水谷の日記

 呪いに憑かれた尚美をお布団に寝かせ、その周りを囲む私達。

「駄目…引き抜けないわ…」

 生乃が誘いの手で引き離そうとするも、魂に絡み付いている蛇は抜けそうもない。

「だから私が」

 先程から自分が自分がと前に出てくる結奈…正直言って苛々してくる。

──貴様は黙っておれ!!咬み殺されたくなくばな!!

 九尾狐が結奈を本気で威嚇し、周りが恐れる。

「北嶋さん…北嶋さんなら簡単に…」

 そう言って言葉を詰まらせる。

 北嶋さんは『視えない』のだ。

 いつもは尚美の絵を見て戦う、もしくは師匠の念写で戦う。

 師匠が亡くなり、尚美自身が呪いにかけられた今、北嶋さんに成す術はない。

「誰か代替えの目って術できるか?」

 北嶋さんが問い掛けるも、周りの全ては俯いたまま微動だにしない。

「これが噂に聞いた北嶋 勇?なんだぁ、全然大した奴じゃないのね」

 結奈が北嶋さんを軽蔑するような目を向け、冷笑した。

「結奈!!あなた…!!」

 叱咤しようとした生乃より先に、結奈の首に剣の切っ先が向けられる。

「宝条さん…」

 乾いたように口から出る。宝条さんも北嶋さんを尊敬している人だ。死ぬかもしれない運命から救ってくれたのが北嶋さん。その彼を侮辱するような事を言ったのだ。気持ちは解るけど…

「な、何よあなた…?」

 結奈が問うも返事をせず、黙って睨み付ける宝条さんには迷いは全く無いように見える。

「可憐、やめなさい」

 石橋先生の制止を聞いているのかいないのか、剣を退こうとせずに、やはり黙って睨み付ける。

「十拳剣をそんな事に使うんじゃない。退きなさい」

 漸く剣を鞘に収めた宝条さん。

「十拳剣?そんな物を扱えるの?」

「煩い!!黙りなさいよ!!」

 馴れ馴れし問うてきた結奈を一蹴する宝条さん。今は仕方なく退いた。不満が無い訳じゃないと、前面に押し出している。

「北嶋さん、この呪いに心当たりある?」

 この空気を破るべく、北嶋さんに聞いた。

「はいはい!私知っている!!」

 手を挙げて前に出てくる結奈。この空気を読まない性格…同門ながら頭に来る…!!

「私は北嶋さんに聞いているの!少し黙って!」

 むくれて座り直す結奈。ハッキリ言ってお呼びじゃないのに、なんでこの輪に入っているのか理解に苦しむが。

「そのガヤ芸人みたいな女の情報と被るかもしれないが…」

 北嶋さんは私に一冊の手帳を伸べた。

「が、ガヤ芸人って何よ!!」

 立ち上がり、憤りを露わにする結奈。途端に九尾狐にのし掛かられ、倒された。

「なんなのよっ!!」

──今すぐ咬み殺そう…構わぬよな勇!?

 本気の九尾狐。しかし誰も止めようとはしない。九尾狐が怖いのも勿論あるけど、それ以上にみんなが結奈にイライラしているからだ。

「北嶋さん、九尾狐を少し落ち着かせてよ」

 誰も止めないから仕方なしに私が頼んだ。北嶋さんは面倒臭そうに一応止める。

「タマ、やめろ。何をしているのかは解らないが」

 北嶋さんに言われて牙を収める九尾狐。

──解ったが、この女からは降りぬぞ

 九尾狐は結奈にのし掛かったまま、動かずに結奈を睨み付けて威嚇する。

 静まり返った部屋の中で、私は漸く手帳を開く事ができた。

「これはお師匠の日記じゃない…」

 北嶋さんが九尾狐に取らせた日記だ。中身も、特に変わらない、普通の日記。

 そのままページを捲っていく。

「12月31日…亡くなる前にまで日記を付けていたのね…」

「そこだ」

 北嶋さんに言われてページを捲る手が止まる。

 

 12月31日

 ワシは明日死ぬ。そこそこに充実した人生。悔いは無い。

 って小僧!お主日記を妖弧に見つけて貰ったじゃろ!

