第6話 涙に沈んだ廃墟


 鉄、或いはコンクリートの軋む音。

 原形を留めぬほどに折れ曲り、汚れきったガードレール。

 その一方で、大穴の開いたビルがあれば、経年劣化以外で殆ど崩落していない家屋もある。

 首都高から降りた先には、概ねそのような景色が広がっていた。

「うーん…」

 旧豊島区役所の敷地内から空を見上げる。センサー越しではあるが、雲一つ無く晴れていることが分かる程に、綺麗な星空が広がっていた。

 果たして、その内の幾つが、この先この地上に降り注いでくるのだろうかと、そんな益体も無い事を考えて思い切り苦笑する。

『皐月ー。敷地内は安全そうだったぜー。特に新しい崩落個所も無いみたいだし。向こう側の防壁の綻びも、特に無かったぜ。あと、ついでに涙石の反応も見てみたが、お前が最初探査した通りに、何もなかったぜ』

 そんな事を考えていると、先行して敷地内の安全確認を行ってくれていた拓海が戻り、結果報告を送ってきた。

「そっか、有難う。あーあ、補助防壁に綻びが出たって聞いたから少し期待してたんだけど、やっぱり午前中の情報じゃダメだったかぁ。情報は新鮮なうちに熟考せよ、だね。それじゃ、更新宜しく、八意」

「はい、マスター。地図情報の更新を行います」

 そのデータを即座に八意へと入力し、バックグラウンドで地図情報を処理させる。

 モニター上の地図にピンを刺すように、経由地として利用したことと、提供情報の空振りを示す印が付いた。

「拓海も有難うね。あと、無駄骨折らせてゴメン」

『気にすんなって!お宝探しは、外れもあるから当たりが倍以上も嬉しくなるもんだしな』

「…言われてみれば、そうかもね。なら、今度は大本命目がけて行きますか!」

『おう!境界部の外へ、レッツゴーだぜ!』

 その上で、再び機体を走らせた。四脚の人型が夜の廃墟を疾駆し、周囲に音を響かせた。


 境界部と言うのは、簡単に言えば、都市部とその外部との中間地点、区切りとなる緩衝地帯の事を示す。他の都市塔では知らないが、少なくとも東京塔では。

 今の時代、都市塔とその機能を有する施設の庇護下でしか安定して生きることの出来ない人間は、しかし、その生活圏を少しでも広げようと、この数百年の間で技術を磨き、改良を繰り返し、どうにか塔の防壁の模倣品を作り上げることに成功した。

 その後、東京塔の人々は、この模倣した技術を用いて生活圏の周辺区域の調査を開始。チェイサー等も縦横に活用しつつ、当初の予想をはるかに上回る速度でこれを推し進めた。

 その結果、東京塔の人々は新たに半径四キロメートル強の範囲を活動領域として組み込み、同時に、そこに眠る豊富な資源を発掘する権利を得ることにも成功したのだった。

 その新たに獲得した活動領域こそが「境界部」と呼ばれている場所だった。


「マスター。あと三分程で、補助防壁の庇護圏ギリギリの位置に到達します。資源回収前の準備をお願いします」

「ああ、分かってるよ。すぐに動き始めるはずさ」

 機器を操作し、スイッチを切り替え、四脚移動状態で障害物を避け続けている機体の姿勢を安定させる。

 そのまま東池袋、東口五差路と交差点を次々と経由し、旧池袋駅前まで進行、そこで一旦停止した。

 そこの近辺が、境界部の端に位置する場所だったからだ。

「旧池袋駅前に到着しました。境界部防壁の庇護圏外まで、あと二百メートルです」

 八意が、注意喚起の意味も兼ねて情報を伝える。地図情報を見れば一目瞭然ではあるが、こうして言葉として伝えられると、不思議と意識して気が引き締まる思いがする。

『池袋駅かぁ…。昔って、ここ物凄く活気があったんだろ?有名な商業街とかで』

 隣にチェイサーを乗り付け、周囲を観察していた拓海が興味深そうに通信を送ってきた。

「そうだね。今は防壁内部で商売している有名なグループとかも、ここの周辺に百貨店を持ってたとか何とか。しかも、一日の利用者平均が二六〇万人超えてたらしいから、それはもう凄い賑わいだったろうね」

 過去の資料を参照した知識だった。

『へー、スゲェな、そりゃあ。一流な感じの場所だったんだな。まあ今は、涙の直撃で崩れてっけど。しっかし、ここ待ち合わせとか大変そうだよなー。何か広いし』

「聞いた話だと、東ってついてるのに駅の西口側に有ったりとか、西ってついてるのに駅の東口側にあったりとか、凄い混沌としてたみたいだよ?」

『うっげ、何だそりゃ。混乱するわ』

 これも過去の資料から抜粋した知識であり、本当にそうであったかは定かではない。

 もしも本当にそうであったなら、煌々と夜を彩る数多くの光。楽しげに、或いは忙しなく人が往来し、大勢が、それぞれの日々のあれやこれやの悲喜交々に一喜一憂していただろう。

