朝、私の目覚めは最悪だった。

 生乃の新術といい、梓の本当の顎といい、この分なら宝条とか言う女の力も、私を超えているかもしれない。

「…面白く無いわ!!」

 寝癖で跳ね上がっている髪を掻き毟る。

 この屈辱を晴らす為には、北嶋 勇が帰ってくる間、あと4日か。4日間で梓達の力を超えて、神の呪いを私が解く以外に無い。

「…私は天才!水谷一門最強よ?4日もあれば、梓なんて飛び越してやれるわ!」

 幸い師匠の屋敷には、術に関する書物が沢山ある。

「そうと決まれば…」

 書庫は確か屋敷一階の外れにある筈。

 思い立ったが吉日と、すぐに書庫へと向かった。

 しかし、直ぐ自分の泊まっている部屋に帰った。

「寝癖が酷かったのを忘れてた…」

 あっちこっちに跳ね上がっている髪、更に先程苛立ちにより掻き毟ったもんだから、より酷さがアップしている。

「取り敢えずシャワーでも浴びよう」

 女の子にとっては身嗜みが一番大事だ。新術を取り敢えず置いておき、シャワーを浴びる事にした。

 シャワーを浴びる為にお風呂に行く。

 屋敷のお風呂は広い。ちょっとした銭湯なんて、比べ物にならないくらい広い。

 何かの機械により、24四時間、常に沸いている状態だ。

 普段は弟子達が入るが、今はお客優先。弟子達は深夜に入っているようだ。

「私は今、お客。全く問題無いわ」

 とは言え、早朝の風呂場には誰も入っていなかった。貸し切だ。誰も居ないならば泳ぐ事もできる。

「まぁ、そんなガキみたいな真似はしないけどね」

 洗い場でポーチを広げ、ボディソープやシャンプーを取り出す。

 一応備え付けてはあるが、私の肌には安物は合わない。だから持参してきたのだ。

 全部取り出した筈のポーチが、何故か膨らんでいる。

「変ね…ボディソープでしょ?コンディショナーでしょ?」

 調べてみたが、やはり全て出揃っている。

 ポーチをひっくり返して、中身を出した。

「あれ?そういえば」

 すっかり忘れていた。

 屋敷の地下にあった木箱から出てきた金の箱。

 取り敢えず持ち出したのはいいが、面倒になり、ポーチの底に突っ込んでおいたのだ。

「なんだ。そう言えば、少し重いかな~とか違和感があったなぁ」

 金の箱を手に取り、隈なく見る。

 金の箱は、金箔じゃない、全部本物の金で作られていて、装飾も見事だ。

「これにナーガが入っていたのよね」

 しかし、今は入ってはいない。尚美に取り憑いたんだから。つまり、この箱は、単なる美術品となった訳だ。

「…私が貰っても構わないよね?」

 辺りをキョロキョロと見る。

 当然ながら誰もいない。

 再び、金の箱をポーチに突っ込んだ。

「ちょうど新しいバッグが欲しかったんだよね~」

 これだけ立派な美術品なら、かなりの額のお金になる筈。もしかしたらフェラーリも買えちゃうかも?

「流石にそれは欲張り過ぎかな!」

 クスリと笑い、湯船に飛び込む。

 水飛沫が派手に上がる。

 それが収まった刹那、黒い影が目の前にあった。

「え!?」

 しかし、瞬きをした瞬間、黒い影は見えなくなっていた。

「なんだ…気のせいか。イャッホー!」

 思いがけずに大金が手に入る喜びで、私は湯船で思いっ切り泳いでしまった。

 お風呂から出てさっぱりとした私は、泊まっている部屋に向かって歩く。

 途中、姉弟子達と出くわして、何かおかしな表情を見せたが、気にしてはいけない。

 どうせ手伝いもしないでお客様差し置いてお風呂へ、みたいな感じなんだろう。

 ともあれ、部屋に着いた私は、さっきの金の箱をポーチから取り出した。

「いくらになるのかしらね…」

 凄いワクワクしてきた。ワクワク過ぎて箱を振ってしまう。


 カラカラカラカラ


「ん?」

 何か入っている?