 素直に梓に聞けば在処くらい解ろうもんじゃが!

 まぁ良い。それがお主の持ち味じゃからな。カッハッハ!


「な、何これ!?」

 日記を読んでいる私を覗き込んでいた生乃や宝条さんも驚いていた。

「シリアスなのは一行じゃない!!」

 生乃の言う通り。それ以降砕けすぎだ。

「そ、それより北嶋さんが日記を見付けるのを知っていたなんて?」

 宝条さんの発言に周りが騒然とする。

「な、何何?私にも見せて~!!」

 九尾狐にのし掛かられている結奈もバタバタと暴れて見ようと頑張っていた。

「続きだ有馬」

 しかし、北嶋さんが冷静に先を急がせた。

「え、ええ…」

 先を読む。

 だけど、北嶋さんの様子が少しおかしい。

 いつもの調子、と言うか、余裕が全く感じられない。

 眉根を寄せて尚美を見ている北嶋さんに少し不安を感じながらも、私は先を読んだ。


 さて、小僧、以前頼んだ神の呪いの事じゃが、ワシや他の霊能者も封印が限界だった呪い、その正体は蠱毒こどくと言う呪術じゃ。

 昆虫や動物の霊を操り、呪い殺す。

 ただ、相手を殺すだけではなく、呪い殺した者から財産を奪う事もできる恐ろしい術じゃ。

 この蠱毒をかける術者を蠱主こしゅと言うが、蠱主は既にこの世には居らぬ。

 それも当然、古代インド時代にかけられた呪いじゃからな。

 恐らくは財を得る為、もしくは敵を退ける為に、時の権力者が呪術師に頼んで作ったものじゃろう。

 当時は蠱毒などと言う呪術はできて居らぬ故、その呪術師のオリジナルの術だと思う。

 蠱毒は、皿の上や器の中に大量の「諸蠱しょこ」といわれる蜘蛛や百足、その他の毒虫類。はたまた蜥蜴、蛇、犬、猫、蛙など様々な小動物、稀に大きな動物、そして、魚や鶏の肉などという非常に多彩な媒体を用いて、互いに共食いをさせ、最後に生き残ったものを使役すると言う呪術じゃ。

 詳しく知りたくば尚美や梓に聞くがよい。

 四国の犬神、本家道教の金蚕蠱きんさんこなど、様々な術があるのも蠱毒の特徴じゃが、ワシに持ち込まれた蠱毒はコブラを使った術じゃった。

 古代インドではコブラはナーガと呼ばれて神格化しておる。

 呪術師はコブラを共食いさせ、より強い神を求めた訳じゃ。

 呪術師の力量も相俟あいまって神は完成し、所有者の敵を悉く滅ぼし、財を与えたが、結局所有者も神を操る事はできず、死んだようじゃ。

 そして神を入れる箱ゆえ、金を使い装飾を誂えて美術品としても一級品となったナーガの蠱毒の箱は、永き時、その力が衰えるどころか、呪い殺した相手を喰い、巨大な力をつけてしまう。

