第8話 箱庭(せかい)の内外
機材の撤収が終了した後、先に後退を開始した拓海の足跡を追うように移動を開始する。
「…情報を更新します。飛来予想の規模、修正なし。変わらずT1の予想」
「落着までの時間予想が、存外早いんだよね。天文観測所も疲れてるかな?」
警報が更新される度に警告音が鳴り響くコクピット内で、ボクは前方モニターを睨むように見つめながら、操縦桿を握っていた。
障害物を探知し、その脅威度を分析する役目を追うセンサーが忙しなく、それこそ矢継ぎ早に送ってくる情報に押し流されないよう、バイクに乗る時のような前傾姿勢気味の体勢を維持しつつ機体を運んでいく。
機体の下方からは、石などを弾き飛ばす音が絶え間なく聞こえてくる。
「…観測の遅れは、致命的な被害を生む可能性がありますが、天文観測所はどの様な運営がなされているのでしょう。疲労が継続するような状態なのでしょうか?」
八意が事務的な口調で疑問を発した。
「うーん…。向こうも多忙なんだと思う。しかも最近、専門職員の養成が間に合わなくて、人手が足りてないって噂もあるからね」
機器の操作、障害物の回避をこなしつつ、自分の考えを以て返答する。
「それは由々しき問題ですね。教導学校への意見書を投函するべき事案かと思われます」
「…と、言ってもね。生徒の希望進路については、当人の意向を最大限尊重して強制しないって言うのが、東京塔中央審議会と教育委員会の決定だ、って、向田先生も言ってたからね」
向田先生とは、教導学校時代のクラス担任の名前で機械工学の研究者。そして元大手企業の技術主任と言う経歴を持つ初老の男性教師である。
ちなみに、ボクが技術者としての道を歩むきっかけを作ってくれた恩師でもあり、自分が卒業した今でも親交があった。
「…公に属する役職の人間は、大変なのですね」
「そんなところだろうね。まあ今度、先生に手紙でも送ってみるよ」
そう言う会話を交わす中でも、チェイサーはガタン、ゴトンと言う音と共に前進する。
夜の暗がりが帳を下ろしていくその向こう側に、防壁機能によって生じた夜光に輝く東京塔と、その周辺の境界部に展開しているヴェールのような防壁が見える。ただ、防壁の影響か、輝く東京塔とビル群が、僅かに歪んでいた。
その光景は綺麗ではあったが、何処か空しい、遥か遠くの景色に感じた。
一方、その頃。東京塔近辺に存在する中央審議会災害対策本部では、今回の天の涙の断続的な飛来について、情報収集に奔走させられていた。
「はい。ですから、今回の「涙」の連続した飛来につきましては、報告が錯綜している関係で、未だ確たる情報の選別が行えない状態で御座いまして。はい…はい…。無論、全力を尽くして情報収集に当たっておりますので、一時間以内には上げられるかと…」
災害対策本部にて本部長を務めている男、下嶋も、次々に上がってくる各部署からの報告を纏め終わる間もなく、本部長室にて、上位部署に当たる中央審議会執政課からの問い合わせの処理に追われていた。
「はい…はい…。では一時間後に。失礼致します…………はぁ」
どうにかこうにか話を纏めた彼は、重々しく受話器を置き、大きく息を吐いた。
こういうやり取りを、ここ三十分の間に三回ほど繰り返していた。
「お疲れ様です。本部長」
そのような彼のデスクに、そっと緑茶を淹れた湯呑みを置く女性が一人。
「ん?ああ、綿貫君か。君もご苦労様。いや参ったよ。この手の情報遅延が都市塔行政に大きな影響を与えることは重々承知しているが、執政課が、まさかここまで慌てふためくとは…」
湯気立つ湯呑みを持ち、お茶を喉に流しこむ。
「仕方ありませんよ。選挙が行われて、まだ日が浅いですから。新生された執政課がまだ不慣れなのでしょう。しかも前塔知事の猪子原さんが何故か選挙を辞退されて、新人の方が当選されましたし」
綿貫と呼ばれた女性は、下嶋の言葉に顎に手を当て、自分の考えを述べた後で苦笑を浮かべた。
「ふぅ。新しい風と期待したんだが、新鋭と言うのも時には考えものだな。ところで、件の天文観測部との連絡不調は、回復したかね?」
湯呑みを置いて一拍置いたあと、下嶋は職務に関する話を進めることにした。
「はい。どうやら「涙」の襲来時に起きた衝突で、通信機器に不調が出ていたようです。今は通常通りに機能していると報告がありました。テイカーの方々にも、防空課所属のシーカーを経由する形で、情報を伝達したと言う事でした」
「そうか。取り敢えずは、一安心だな。今回の規模発表については、何か言っていたかい?」
「クラスT1…で、変更なしとのことで、その前のクラスT2の襲来とは別枠として発表すると言う事でした」
「分かった。では、執政課のセンセイにも、そう伝えておくとしよう」
電話の横に置いてあるメモ用紙に、走り書きのような形で綿貫からの報告の要点を書き留めて行く。
「では私は、もう一度、各部署を回って情報を集めてきますね」
「ああ、頼むよ。おっと、そうだ。綿貫君!」
一礼して本部長室を後にしようとしていた綿貫を、下嶋が呼び止めた。
「はい?何か?」
「この後、報告を纏めて、事態が一段落したら早くに上がっていいからね。他の、家族にテイカーが居る職員にも、同じように伝えておいてくれないかい?」
「…あ、なるほど。はい、確かに承りました。では、早上がりの希望者についても、調べて纏めておきますね」
下嶋の計らいの意図を汲んだ綿貫は、笑顔を浮かべて、そう返して見せた。
「すまないね、頼んだ!」
「はい!」
そうして、遠くにて状況と戦う二人も、仕事に戻って行くのだった。
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