「何が入っているのかな…ん?」

 箱を開けようとしたが、よく見ると蓋らしき物が無い。

 しかしカラカラと音がしているからには、何か入れた証拠でもある。

 箱を回したり、ひっくり返したりして、隈なく調べた。

「あ!!」

 何回か箱を捻る真似をした時、箱がズレる。

「開いた!!」

 ズレた箱を上下左右に引っ張った所、見事に開いたのだ。

 箱の中身を覗くように見た。

「ん?んんん?」

 何か木の破片みたいな物が目に入る。

 それをヒョイと摘み、ジーっと見た。

「ひゃあああ!!」

 それが何か気が付いた私は、それを部屋の隅に放り投げた。

「あ、あれは蛇のミイラじゃない!!」

 見てしまったのだ。黒い木片に見えた物体の一部から、牙が覗いていたのを。

「うわあぁ!!気持ち悪い!!わぁあ!!嫌だ嫌だ!!」

 私は蛇のミイラを割り箸で摘み、ティッシュでくるむ。

 そしてトイレに行き、蛇のミイラを流した。

「あんなのが部屋にあったら、気持ち悪くて寝れやしないわ!!」

 流れて無くなるのを確認した私は安堵して、再び部屋に戻った。

「箱を誰かに見られたら面倒な事になりそうだから、隠しておかなきゃね」

 部屋に戻った私は、金の箱を再びポーチに入れてバッグに隠した。

「流石にバッグの中身を見る人は屋敷にはいないでしょ」

 安心して、梓や生乃を凌駕する術を見付けるべく、書庫に鼻歌を歌いながら向かった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「え!?」

 神崎さんを見張っていた私は、空気が変わったのを感じて立ち上がった。

「神崎さんの容態は変わらないけど、何か呪いが濃くなったような…」

 神崎さんを霊視してみるが、特に変わりは無かった。

 何かもう一つ、呪いが湧き出たような…神崎さんには関係ない所で…

──妾には関係がない。尚美さえ無事ならばな

 九尾狐が伏せて目を閉じながら、興味が無いと言った感じで呟いた。

「九尾狐、あなたは何か解ったのね?」

 九尾狐に聞こうと思った矢先、出鼻を挫くように口を開く。

──呪いの飛び火の蛇退治を放棄するか?妾は一向に構わぬ。貴様等には頼る必要は無いだろうと思っていた所よ

 言葉を詰まらせた。

 私が自ら志願した仕事。放棄と言う言葉を使われたらキツい物がある。

「一つだけ教えて。それは北嶋さんが帰ってくるまで大丈夫なの?」

 九尾狐は片目を開けて私を見る。そして再び目を閉じて言う。

──アレを刺激しなければ、勇が帰ってくるまでは大丈夫だろう。だが、妾には興味の無い事よ。気になるならば、放棄するか、妾と交代した後に調べるがよい

 九尾狐は本当に神崎さんの命以外には興味が無い様子。

 しかし北嶋さんに言い付けられたのは、屋敷の人間を呪いの飛び火から守る事。

「これだけヒントを貰えたら、何となく解ったわ」

 私は再び神崎さんの呪いを監視した。

 呪いの飛び火…黒い蛇の群れを滅するのが私の仕事。

「馬鹿な真似はしないでね…」

 私は祈るように呟いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「…微かに締める力が強まったみたい…」

