第4話
何日か天気の悪い日が続き、この日も朝から空は一面灰色で雨のやむ気配はなかった。しかし地下にあるこの店にいればあまり気にせずに済んだ。
「こう天気が悪いと頭が痛くなってきますねえ」
僕は望華さんに話しかけた。
「ええ、お出かけするのも億劫になってしまいますよね」
いつものエプロンドレスを着替えて休日を過ごす望華さんを思い浮かべ、その隣を一緒に歩けるなら今日のような雨でも全然億劫じゃない、と思ったがさすがに口には出せず、代わりに
「あ、でもここになら台風の日にだって」
と言いかけたときだった。
勢いよく入り口のドアが開き、落ち着いた店内に似つかわしくない激しい音を立てた。
開いたドアから身を乗り出したのは、全身雨で濡れ鼠と化したらいむだった。
肩で息をして、曲げた膝に手を付いてかがんでいた。顔は垂れた髪に隠れて見えない。僕は面食らい、店内の他の客も、望華さんやカウンターの中の店長も皆らいむに釘付けになっている。
電話も無視し続け大学でも避けていたから、直接話しに来たのだろう。傘もちゃんと差さずに雨の中走ってきて、この店の薄暗く長い階段も一気に駆け下りたに違いなかった。
どっちにしても乱暴すぎる入り方を咎めるべきだろう。そう思って席を立ち、らいむに歩み寄った。
望華さんが僕の後ろで戸惑っているのがわかった。
らいむもそれと同時くらいに上体を起こし、いかにも思いつめた様子の眉根となにか叫びだしそうに開いた口を見せた。
しかしらいむはそれ以上店内に踏み込まず、感電したように動きを止めた。
僕を責めようとしていた様子だったのに、目は僕を外れて大きく見開き、店内全体に向いていた。
瞳孔が開き、顔面に幽霊でも見たかのような凍りついた恐怖の色を浮かべていた。
僕はいぶかしみ、
「おい」
と声をかけたが、らいむは何も言わずきびすを返した。
そして、入ってきたときと変わらない勢いで店を出ていったのだ。
振り向くと皆唖然としてこっちを見ていた。
「ああ、皆さん、僕の知り合いが突然失礼しました。後できつく言っておきますので、どうかお気になさらず」
僕がそれだけ言うと、常連客は皆安心して席に着いた。望華さんは心配そうにこちらを見ていた。
「すいません、大丈夫ですよ」
と僕が言うと、望華さんは表情をゆるめた。
店長だけはカウンターの向こうで浮かない顔をしていた。望華さんが心配してくれたのとはまた少し違うことを気にしていたようだった。
ずっと取らなかったのにこちらからかけるのはやや屈辱ではあったが、帰ってかららいむに電話をかけた。
しかし、昨日までのあちらからの着信音と同じくらいは待ったがらいむは出なかった。
この手のひらの返しようは一体なんなのだろうか。
まあ、これならわざわざ避けなくても今後らいむに煩わされることはなさそうだ。そう思って、電話を切って寝床に入った。
しかしあの、なにか信じがたい物、というより理解できない物を見たような表情はなんだったのだろうか。やはりプラネタリウム・カフェにはなにか秘密があるのだろうか。
だからといってコーヒーの出所の秘密が今日のことと関係があるとは考えにくいのだが。
結局その夜はらいむの形相とコーヒーの謎が頭に絡み付いてなかなか寝付けなかった。
翌日。寝不足と嫌な天気が合わさって頭痛がひどかった。
こういうときはやはりコーヒーを飲むに限る。僕はいつもの階段を下りた。
だがどうも雰囲気が違う。いつものような安らぎと気分の高まりがなかった。いくら静かな店でも物音がしなさすぎるからか。
入り口のドアまで来てみれば、張り紙の文面に落胆させられることになった。
「まことに申し訳ございませんが、都合によりしばらく休業します」
がっくりと肩を落として帰ることになった。
店が休んでいる間なんとか代用コーヒーでしのぐことはできなくもない。プラネタリウム・カフェに出会う前に苦心して編み出した、各種代用コーヒーを混ぜ合わせてできるだけ本物の味に近づけた配合比率はまだ覚えていた。
しかしやはり、あの完璧な味わいには程遠いこともよく覚えている。
それにプラネタリウム・カフェは僕にとってコーヒーが飲めるというだけの場所ではなかった。
昨日店長はなにも言っていなかったし、今までも毎週木曜の定休以外プラネタリウム・カフェが休んだことはまったくなかった。
なぜこんなに急なのだろう。昨日のらいむのことと関係がなければいいが……。
部屋に帰ってほんの少しのところで電話の着信があった。
らいむからかと思い神経が張り詰めたが、北見からだった。
「おう青山、こないだお前コーヒーのこと聞いてたよなあ。あれって本物のコーヒーを出す店があるってことか?」
この間はらいむを連れてきて後悔したのもあって、プラネタリウム・カフェのことはなるべく人に教えないほうがいいと思っていたので北見にも店のことは言わなかったが、気付かれてしまったようだ。
隠し続けても意味はないだろう。
「ああ、実はな。なにかコーヒーの産地の手がかりでもあるのか?」
そう言うと北見は言いよどんでうめき、
「まあそういうことではあるんだけどなあ、ただこれを言うとお前が少々ショックを受けるんじゃあないかと思って、ちょっと言いづらいんだが……一応、聞いとくか?いや、ほんの可能性にすぎないんだが……」
どうやら心当たりがあるらしかった。そういうことなら、今はどうしても聞かずにはいられない。
「話してみてくれ」
北見は咳払いをした。
「実は最近、変わった事件があってな、」
そう切り出して北見が提示した可能性は、確実だった。確実で、残酷だった。
店の内外の様子、コーヒーの感想、昨日からの出来事。
北見に詳しく話せば話すほど、その可能性は真実味を増し、避けて通ることのできない、そのとおりとしか思えない頑丈なものになっていった。
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