St.Valentine's day:梨紗の場合


梨紗りさちゃんー! ごめん! 待ったぁ?」


 個別塾でのアルバイトを終えた小宮航こみやわたるは、梨紗から突然呼び出しをくらい、大急ぎで待ち合わせ場所である都会の某所へやってきた。


「おぅっ、お疲れ。何かいつもと雰囲気ちがくね?」

「うん。バイト先、スーツじゃないとダメなんだ」

「ふーん。何だかお堅い感じなんだなっ」

「そうなんだよねぇ。それより、どうしたの急に?何かあったの?」

「は? わたるボケてんの? 今日呼び出すってひとつしかねぇじゃん。バレンタインだよ」


 一瞬の間ののち、航は顔を驚きで強張らせた。まさか梨紗からそのワードが飛び出すだなんて。


 女子であるにも関わらず女子的な所から結構遠くに位置しているのが梨紗なのだ。


 聞き間違いかと疑心暗鬼になりかけたが、梨紗がズイッと突き出してきたCrystalクリスタルカラーの水玉模様のラッピング袋を見て、明鏡止水の如く航の心中は晴れやかになった。


「わ! ほ、本当に!?」

「何でこんなことで嘘つかなきゃなんねーんだよ。あ、言っとくけど義理だからな、義理。変に浮かれたりすんなよ」

「しないよぉ。でも、嬉しい、ありがと……」


 ラッピング袋を開いたわたるは声を消した。そして彼を包む周囲のノイズはミュートした。震え始めた手で中身を取り出す。


 姿を現したのは茶色の液体が入った三百五十ミリリットルのお手頃サイズのペットボトル。ご丁寧に首の付け根には黄色のリボンが結びつけられている。


 率直な、


「あの……えと、り、梨紗ちゃん、これぇ、何?」


 航の感想。



「ドリンク式のガトーショコラ」


 

 得た回答に意識が遠のいていく。


 わたる梨紗りさが発しているのは宇宙言語なのではないかと錯乱し始めていた。


 ドリンク式のガトーショコラなんて聞いたことがない。仮にそう言う商品が存在しているとしても、この液体は見てくれからして何かがおかしいのだ。


 ただ、ここで嫌な顔を見せれば梨紗にこの場で殴り殺され兼ねない。今繕える精一杯の笑顔を見せ、無理矢理航はテンションをハイに持っていくことを試みた。


「へ、へぇっ! す、凄いねぇ。初めてだよ。こう言うの、もらうのー」

「だろ? 仁子ひとこん家で杏鈴あんずと三人で作ったんだ。で、ちょっと上手く膨らまなくてさ。捨てるの勿体ないから仁子ん家から持って帰って、あたしなりのアレンジを加えてみたんだっ」


 わたるは理解した。これはバレンタインの贈り物ではない。ただの嫌がらせの賜物だ。単純に失敗物を押しつけられている、それ以外の何でもないのだ。


 航はさらに、無理矢理口角を引き上げた。


「へぇえーえぇ。ア、アレンジ、かぁ。梨紗りさちゃん、ほんとに、凄いなぁ。あっ! これのことかな? この浮かんでる白いやつ、マシュマロ?」

「それそれ! それな、タコ」

「んっ?」


 遂には自身の聴覚の崩壊を航は疑った。


仁子ひとこが昨日言ってたんだ。食感? があると食べてて飽きがこないって。だから炙って入れてみたんだ。コリコリしてるしいい感じっぽくね? まぁタコ仮になくても多少の食感はあるっちゃあるんだけどなっ。所々浮かんでんじゃん? 小麦粉のダマ」


 高速でまばたきを繰り返しながら航はおぞましい液体を吐きそうになりつつも隈なく観察する。梨紗の言う通り、浮かんでいるダマ達はタコと共に至上最低のコラボダンスを披露している。


「へえええぇえぇぇぇ。ざっ、ざんしーんだね!」

わたる、お前、もしかして……」


 異星からの刺客(梨紗)に本心を読まれたか。見られているだけであるのに息の根を摘ままれたような気持ちに襲われた航は額に冷や汗を滲ませる。



「タコじゃなくて、イカがよかったのか?」



 もう、いちミリも梨紗の思考についてはいけない。


 そして勝手に解釈され話しは進められていく。


「だよなぁ、イカと実は迷ったんだよ。わりぃな。来年はより豪華にミックスにするからさ、今年はこれで我慢して。さ、飲んでくれっ」

「へ? 今?」

「いつ飲むの? 今でしょっ!」



 こうして航は梨紗にその場で“いんガトー”を強要され、お星様腹痛になりましたとさ。


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