 大蛇が屋敷に蜷局を巻いて締め上げている訳だが、一瞬、その力が強まった。

 暴れ出す訳でもない。ただちょっとだけ力を入れたような感じだ。

「他から呪いの力が現れたような…そんな感じですね…」

 ソフィアさんの言葉に同意して頷く。

 尚美に憑いているナーガと同調している大蛇だが、他から現れた呪いとは同調していない感じだ。

「尚美とは関係ないみたいですね」

「とは言え、同種の物ですよね」

 風が吹いていないにも関わらず、空気がざわめいている。

 不吉な感じ…

 誰かが死ぬような…

 そんな胸騒ぎを感じる。

──俺ならば大丈夫だ。気になるならば調べるがいい

 私と交代したばかりのフェンリル狼が提案してくれたが、私は首を横に振った。

「私の役割は、日中大蛇が暴れたら押さえ付ける事。私は私の仕事に従事するわ」

 片手間で太刀打ちできる相手じゃない。中途半端は死を招く事になる。

 私は私の仕事をこなすだけ。

 北嶋さんが一秒でも早く帰ってくる事を祈りながら……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 少し遅めの朝食を取った後、書庫へと向かった。

「何か強力な術を探さないとね」

 葛西って男が言った事を思い出す。

 尚美が氷獄の檻を発動させたと言う事を。

 氷獄の檻と並ぶような術だと、天の雷柱か。御印はどうだったか?

