは甲冑に向かって『狙ってください』と言っているようなものだ。
「こちら石崎、全員引け! 撤退だ!」
《何言ってやがる、石崎!》
俺は舌打ちをした。慌てて銃撃するしか能がなくなった者がいては、部隊全体の混乱が深まるばかりだ。
幸い死者は出ていないようだ。だが、いつ死者が出てもおかしくない状況であるのに変わりはない。こうなったら、俺が甲冑の相手を務めねばなるまい。
俺は甲冑の、光沢ある装甲板を見上げながらそちらへ向かって駆け出した。
甲冑は水を得た魚のように、コンテナや鉄骨の間を飛び回りながら仲間たちを倒していく。あちらこちらで銃声が響いては沈黙する。
これ以上、やらせるわけにはいかない。俺は一つ深呼吸をして、再び発煙筒から煙玉を撃ち上げた。
夜空に赤い光が広がる。
同時に、この場に響いていた銃声が鳴りやんだ。他の発煙弾が上がる気配もない。そうか、他の連中は全員やられてしまったのか。
俺はコンテナに背をつけながら、自動小銃の弾倉を交換した。
早く来い。俺がケリをつける。
俺が唇を湿らせたその直後、
「ぐっ!」
巨大な太鼓を思いっきり打ち鳴らしたような重低音が、俺の全身を震わせた。同時に撒き散らされた砂塵がもうもうと吹き上がる。
俺は片腕で目を守り、屈み込んだ。砂塵が強引に振り払われ、一気に視界が晴れ渡る。そのまま転がって距離を取り、立ち上がると、
「!」
甲冑がその場で回転を終えるところだった。回し蹴りを仕掛けた直後の所作だ。両足で跳び込んで来てから即座に重心を移し、片足を挙げながら一回転、即座に相手の正面へと回り込む。間違いなく、場慣れした奴の動きだ。
俺は銃撃とバックステップを繰り返しながら、甲冑の動きを目に焼きつけた。
自動小銃を油断なく向けながら、俺はじりじりと後退する。
この廃棄区画の地図は、バッチリ俺の頭の中だ。上手く誘導すれば、勝機が掴めるかもしれない。
すると甲冑は、その背中からゆっくりと金属の塊を取り出した。巨大な斧だ。腰に差した刃物を使うつもりはないらしい。見たところ、その刃物は西洋の剣というよりも日本刀に似ていた。
俺は甲冑が斧を軽々と扱うのを見て、主力武器はその斧だと判断。その刃先と、柄を握り締める右腕に注目する。
十メートルほどの間を置いて、俺と甲冑は対峙した。
攻撃の火蓋は、甲冑が切った。先ほどまでの跳躍力を活かした戦いを止め、俺の前に立ちはだかるようにして斧を振り回してくる。
「はッ!」
素早い一呼吸を置いて、俺は後方へ跳びすさる。同時に顔面目がけて銃撃。弾かれる。
だが、俺は懲りずに銃撃を繰り返した。
だんだんと狭い路地に甲冑を誘い込む。支援部隊の到着まで、誰もこの戦闘には介入してこない。
俺だけで持ちこたえられるのか? いや、持ちこたえるしかないのだ。
轟、という擦過音。
空気が熱を帯び、僅かな真空が生まれる。それほどの速度と強度を兼ね備えた、巨大な斧の一振り。こんなものが相手では、俺のヘルメットなど何の役にも立たないだろう。
俺は慌ててバックステップし、俺より頭一つは大きい甲冑から距離を取る。反射的に自動小銃を向けるが、その九ミリ弾が甲冑に対して無力であることは既に明白だ。
俺は自らの戦略的な過ちに気づき、再び舌打ち。相手の得物が大振りであることから、俺は甲冑姿の敵を廃墟の一角に誘い込んでいた。これならその巨大な斧の扱いに手間取ると思っていたのだ。
甘かった。全くもって、読みが甘すぎた。
幅三メートルもないような鉄筋の間で、甲冑は悠々と大斧を振るって見せたのだ。まるで手にしているのがレイピアでもあるかのように。
結果、俺は牽制射撃をしながら自ら袋小路に追い詰められていく、という最悪のシナリオを辿っていた。
俺は、今度は左右にステップを踏んだ。攪乱できればと思ったのだ。しかし、
「ッ!」
完全に読まれていた。わきに跳んだ瞬間、ちょうど相手のリーチに入ってしまった。斧が振り下ろされる――俺の脳天をかち割る軌道で。
俺は咄嗟に自動小銃を両手でバントを打つような体勢で持ち、頭上をガード。直後、ズン、という重い衝撃が俺の全身を貫いた。
一瞬、呼吸が止まる。何とか衝撃を全身の関節と筋肉を活かして相殺する。
斧が一旦振り上げられる。自動小銃が盾になってくれたのだ。ふっと息をついたのも束の間、再び射撃体勢を取ろうとして、俺は愕然とした。
自動小銃が、中央から真っ二つにされていたのだ。
カタン、と落ちるバレルの前部。
「クソッ!」
俺は代わりに、というにはあまりに貧弱だが、拳銃を腰元から取り出し、すぐさまセーフティを解除。連射した。しかし、否、やはりと言うべきか、全弾が呆気なく弾かれた。
その間にも、甲冑は余裕で斧を振り下ろす。
俺は何とか、足首からコンバットナイフを取り出した。甲冑を倒すには、その装甲の隙間にナイフを突き入れる他あるまい。
俺は再び後ろへ跳ね、わざと隙を作ってみせた。すると、今度はうまく嵌められたようだ。斧は一直線に俺に向かって振りかぶられる。
「そこだッ!」
思わず声を出しながら、俺は一気に甲冑の懐に踏み込んだ。狙うは相手の右腰、すなわち左側だ。
せめて一矢報いることができた、と思ったその時、
「!?」
ナイフを握った俺の左手が跳ね上げられた。宙を舞うコンバットナイフ。甲冑による見事な膝蹴りが、俺の手からナイフを弾き飛ばしていた。これまた完全に、敵に読まれていたことになる。
カタン、チリンと遠くで音が反響し、ナイフは使い物にならなくなった。
今度こそ万事休すだ。ダッシュで逃げても投擲物で後頭部を打たれ、昏倒するか、最悪即死だろう。
すると甲冑は、再び俺に近づき始めた。
「くっ……!」
ここまでか。俺は膝から崩れ落ちた。戦闘員の最期など、こんなものか。
と思っていたのは、肩に誰かの手の温もりが伝わってくるまでのことだった。
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