幸せを奏でさせて。

橋見 凛(たちむ)

第1話 いつもの道。

―――ラブロマンスなんて糞食らえだ。


 一番お盛んであろう時期の女子大生に不相応な毒を心の中で吐きながら、目の前でイチャつくカップルを奏枝は睨み付けた。当の二人はお互いに夢中で彼女の存在など認識していない。

 歯の浮くような愛の言葉。虫唾が走るほどの執拗な触れ合い。

 全て鬱陶しいだけだ。

 今朝は1限から空きコマもなく5限まで講義を受け、その上閉めの時間までバイトを熟した奏枝にとって帰路の公共交通機関は数少ない安らぎの時間なのだ。この頃ハマっている曲を聞き流しながら、家の最寄り駅につくまでの間、目を瞑って眠るもよし、小説を読み耽るもよし。知人と遭遇し世間話を強要されるのは好ましくないが、名前も年齢も知らない、しかも恋愛ドラマの主人公気取りの男女に妨げられるなどもっての他だ。

 彼らのおかげでイライラが募り、眠気も覚め、小説にも集中出来なくなった奏枝はそんなことを考えながら窓の外を流れる景色に視線を委ねていた。それでも時折、視界に入り込んでくるカップルの動きを、他の乗客は気にしていないのだろうか。

 最寄り駅が近づいたことに気が付くと、一瞬だけスマートフォンを点け、ロック画面の通知を確認する。歩きスマホが嫌いな奏枝は必ずこのタイミングで確認する。通知は0件だ。確認を終えるとすぐさまスマートフォンをコートの右ポケットに仕舞い込み、支度を済ませると、いかにもな不機嫌を装って例の二人をきつく横目で見ながら降車のため足を進める。

 二重瞼で目力の強い彼女は、時折、周囲から威圧感があるといわれる。登下校中は暗めの紫色をしたヘッドホンによってさらに威圧感が増す。男女はそれでも奏枝に気付かない。気付かないふりをしているだけなのだろうか。

 改札を抜け、駅を出て、等間隔に並べられた電灯の下を歩く。最寄り駅といえど、片道徒歩25分。バスはこの時間帯、すでに走っていない。しかし長い道のりも音楽をお供に付ければ、体感時間も何もないよりは短く感じる。歩いている最中に読書が出来るほど器用ではないので音楽だけが拠り所だ。

 電灯はあるものの、すっかり辺りは電気も消えている家が多い時間、薄明りを頼りに家に着く。

 明りの灯っていない家を一瞥すると、鍵穴に適当な鍵を差し込み施錠を解除する。玄関の戸を開け誰もいない部屋に靴を綺麗に並べてから、慣れた動きで入る。同時に唇から零れた溜息は帰宅による安堵からか、或いは、1日の疲労からか、両方が入り混じっているのだろうか。

 結論は出ないまま、夜の身支度をして次の日に備え眠りにつく。

 大学の級友たちは学校に近いところで一人暮らしをしていたり、少し離れた実家から電車やバスで通学していたりするが、一人暮らしなのに電車で通学しなくてはいけないことが、奏枝にとっては、いつまで経っても解せなかった。

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