 書庫に着いた私は、取り敢えず天の雷柱を記した書物を漁る。

「天の雷柱もいいけど、難し過ぎるし、なによりも…」

 対話した事のない神だったので御印は貰えない。仮に対話済みだったとしても、国を滅ぼした火と硫黄を、僅かな時間で体得する事は難しい。

 潔い私は速攻で天の雷柱を諦めた。

「別に天の雷柱に拘る必要も無いし。梓をギャフンと言わせればいいだけだから」

 何か当初の目的とズレたような感じがするが、要は梓の冥獣の顎を超える術を身に付ければいいのだ。

 色々と書物を漁る。しかし、やはり短時間で習得できる術など、たかが知れている。

 短時間での習得可能なのは、対話せずとも自分の霊力で発動可能な術が殆どだからだ。

 因みに先程から言っている対話とは神様とお話しする事だ。気に入って貰えると御印を戴ける。その御印で使える術が決まるのだ。

「やっぱりそんな都合の良い術なんて無いか…」

 書物を放り投げて床にゴロンと横になった。

「つっ!!」

 右の親指と人差し指に痛みを感じる。

 自分の指を目の側に持って来て、じーっと見る。

「別に傷もないけど、何なのかしら」

 そう言えば二つの切り傷も右の手のひらだった。今は癒えてうっすらと傷跡がある程度。痛みを感じた個所とは違う。

 ともあれ、痺れを感じる親指と人差し指を眺めながら、何故か少し不安になった。

 不安…

 昔は毎日不安だった。

 私は捨てられた子供だった。

 記憶にすらない小さい時に、小さな教会の入り口に毛布でくるまれて捨てられていたらしい。

 教会は孤児院も兼ねていたので、たまに子供が捨てられる事があるらしい。

 生活苦か、それとも望んでなかった子供なのかしらないが、捨てられた事には変わらない子供達が小さな教会に数人いた。

 私はそこで15歳まで過ごした。

 テレビで見る孤児院などは、貧乏で困っている事が多いが、この教会はそれ程貧しくは無かった。

 それは、寄付金を出している人が水谷師匠だったからだ。

 神父様が師匠の知り合いらしい。

 師匠と神父様の繋がりは不明だが、神父様も一介の霊能者だったらしいから、恐らくその繋がりだろう。

 ともかく、師匠の援助のおかげで、この教会はそれ程貧しくは無かった。

 望めば高校にも大学にも行ける。

 現に私の兄弟とも言える孤児院の子供達全員、高校に通い、その内半分は大学にも行った。

 当時の教会の孤児院の子供で高校に行かなかったのは、私だけ。

 それは水谷師匠の弟子になったからだ。

 ただし、こちらに来てからは師匠に高校に通わされてしまったが。梓と生乃と私の三人で……

 同じ高校へ進学した私達は、奇しくも同じクラスになった。

 あまり話した事は無かったが、生乃と梓の顔は昔から知っていたので、直ぐに打ち解けた。

 梓は案外社交的な性格で可愛かったから人気もあった。

 逆に生乃は人との繋がりを持たないように努めていて、友達なんか私達の他に一人もいなかった。

 早朝、ご飯を食べる前に修行、学校が終わったら修行、晩ご飯を食べた後、授業の予習、復習、お風呂から上がったら修行。

 毎日その繰り返しだった。

 それでもたまに休みの日はある。

 そんな日は街へ降りて買い物をしたり、映画を観たりして過ごす。

 梓とは結構出掛けたが、生乃とは全く出掛ける事は無かった。

「私の事はいいから、楽しんできて」

 そう言って作り笑いをしながら、私達をよく送り出してくれたものだ。

 梓は学校でもかなり目立っていたが、街に降りても、道行く男達がかなりの確率で振り返る程、可愛く綺麗だった。

「見られるのは魅せるからかなぁ」

 そう、よく冗談か本気か解らない事を笑いながら言っていた。

 二学期にもなると、生乃は自分から人を遠ざける、梓は男の子達が群がるで、私は彼女達とは学校で話す事は無くなっていた。

 その代わり屋敷では暇を見つけては良くお喋りをした。

 会場は梓の部屋。

 梓は買い物上手なのか、梓の部屋にはテレビもステレオも全て揃っていたからだ。

 逆に生乃の部屋には何も無い。私は…まぁ、そこそこだった気がする。

 ある日、話の流れで屋敷に来た経過を話した事があった。

「お父さんの仇討ちをする為…私は絶対に強くならなきゃならないの」

 孤児の私に父の仇討ちと言われてもピンと来ない。

「私は…先祖から続いている因縁を断たなきゃならないから…」

 孤児の私に先祖の事を言われてもピンと来ない。

「結奈は?」

 返答に困った。

 私は教会から屋敷に引っ越したようなものだから。

 修行する理由なんか見当たらない。ただ、師匠や神父様がやれと言ったからやっているに過ぎなかった。

 困った私は、ボソッと言った。

「生乃も梓もいいなぁ。私は捨て子だから、父親の顔すら解らないし、先祖なんか何が何だか見当もつかないからなぁ」

 苦し紛れに言った言葉だが、生乃と梓の表情が変わった。

 明らかに私に対して、申し訳ないと言うか、言ってはいけない事を言ってしまった、みたいな表情に変わったのだ。

 別に父親や母親、先祖なんか知らなくても構わない。

 教会での暮らしもそれなりに幸せだったし、父兄参観などあった場合は神父様が必ず来てくれたから、寂しいという気持ちも無かった。

「ね、ねぇ結奈!ケーキ食べない?私のとっておきを出しちゃうよ!」

「そ、そうね。私紅茶煎れてくるね」

 私に対して気を遣うような仕草。成程、こう言えば友達は同情して優しくなるんだ。

 私はこの時に同情を買うすべを覚えた。

 まぁ、師匠に直ぐに看破されて大目玉を喰らったので、同情を買う術を使用する機会は無かったが。


 高校卒業して間もなく、私達に仲間が増えた。

 尚美だ。

 友達の仇討ちの為に弟子になったらしい。

 私達は小さい時から修行してきた。だから尚美よりも当然ながらレベルは上にあった。

 ところが半年位過ぎた辺り…

「できた!!」

 私達は驚き、目を見張った。

 尚美が浄化の炎を発動させたのだ。

「凄い…!!」

 素直に凄さを認めた生乃。この頃生乃は漸く誘いの手を発動させたばかりだった。

「天才って言うのはこの事よね…」

 戦慄さえ覚えた感のある梓。梓はまだ術を発動させられずにいたからだ。

 生乃や梓より先に術を発動できた私だが、流石にこの会得スピードには驚いた。

 わずか半年で対話した神から御印を戴けたのだから。

 それは兎も角、生乃や梓が尚美を讃える様を見ながら、私は心に靄が掛かっているような気分になっていた。

 生乃と梓に囲まれて笑っている尚美。

 あそこは昨日まで私の居た位置。

 私も尚美を囲えばいいのだろうか?