 この廃墟が、かつてどのような場所だったのか、そのような想像をするだけでも、冒険心的な興味で心が躍りそうになる。

 しかし。

『…何か、悲しいな』

「……災害当日も、それなりに人が居たと思うし、どう、なったんだろうね。その人達は」

 そう意味の無い言葉を口にしながら、改めて視線を駅の建物に開いた大穴へと向ける。

 穴の周辺は溶融したような跡がはっきりと付いており、そこに涙による直撃か、それに近い何かが発生したことを窺わせる。加えて周辺は崩落が酷く、それだけでもう、推察するには十分だった。

 どうしようもなく沈黙が包み込む。

『ま、まあ、気分を湿気らせても仕方ない!早く涙石を回収して、凱旋と行こうぜ?な!』

 拓海が明るい声で、そう言い放った。

「ん、そうだね。それもそうだ。今回は大きく稼げるチャンスなんだし、こんなところでいちいち落ち込んで居られないね!」

 彼の言葉に同調し、どうにも感傷的になっていた自分に喝を入れるように力を入れ直し、ペダルを踏み込む。機体が前進し、旧池袋駅を線路沿いに迂回していくのだった。

 境界部の終わりまで、あと百メートル。


 さて、防壁の外とは、どのような世界なのか。

 「落涙の日」直後、大きな混乱で、遠隔地との通信手段を限られた範囲に絞られた人々は、挙って情報の収集に走った。

 果たして世界に何が起こったのか。家族は、友人は、恋人は。自分達以外の人類は生きているのか等々。いち早く知りたい情報の獲得に奔走した。

 その結果として得られたのは、防壁の庇護の外部では長期的な生存は適わない世界になってしまったと言う事実だけだった。

 涙の落着直後の、涙石と呼ばれる隕石本体由来の現象による侵食もそうだが、何より、熱と衝撃による物理的な破壊が小規模ながらも超広範囲に及んでいた影響が大きかった。

 直後の侵食を免れた地域ですらも、破壊が原因による物資の不足から、中長期的な生活圏確保はおろか、一週間程度を生き延びることさえも困難な環境となっていた。

 当然、防壁を発生させる機能を有した塔や、同様の機能を有する類似設備のある都市や地域は被害を免れたが、それ以外の地域や都市は、前述の通りに、天より滴り落ちた涙の雨に、為す術もなく沈んだ。

 大雑把に説明するとすれば、防壁の外はそのような状況だった。


 境界部を抜け、補助防壁を超え、旧板橋駅周辺に至った二人が目にするのも、概ねその様な景色だった。

 落着によって出来た陥没が、隕石本体の高温によって溶融した事が窺える窪みが所々に点々と存在している。その殆どは先程の落着以前に穿たれたもので、その中央には何故か氷が張っており、周囲はカラカラに乾燥している。

 周辺には、二人の他には誰も居ない。

「周辺の侵食強度、順調に低下中です。侵食反応により、涙本体の冷却が急速に進んでいる模様」

 八意が、周辺の空気中に漂う成分から分析した情報を報告してくる。

「分かった。ゆっくりもしてられないけど、慎重に探そうか。チェイサーの脚部を走行から歩行モードに切り替える。八意は探査を進めて」

「了解です、マスター」

 収集された情報から、割かし近くに目的の物が埋まっていると睨んだボクは、手早く機器を操作して機体の脚部を基本の形へと戻していく。この操作により、車輪状になっていた脚部の先端が分かれ、大地を踏むことの出来る足へと変形した。

「拓海、そっちも準備は良い?」

 センサー情報で、自機の右斜め後方に居る拓海のチェイサーに向けて通信を送る。

『ああ、いつでもバッチリだぜ』

 視線を向けると、彼の機体は既に変形を終えていた。

「はは。手早いね。了解だよ」

 流石に気が早いと思ったものの、この状況に逸る気持ちも十分に理解出来るので、微笑してその声に応えた。

 すると。

「マスター、目の前の窪みに、涙石の侵食反応の残滓を検知しました」

「お、早速来たね。どれどれ…」

 正面モニターに、センサーによる探査結果と、それによって得られた情報が列挙されていく。多数の当たり反応と、それ以上の数の違う反応と詳細を整理し、必要項目だけが抽出されていく。

 機器を操作し、抽出された情報のみを画面に残す。

「それじゃ、他が来る前にさっさと回収してしまおう。拓海ー、今の声聞いてたよね?やるよ!」

『おう!しかし、やっぱお前のカンは当たるな。こっちに来て正解だったぜ!』

「最初が外れたから心配してたけど、無用だったみたい。良い数の反応があるよ。これなら期待できるんじゃないかな?」

『マジで!?うお、マジだ!これ全部回収出来たら、山分けしても、チェイサー整備したうえで当面の生活費が確保出来るぜ』

 拓海の興奮した声が聞こえる。

 質に左右される等の不安定さがあるとは言え、そう言い切れてしまう程に涙石の単価は高い。テイカー達が挙って涙襲来の後に鉱物資源を追い求める理由の一つと、先ほど拓海が「宝探し」と称した理由が、それだった。

 しかも、そんなお宝がほぼ独占できる状態と来れば、まさに一獲千金の好機と言える。

 二人は早速、涙石回収の準備に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る