 転々とする所有者の命は愚か、それに魅入られた者すらの命を奪い取る。

 ワシの所に持ち込んだ者も、暫くして死んでしまった。

 ワシ等は力の限り戦ったが、神に人間の力が及ぶ筈もない。

 ワシは人生を掛けてナーガの蠱毒を封印する事にした。

 じゃが、それはワシの命ある限りの効力。ワシが死んだ後は、ナーガはその力を解放するであろう。

 誰の目にも触れておらぬ客間がある。

 そこの横にもう一部屋…そこに封印の中間層、水晶の柱の陣がある訳じゃが、水晶の柱はワシの力を吸い取って効力を得ておる。

 ワシが死んだ後、水晶の力は飛散し、無に帰す事になる。

 その時、呪いは世に出る訳じゃが、その客間にもし、誰かがワシの死後間もなく立ち入りしたらば、呪いはその者に降り掛かる事になる。

 タイミングじゃな。しかも最悪なタイミングじゃ。

 ワシは最悪な事態に備え、保険を掛けておる。

 ワシの力の全てを使い、その者を七日間、呪いから命を奪われぬよう、ある術を仕込んでおるのじゃ。

 つまり小僧、七日以内にナーガの呪いを倒さなければ、その者は還って来れなくなる。

 もし、尚美が呪いにかかったならば、お主はお手上げになってしまうな。

 お主の凄い所は視えぬ、聞こえぬ、感じぬじゃ。

 じゃが、尚美が呪いに捕らわれたならば、お主は全く役に立たぬ。お主の長所は弱点にもなるのじゃ。

 尚美が捕らわれたならば、以前話した最後の神器、万界の鏡を直ぐに探すのじゃ。

 万界の鏡とは、全ての世界に通ずる鏡。

 望むなら、まだ生物が存在していない過去も、お主が天命を全うした後の未来も、神の世界も闇の世界も全て『視える』鏡。万の世界に通ずる鏡と言う意味じゃな。

 世界中に鏡の伝説は数あれど、全て万界の鏡の破片であると言う説もある。

 その鏡は全て視える代わりに鏡自体が視えぬらしい。

 故に存在も危うかったのじゃが、一つの噂を聞いた事がある。

 鏡は人間に姿を見せたくはない神が使用し、鏡の裏に隠れておる、と。

 自身の身を守ると同時に鏡を守る結果にもなった訳じゃ。

 神の名は解らぬが、司るのは死と再生らしい。

 想像で何となく解るが、間違った場合、混乱させる恐れのある情報じゃ。じゃから敢えて言わぬ。

 そしてその神は富士山に棲んでおるらしい。

 行け小僧。

 鏡を探すのじゃ。

 呪いを頼んだぞ小僧。

 小僧ならば必ずできる。

 ワシには心残りなどない。お主が全て片付けてくれると信じておるからの。

 では、ババァは先に行っておるで、後からゆっくり来るが良いぞぇ。カッハッハ!

 ではの。


 これが師匠の最後の日記…

 最後まで力強く字を書かれている。

 本当に未練などは無い。北嶋さんがいるから…

 私は涙を流しながら日記を閉じた。

 周りのみんなが俯き、涙を流している最中、北嶋さんが徐に立ち上がった。

「ど、どうしたの北嶋さん?」

「決まっているだろう。鏡を取りに行くんだよ」

「確かにそれはそうだけど…」

 富士山に有ると言う情報だけで、後は何もない。加えて北嶋さんは霊感がない。しかも、冬の富士山…遭難の危険性が大きい。

「無理よ!みすみす死にに行くようなものだわ!」

 富士山は広い。どこに鏡があるのか解らないし、何より死と再生の神が隠れ、守っている状況。

 霊感の無い北嶋さんには死と再生の神は絶対に捜せない。

「だけど行かなきゃ。神崎を頼んだぜ有馬」

 北嶋さんは本当に真剣に私を見据えて言った。

「駄目よ!!せめてサポートがいなきゃ!!私が同行します!!」

 立ち上がり、名乗りを上げる。北嶋さん一人にこんなとんでもない負担を掛ける訳にはいかない。

「駄目だ。婆さんの葬儀の仕事がある。有馬は連れて行けない」

 キッパリと拒否する北嶋さん。それは確かにそうだけど…姉弟子も沢山いるし、木村さんもいるんだから…

「じゃあ私が行きます!!」

 今度は生乃が名乗り出た。

「いえ、私が同行します!!桐生さんは有馬さんのお手伝いがあるでしょう?」

 宝条さんも名乗りを上げ、立ち上がる。

「駄目だ。二人共連れて行けない。桐生は有馬の手伝いがあるのは宝条の言う通り。宝条は石橋のオッサンが心配するから駄目だ」

 再びキッパリと拒否する北嶋さんだが、本当に様子がおかしい。

 事態が事態だろうが、北嶋さんに余裕が全く感じられない。そんな状態の北嶋さんを一人にする事はできない。

──妾が行こう!!問題は無い筈だ!!