 私の方が強いのに、弱い者を中心としなければならないのだろうか?

 この時から私は、単純に強さを求めるようになった気がする。

 私の居た場所を『奪い返す』為に。

 尚美の浄化の炎は、未熟ながらもそれなりの効果があった。

 この時の私の術は、使いの息吹と言う術で、悪しき魂を風によって風化させる術。

 私の方がやはり強かった。同期の中では最強だと、生乃も梓も、そして尚美も言ってくれた。

 素直に嬉しかった。これで、輪の中心は私の物だ。そう思った。

 そんな折、師匠から思いかげない話があった。

「よし、ちと早いが初陣と行くか結奈」

 師匠からの思わぬ提案で小躍りしたくなる程嬉しかった。

「本当ですか!頑張ります!」

「ワシも同行するが、基本的にお前さんが一人で除霊するんじゃぞ?」

 それはそうだ。まさか初陣で、一人で立ち向かえとは言わないだろう。

 だが、先輩が見守ると思いきや、師匠自らと言うのが凄い。

 つまり私は期待されているのだ。

 そう思うと顔がニヤける。

「生乃、梓、尚美、お前さん達も立ち会うがいい。これも勉強じゃ」

 同期の前で先に卒業試験を行われるようで、私は誇らしくなった。

 その日の深夜、依頼があった廃墟へ向かった私達。

 車で一時間程走った所に、それはあった。

「お~。居るわ居るわ。成仏出来ずにいる哀れな霊がわんさかと」

 感心したような師匠。話によると、この廃墟を取り壊してマンションを建てたいらしいのだが、いざ解体しようとすると、職人さんが怪我をしたり、重機が動かなくなったりで、全く仕事ができないらしい。

 神社でお祓いをするも効果無し。

 そこで水谷師匠へお願いしたというのだ。

「お前達、霊の状態を言ってみぃ」

 師匠が私達を試すように聞いてきた。

「霊の数は10って所ですか。それ程強い執着は無いようですね」

 素直に霊視結果を伸べた私。

「でも、執着してない割には、工事の邪魔をするのは変だわ」

 生乃の追記にも頷いて応える。その通りだと思ったからだ。

「しかも神社でお祓いも済ませたんですよね?」

 梓の疑問も尤もだ。だけど、確かに少しばかり不可解な点はあったが、私の敵にはならないだろう。

「尚美、お前さんはどう思う?」

 師匠が尚美に意見を促した。

 こう言ってはなんだが、いくら浄化の炎を発動させたと言っても、尚美は修行して半年。意見を聞く事の方が無茶に思えた。

「……廃墟の霊は集められたみたいな感じが…」

 集められた?

 私達は改めて廃墟を見た。

 地縛霊は居るだけで不幸な目に遭う場合がある。

 それを逆手に取って、地縛霊を廃墟に集めた人物がいる?

