2月14日

St.Valentine's day:杏鈴の場合


つばさくんっ。じゃじゃーんっ」


 杏鈴あんずのバイト先、“cafe greenhouse sea海の温室”のテラス席で、いつも通りホットのブラックを嗜んでいるのは新堂翼しんどうつばさだ。


 基本クールな性格の翼だが、杏鈴がトレーに乗せ運んできた一枚の大皿には、軽く目を見開いた。


「……おぉ……どうした」


 目の前に置かれたのは、苺・バナナ・キウイ・白桃がたっぷり乗った豪華なパンケーキ。大皿の隅には小さな楕円形の器に入れられたホイップクリームとチョコレートソースが置かれている。


「今日バレンタインだから。サービスっ」


 そう言い杏鈴あんずが大皿の左側にスッと置いたもの。それは昨日 仁子ひとこが用意していたCrystalクリスタルカラーの水玉模様のラッピング袋だった。


 その上にシルバー色のフォークとナイフをそっと揃えて並べる。本来この袋は完成したガトーショコラを包んでいるはずだったのだが、有効活用とはまさにこのことだ。


「……すっかり忘れていた」

「ほんとに? じゃぁプチサプライズになったね。嬉しい」

「……お前が作ったのか?」

「うーん、えっと、内緒、かな」


 翼の問いにチラリと宙をなぞるように視線を動かしてから、杏鈴はキュッと悪戯気に口角を上げて笑んだ。


 店のメニューにはないパンケーキを生地から作り、ふんわりと焼き上げてくれた心優しき店長の傍らでフルーツ達をいかに美しくカット出来るかに全精神は注ぎ込んだものの、作ったと言うにはほど遠い。


 そんな杏鈴あんずの心に潜むは、いつもよりちょっと可愛めを意識し笑っておけば、つばさが深く追及してくることはないと言う魔性的確信、恐ろしや。


「……何だそれ……」


 確信通りと言うのだろうか。どこか愛おし気な柔い笑みを浮かべた翼が、隣の椅子へ腰を下ろした杏鈴の頭部へと右手を伸ばしたその時だった。


「ハーロゥ♪新堂しんどうちゃ~ん、抜け駆けは頂けませんね~」


 翼の右手にはむにゅっとした感触。それは突如現れ杏鈴との間に割り込んできた自称さすらいの旅人・白草賢成しらくさまさなりの左頬だったのだ。


 その手を即座に引き、汚れでも掃うかのようにブンブンとさせると、翼は“ドン引き”の文字を顔面中に敷き詰めたような表情で賢成へ蔑むように言い放った。


「……いいか。耳をかっぽじってよく聞け。貴様は単純に、気持ちが悪いんだ」

「え~!? 何が~!? どこが~!? あっ、美味しそう、苺ちゃんも~らいっ♪」

「……はっ? 貴様ふざけるな、苺は俺のものだ。と、言うよりこれは全て俺のものだ」

「いいじゃんケチンボ~、じゃぁバナナにしよ~」

「……貴様……帰れ、今すぐにここから立ち去れ」


 翼と賢成まさなりの口論は始まってしまうと中々終わらない。


 それを知る杏鈴はくすくすと小さく笑いを漏らしながら人差し指でホイップクリームを掬いペロッと舐めると、店内のカウンターへと、こっそり戻ったのであった。

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