 九尾狐が結奈の背中から降りて北嶋さんに顔を近付ける。

 九尾狐が一緒なら安心か…

 ホッと胸を撫で下ろす。

「まさかタマがついて来る、と言っているのか?駄目だ。タマはここで有馬達を呪いの飛び火から守って貰わなきゃならない。これはタマにしか頼めない。解るな?」

 九尾狐の頭…北嶋さんから見れば依代のフェネック狐の頭を撫で、言い聞かせる。

「の、呪いの飛び火って?」

 生乃が驚いたように聞き直した。

 先程の師匠の日記には記していなかった筈だったが…

 北嶋さんは日記を再び取り、パラパラと捲った。

「ほら。婆さんも続きに書く余裕が無かったんだろうな」

 それは最後のページから100ページ程進んだ所だった。

「まだ続きがあったんだ…」

 私達はそれを読む。線になぞらず、慌てて書いたであろう字を。


 忘れておったが、七日間、呪いを押さえておるとは言っても、ナーガの力は巨大。憑かれた者の身体から蛇が出てくる筈じゃ。それを発見したら、速やかに排除しなければならぬ。本体よりは微力じゃが、並の呪いではないからの。


「尚美の身体から…蛇が出てくる?」

 生乃が生唾を飲んで言った。

「それが飛び火か…それならば、我々で排除すればいいのではないか?」

 石橋さんの言う通り、本体より微力ならば私達で何とかなるのでは?

 私達がそれを決意したその時。

「要するにテメェ等じゃ力不足って訳なんだよ!!足手纏いって事だ!!」

 客間の入り口から私達に向かって発言をする男。仁王立ちになりながら、こちらを見据えていた。

「あなたは誰!?」

 突然現れた男に身構える私達。

「葛西……!!」

「よう北嶋。珍しく弱っているじゃねぇかよ?らしくねぇな?」

 男がズンズンと客間に入ってきた。

「北嶋さんの知り合い!?」

 生乃の問いに答えたのはその男。

「知り合い?基本敵じゃねぇか?なぁ北嶋?」

 軽口を叩き、寝ている尚美に顔を近付ける。厳しい目だ。尚美を見ているんじゃなく、その奥底を視ているような…

「葛西、悪いがお前と遊んでいる場合じゃ」

「ハッ!!これが神の呪いの本体か!!外にあるのは分身って訳かよ!!」

 尚美を見ながら妙な事を言う。

「外にとは、何?」

 男は笑いながら私を振り返る。

「後でテメェの目で見てみな。成程、九尾狐じゃなきゃ防ぎ切れないなこりゃあ…外のはロゥに任せるとして」

「葛西!!悪いが今はそれどころじゃ…」

 苛立つ北嶋さんの前に立つ男。

「富士山、俺がついて行ってやるよ。文句は言わせねぇぜ北嶋?」

 先程まで笑みを浮かべていた男の表情が真剣な顔つきになった。

「お前が?丁度いい…いや、今の季節は暖かそうな葛西のお前がか?」

「ハッ!!暖かそうで羨ましいかよ!!」

 男は北嶋さんの肩をポンと叩く。

「早く支度しろ北嶋。テメェの女、殺したくなかったらな」

「仕方ない。綺麗所じゃないのが不満MAXだが、この際お前で我慢してやるぞ」

 北嶋さんは走って自分の客間に戻った。

「ちょ!北嶋さん!!」

 男の素性が解らない私達は戸惑う。

「ワシは行かんぞガキ。寒いからの」

 更に突然現れた老人に驚いた。

「ジジィは炬燵で蜜柑でも食って待ってやがれよ」

 石橋先生が老人を見て驚く。

「松尾!!松尾先生ですか!?」

「いかにもじゃ。このガキはワシの弟子。まぁ、不安がるな嬢ちゃん達」

「松尾先生?阿久津さんと同じ、神の呪いに立ち向かった一人?」

 結奈が驚きながら声を挙げる。松尾先生の名は私達も知っているが、お会いするのはこれが初めて。挨拶をしそこなったと若干後悔した。

「君代ちゃん以外は逃げ出したも同然じゃがな」

 松尾先生は苦い顔をして俯いた。結奈は何故か知っているようだが、私達は今日初めて知った古代の蠱毒。それと戦った師匠達。その盟友の一人…

 不謹慎ながらも興味を覚えた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺の登場で一気に場が慌ただしくなったが、特に構う必要はないだろう。