「見事じゃ尚美!その通り、言わば地縛霊は隠れ簑。ならば地縛霊を廃墟に集めた目的は何じゃ?」

 私達は唾を飲み込み、尚美の続く言葉を待った。

 少し考えて、やがて尚美が口を開く。

「多分ですが、取り壊されたくない何かを隠した人が居るんじゃないですかね?」

 自信無さそうに呟くよう言う。

「何かって何よ!?」

 少し苛立ちを露わにし、尚美に詰め寄る。

 尚美は困ったように顔を背けながら言った。

「解らないけど、そんな感じが…」

「まぁ、除霊すれば解る事じゃ。ほれ、結奈、行け」

 師匠が間に入って除霊を私に促す。

 私は少し憤りながら、廃墟の中に入って行った。

 暗闇をざっと見渡す。

 地縛霊達が私をじーっと見ているのが解る。

 敵意も無い、助けを求める訳でもない、ただ居るだけだ。

 こんな地縛霊が工事の邪魔をするなんて、やはり少しおかしいが…

「たかが地縛霊!在るべき所へ還りなさい!使いの息吹!」

 天からの使いの息吹きを地縛霊達に吹き掛かる。

 地縛霊達は息吹きを浴びた途端、風化したように崩れた。

「凄いじゃない結奈!一撃よ一撃!」

 梓が興奮しながら私に駆け寄ってきた。

「ま、まぁ、アレぐらいは」

 ちょっと得意気になるが、少し顔が熱い。なんか嬉しかったからだ。

「まだよ!!」

 尚美がいきなり叫ぶ。

「な、何を言っているの?地縛霊は全て…」

「地縛霊はね…」

 生乃が誘いの手の印を組む。

「ちょっと、私の初仕事よ!しゃしゃり出ないで!」

 慌てて生乃に詰め寄り、印を組んだ手を叩いた。

「あっ!?危ない!!」

 梓の叫ぶ声で後ろを振り返る。

「ひっ!?」

 私の直ぐ後ろに、包丁を持った血まみれの中年が、鋭い眼光を向けて立っていたのだ!!

「な、何よアンタ!?」

 生きている人間じゃないのは瞬時に理解できた。

 そいつからは憎悪しか感じない。

──渡さない渡さない渡さない渡さない渡さない渡さない!!誰にも渡さない!!!

 そいつは私に向かって包丁を振り翳す。

「ひっ!?」

 私は愚かにも、腕を前に出して庇ってしまった。

 それは刺される恐怖からに他ならないが、刃物相手に腕でガードする行為は無防備に等しい。

 後悔したが、後の祭。しかも目を瞑ってしまったから、回避もできない。

 刺される!!

 頭がそれで一杯になった。

「浄化の炎!!」

 瞑った目の瞼に赤い光を感じた。

 そっと目を開ける。

──アァアァァァァ……!!