 茶でも貰いに台所に行こうとする俺の前に九尾狐が立った。

「何か用かよ?」

──勇の調子がいつものように戻った。礼を言うぞ

 大妖、白面金毛九尾狐に礼を言われるとは思わなかったが…

「ハッ!!テメェはテメェの言い付けられた仕事をしな!!外はソフィアとロゥが守ってやるからよ!!やいジジィ、テメェも外の分身を食い止めるくらいしやがれよな?」

「嫁の身に何かあったら困るからのぅ。食い止める程度はできようか」

 ジジイは頭を掻きながらも覚悟は決めているようだ。

「ソフィアとロゥって何?」

 有馬って女が訊ねて来る。意外と胸…いやいや、ソフィアの方がデカい。

「俺の女とフェンリル狼の名さ。外にいるから行ってくりゃいいさ。ついでに分身を見てみなよ」

 俺は相手をするのが面倒になり、北嶋の女の部屋から出た。

 台所を探し、ウロウロしている途中、女に肩を掴まれた。

「何だ女?」

「あなた鬼仙道の葛西 亨よね?私と立ち合わない?」

 挑発的な目を俺に向けて笑っていた。茶髪で細身の、言っちゃなんだが今時のって感じの女が俺に勝負を申し込むとは。

「水谷のババァの弟子か?そんな線の細せぇ女が俺と勝負を所望とはな。テメェ、名は?」

女は無い胸をこれでもかと張り、名乗った。

「私は千堂せんどう 結奈ゆいな。水谷一門最強よ!!」

「最強?テメェがか?」

 テメェで最強を謳う輩は大した奴じゃねぇが、丁度いい。

 外の分身を北嶋の女の仲間にも見せてやるチャンスか。

「いいぜ。外に出な」

 踵を返して北嶋の女の客間に寄り、居た連中を促して外に出る。

「物騒な事を考えておるな。手加減はしてやれよガキ。ワシは嬢ちゃんの様態を見とるから行かぬからな」

 ジジイが俺が頼もうとした事を自ら言ってくれて助かった。

 俺に連れられて外に出るババァの弟子達を促す。

「おいテメェ等、屋敷を見てみなよ」

 振り返るババァの弟子達。

「これは!!」

 有馬が恐怖なのか震える。

「これで分身?」

 こいつは桐生と言ったか。こいつも蒼白になった。

「これをソフィアさんて人とロゥって狼だけで押さえると言うの?」

 石橋の弟子、宝条と言ったか。信じられんと呆ける。

 兎に角、ババァの弟子達は予想通りに唖然とし、震え上がっていた。

「ナーガ(龍)とはよく言ったもんだよな」

 俺は、いや、俺達は水谷のババァの屋敷を見上げる。

「屋敷が…蛇に締め付けられているなんて…!!」

 そう。有馬の言う通り。水谷のババァの旅館みてぇな屋敷に蛇が蜷局を巻いて締め付けていやがるのだ。

 まさに龍と呼ぶに相応しい巨大さと禍々しさ。

 そいつは真っ赤な瞳を俺達に向け、舌をちょろちょろ出しながら睨み付けていた。

「あ!あれ見て!!」

 桐生が指差した箇所、蛇の首に四つ、鎖が繋がれ、分身の動きを封じている。

「キョウ…言われた通りにしたけど、グレイプニルもそんなに保ちそうもないわ…」

 ソフィアがかなり疲労した感じで俺に話し掛けてきた。

「そちらの方が蛇を?」

 宝条の問いに頷くソフィア。

「私の力だけじゃ無理でしたが、ロゥが気を引いてくれたおかげで何とか…」

 後ろを振り返るソフィアの視線の先に、ロゥがやはり疲労感を露わにして座っている。

「その灰色の狼が魔狼、フェンリルですか…グレイプニルとは、そのフェンリルを捕らえた枷ですよね?」

 有馬の問いに頷くソフィア。そしてその場にしゃがみ込んだ。立っているのもしんどいと。

「その通り、北欧の魔狼を捕らえた枷…熊の腱、猫の足音、女性の髭、山の根、魚の息、鳥の唾の六つの材料で作った魔法の枷です。以前、こちらのお婆さんからの依頼で作った銀の糸と同じ素材ですね」