 そいつは炎に焼かれて、もがいている最中だった。

「結奈!!こっち!!」

 手を差し伸べる梓。咄嗟にその手を掴み、そこから逃れる。

「誘いの手!!」

 焼かれているそいつの下から、無数の腕が伸び出て、そいつを掴んだ。

──ワタサナイ…ワタサナイ…ワタサナイィィィィ……

 焼かれながら冥穴に引き摺り込まれていく。

 やがてそいつの気配は完全に消え、尚美と生乃はホッとしながら術を解除する。

「大丈夫?」

 生乃が心配してくれた。そう思い、返事をしようとしたその時…

「尚美」

 心配そうに話し掛けた相手は尚美だった…

「ああ~っ!!怖かったぁ!!」

 尚美がその場にへたり込んだ。

「凄いよ尚美…まだ半年なのに」

 生乃が尚美に手を差し伸べる。尚美は手を掴むも、立ち上がろうとはしなかった。

「どうしたの?」

 心配そうに覗き込む生乃に、尚美は少しバツが悪そうに笑い、顔を人差し指で掻きながら言った。

「腰が抜けちゃったみたい…」

 そんな尚美を抱きかかえるようにし、立ち上がらせる生乃。

「私も膝がガクガクしているから、おあいこだね」

 二人で顔を合わせながら笑う。

「凄いわね、尚美も生乃も…」

「そ、そうだね」

 尊敬すら覚えているような梓に同意するのが精一杯だった。

「皆、ご苦労じゃった。ワシの出番が無いとは、予想外!いや、予想以上の出来じゃあ!」

 師匠が喜びながら、私達に駆け寄る。

「と、言っても私は何もしていませんけど」

 梓が少しバツの悪そうな表情を作る。

「お前さんが結奈を助けたようなもんじゃ。のう、結奈?」

 師匠は意味有り気な顔を作り、私に向ける。

「そう…ですね…ありがとう梓…」

 精一杯の作り笑いを梓に向ける。

「今、私はあれくらいしか出来ないからね」

「尚美、よう気配に気付いたの?」

 師匠もそれは多少驚いていた。

 あの場であいつが現れるなんて、誰も予想出来なかった筈だ。

 地縛霊の気配に完全に溶け込み、あいつは私に完全に風化された地縛霊の一人に認識された。

 生乃も梓も、そう認識した筈だった。

「いえ、私の敵と多少類似していましたから…地縛霊と少し気配が違っていた事に気が付いただけです」

 尚美の敵と言うと、とある一軒家に棲んでいる色情霊の事か。

 確か、家に来た人間は、男は犯して精を吸い取り衰弱死させ、女は包丁で滅多刺しにすると言う奴だ。

「でも、色情霊とさっきの奴は包丁だけしか類似点は無いような?」

 生乃の疑問、と言うか質問に答える尚美。

「ん~、何か執着している感じが似ていたような気がしたの。何に執着しているのか解らないけど…」

 執着か…そう言えば、地縛霊達は執着している何かに集められたとか言っていたけど…

「見てみい」

 師匠が暗闇の廃墟に入り、寝室らしい場所まで向かった。当然私達も付いて行く。

「ほれ、ここじゃ」

 懐中電灯の光を当てた先は襖。お布団とか収納する、どこにでもある襖。

 ただ…

「酷い臭い……!!」

 生乃が鼻を摘んで顰めっ面を拵える。私達もそうする。

「およそ見当が付くけど…」

 襖を開けようとする者は誰もいない。発言した梓も、ただ襖を見るのみ。

 その中に何があるのか、私達には解っていたからだ。

「まぁ、お前さん達に無理に開けさせる事はさせぬ。ここから先は警察の仕事じゃからな」

 師匠も開ける素振りは見せない。

「…私達はこれから、そんなのばっかり見なきゃならない訳ですよね…?」

 恐る恐る聞く私に、師匠は黙って頷いた。

「お前さん達にはまだ早い。じゃから開けない方がよいな」

 試されている。

 咄嗟にそう感じた私は、考えるより先に手を襖に伸ばした。

「結奈!やめい!」

 師匠が止めるも、もう遅い。

 バババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ!!!

 小さな黒い物が襖からわんさかと出て来た!!

「ゴ、ゴキブリ!!」

 そう、それはゴキブリの大群。

 よく押し入れに収まっていたものだと思う程のゴキブリが、部屋中に溢れ返り、羽音を震わせて飛び回っている!!