「そういえば、お師匠は確かに銀の糸を持っていたいわ…全然切れない魔法の糸だと…」

 水谷の弟子達は感心して呆けていたが、そのグレイプニルがぶっ壊れる程の力をこの蛇が持っているのを忘れちゃ困る。

「保ちそうもねぇなら、俺が帰ってくるまで繰り返し繋げ。頼んだぜソフィア、ロゥ!!」

 ソフィアは肩を竦めてやれやれと言った感じで返す。

「解っているわ。お願いねロゥ」

──面倒だな。喰い殺させてくれれば手っ取り早いんだが

「駄目だ。無理やりぶっ殺したら、女に憑いている本体が暴れちまう。そうしたら、女は死んじまうからな」

 ロゥは解っていると言った感じで頷く。

「フェンリル狼の名前はロゥって言うんですね。格好いい名前ですね」

 桐生の世辞にソフィアは嬉しそうに笑う。

「ええ!キョウに狼の日本語読みを聞いたら、『ろう』とも読むと言ってくれたので!」

 和やかになりつつあった場で、さっきの千堂って女が前に出てくる。

「そんな蛇とか狼とか枷とかどうでもいいから、早く立ち合ってくんないかな?寒くて寒くて堪らないわ」

 一斉に千堂って女に視線を向ける俺達。

「結奈、いい加減にしなさいよ…」

 有馬の言葉の語尾に強さを感じた。空気を読まねえ自己中加減にムカついているようだ。

「ああ、そうだな。じゃ、かかって来いよ。手加減して命は取らねぇ。安心しな」

 俺は仁王立ちで女を見据えた。

「手加減ですって!?減らず口を!!」

 女は印を組み、術を発動させた。

「冥獣の顎!!」

 指を二本立てて、俺に突き出すと、そこから頭が三つの犬…ケルベロスが出て来た。

「地獄の番犬を現世に喚んだわ!!そのまま咬み殺されちゃえ!!」

「凄ぇ術かと思ったら…羅刹!!」

 俺の背中から羅刹が出て来て、ケルベロスを掴み、身体を捻じ切った。

「きゃああ!じ、地獄の番犬を!?」

 余程自信があったのか、女は腰を抜かしてその場にへたり込む。

「犬如きが鬼神に勝てる道理はねぇだろ馬鹿女」

 羅刹はケルベロスを頭からボリボリ貪る。

「わ、私の最強の術が…」

 この程度が最強とは笑わせやがる。実際に鼻で笑ってやった。

「呪いに掛かった女はな、現世に氷地獄を喚んだぜ。せめてあのくらいの術じゃなきゃ、俺に傷一つつける事はできねぇぜ馬鹿女」

 羅刹を背中にしまいながら、女に言う。

「尚美が氷獄の檻を!?」

「尚美は勉強家だからね…」

 有馬が千堂って女の腕を取り、立ち上がらせた。腰が抜けて立てそうも無かったからだろう。

「テメェの力量が良く理解できたか?じゃあ屋敷に入って隅で大人しくしてろ。俺達の邪魔をするんじゃねぇぜ…」

 俺は女に向かって手の甲で追い払う仕草をした。

「認めない…北嶋 勇が師匠の置き土産を片付けるなんて事は絶対に認めない……!!」

 有馬に連れられながらブツブツ言う女。あれで北嶋を差し置くつもりなんて、平和な馬鹿女だ。

「つか、あの馬鹿はまだかよ!!」

 一向に現れる気配の無い北嶋に多少苛立つ。

「北嶋さんはのんびり屋ですから…」

「北嶋さん、葛西さんが来てから、調子戻ったみたいですね?」

 本来の調子に戻ったのは複雑な思いだが、それが北嶋の万全なら仕方ねぇ。

「誰か引っ張って来てくれよ」

 俺の願いに、水谷の弟子達は互いにツラを突き合わせ、屋敷に小走りで帰って行った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 冬の富士山は超危険で超寒いと聞いた事があった俺は、俺が着れそうな服や登山の装備を探していた。