「きゃあ!!ぎゃあ!!わ、私ゴキブリは苦手で!!」

 正直さっきの霊の方がマシだった。手をバタバタさせて寄せ付けないようにする。

「じゃから言ったろうが馬鹿者!!」

 師匠もゴキブリを手で払い、寄せ付けないよう頑張っている。

 梓も生乃も、そして尚美もゴキブリの大群には流石に怯んでいた。


 ゴキブリパニックが治まった頃、私達は疲れ果ててへたり込んでいた。

「ハァ、ハァ…結奈…」

「ハァ、ハァ…アンタはまたとんでもない事を…」

 恨み言を零す生乃と梓。

「ふ、不可抗力よ不可抗力!!」

 実際ワザとじゃないから仕方ない。

「ゴキブリはこれを食べていたんだ…」

 ただ一人、冷静に呟く尚美に目を向けると、口を押さえて今にも吐きそうな様子を見せていた。

 私達も押し入れを覗き込む。

「う!?」

 押し入れには、半分ミイラ化した遺体がバックを抱えてながら死んでいた。

「ミイラ化していたからこそ、あの程度の臭いで済んだのじゃ。腐乱していたら、もうとんでもない事になっとったな」

 とは言え、ゴキブリやネズミにかじられている遺体は、やはり元は人間だったと言う原型を辛うじて留めているだけに過ぎない程、破損していた。

「これが地縛霊を集めていた人なんですね?」

 尚美の問いにゆっくり頷く師匠。

 そして私達に目を向け、真相を話す。

「この死体のバッグには、多額の金が入っておる。こやつは死してなお、金を盗られるまいと必死だった訳じゃな」

 お金に執着して、現世に留まっていた訳か。

「金は盗んだ物じゃな。少し前に消費者金融に強盗が押し入ったニュースがあったじゃろ?あれの犯人じゃ。元々持病があるな…死んだ原因は病か…追われて廃墟に逃げ込んで、その後直ぐに死んだようじゃな」

 そう言えば、半年くらい前にそんなニュースがあったような気がする。

「死んでからもお金に捕らわれるなんて…」

 尚美がやるせない表情を作る。

「死んでからも捕らわれるなんて馬鹿みたい!!」

 綺麗事を一切言わずに本音を吐いた私に、梓と生乃が不快感を見せる。

「違うぞ結奈。こやつの中では、自分はまだ死んでおらんのじゃ。地縛霊を集めたのも偶然。たまたまこやつの波長に合った地縛霊達が集まって来ただけじゃ」

 自分が死んだ事にも気付かないなんて、哀れ。そして私に包丁を向けた事も許し難い。

「結奈!死者を愚弄するでない!」

 師匠が私の心を視たのか、叱った。

 私は師匠の方を向き、見据えながら話す。

「死んだ事も理解せずに、私を殺そうとした事は事実です!!」

 病気か何かは知らないが、犯罪をして勝手に死に、生きている私を殺そうと包丁を向けた。

 尚美に焼かれ、生乃に地獄に引き摺り込まれた今、あいつは地獄の苦行を受ける事だろうが、私の気が治まる訳じゃない。

「…この依頼の初陣をお前さんにやらせたのはじゃ、欲を張ると死んだ事も解らなくなる、と言う事を教える為じゃ。欲は全ての見る目を曇らす。それを知って欲しくてじゃな…」

 師匠が小言を始めたが、私は別にお金に執着している訳じゃない。

 私はプイッとそっぽを向く。

「そして死した者を冒涜するな。竹篦返しっぺがえしが来るぞぃ」

 竹篦返しとか、向かって来たら叩けばいい話。

「…まぁ、今は良い。いずれ解る時が来るじゃろう。さて、後は警察の仕事。ワシ等は撤収じゃ。」

 師匠は寂しそうに振り向き、廃墟を出る。私達もそれに続いて廃墟を後にした。


 親指と人差し指を見ながら昔を思い出す。

「なんで今頃…」

 あの後、私は尚美をライバル視するようになり、冥獣の顎を発動させるまでに成長した。

 昨日梓に本物を見せられるまで、私はあれで最強だと思っていた。

 事実、師匠から独立を言い渡された時、私は冥獣の顎で幽霊退治をかなりこなしていたのだ。

 生乃も梓も、勿論尚美も、私を最強だと言ってくれた。

「今は…私は…っ痛!!」

 親指と人差し指の痛みが手首まで響いて来た。

「突き指でもしたのかしら…」

 広い屋敷、湿布くらいはあるだろう。

 私は書庫を後にし、湿布薬を探す事にした。

「欲は全ての見る目を曇らす…死した者を冒涜するな…」

 あの言葉が私の心を支配してくる。

 それを掻き消すよう、頭を振った。


「竹篦返し?迎え撃ってやるわよ!!死んだ奴なんか私の敵じゃない!!」

 不安を打ち消すよう、虚勢を張る。

 右手の痛みが、段々と広がってくる。

 私は大急ぎで湿布薬を探す事にした。

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