 しかし、そんな心配は皆無だった。

 なんか婆さんから荷物を預かっていると言うオバサンに連れられ、屋敷の一室に案内されたのだが、そこに登山の装備やら防寒服やらあったのだ。

 話によると、年末にいきなり婆さんが頼んだらしい。

 視えたのだ。行かなきゃならん場所が。

 荷物のチェックの為にリュックを探った俺、そこに手紙を発見する。


 小僧、いかにお主とて、冬山登山は危険極まりない。

 ババァがそれなりに用意しておいた装備を使え。

 そして、鏡の在処はここじゃ。


 手紙と一緒に手書きの地図が忍ばせてあった。

 冬山に地図を見て歩いても大丈夫かどうかは解らんが。まぁ、有り難く使わせて貰うが。

 リュックは二つあった。

 葛西の為の物じゃないのは理解した。

 サイズの異なる男女の防寒服が数着あったからだ。

 一緒に行く奴までは解らなかったようだな。

 だから日記の最終ページなんだが……

 俺はジーンズのポケットから紙を出した。

 婆さんの日記の最終ページだ。

 これは誰にも見せたくなかった。破いて尻ポケットに隠したのだ。

 それを広げて見る。

「…大丈夫だ婆さん。一緒に行く奴は葛西だ。暑苦しい…いや、丁度いい…いや、暖かそうな葛西なら安心だろ?」

 本当は一人で行きたかったが、俺は神なんか視えないし感じない。鏡の裏に隠れているなら尚更だ。だから視える奴の力が必要。

 大丈夫。葛西なら…

 言い聞かせるように呟く。

 ガラじゃないな。

 俺は日記の最終ページを尻ポケットにしまう。

 その時丁度桐生と宝条が迎えに来た

「北嶋さん、ここに居たのね」

「葛西さんが待っていますよ北嶋さん」

 携帯を開き、時計を見る。

「まだそんなに経ってないだろ?せっかちだな。暖かそうな分際で」

 俺は仕方ないので、葛西の分のリュックと防寒服を持ち、のたのたと玄関に向かって歩いた。

「急いで北嶋さん」

 リュックを一つ、奪い取って走る桐生。

「車は葛西さんが乗って来たパジェロだそうです」

 宝条が防寒服を一着奪い取って走る。

 みんなテンション上がっているな~とか思いながら、俺も小走りで外に向かった。

 外に出た俺は、先に荷物をパジェロに積んでいた桐生達を頼りにそこに向かう。

「遅ぇぞ馬鹿!!テメェの案件だろうが!!」

 葛西がいきなり怒りながら出迎える。

「遅いって、まだ30分くらいだろ」

 文句を言われて俺もムカッとするも、葛西のパジェロに荷物を積み込む。

「キョウ、気を付けてね…」

 パツキンが暖かそうな葛西の手をそっと握ったのにムカついた。

「コラァ葛西!!イチャイチャしてんじゃねー!!急ぐぞ!時間が無いんだ!!」

 パツキンにデレデレし、ニヤニヤしている葛西にビシッと気合いを入れる俺。

「この野郎…本気でぶん殴ってやろうか!!」

 パツキンとの情事を邪魔されて怒り、握り拳を作る葛西。

「暖かそうな葛西、俺が折角平和的解決を目論んで優しく言ってやったのに…お前とはここで決着を付けなければならない運命なのか…!!」

 目頭が熱くなる。

 これも暖かそうな葛西が俺に対して自慢した結果だ。致し方ない。

 俺も空手の構えを見せる。通信空手九級の力を見せてやらんとな。胸が痛いが仕方ない事だ。

「助っ人とやり合おうとする馬鹿は初めて見たぜ!!」

 葛西の怒号にビビる桐生と宝条。パツキンと一緒にオロオロし出した。

「デカい声を出すな暖かそうな葛西。可哀想に、ビビってるじゃねーか」

 互いの真正面に向き合うように歩く俺達。

 その時!!

 葛西のペットのグレーのポメラニアンが間に入って俺の歩きを止めた。

 何かウーッとか唸っている。

 俺もタマと暮らして犬語(?)を理解した訳だ。

 これは恐らく…

 弱い飼い主の暖かそうな葛西をどうか許してやって下さい。飼い主は虚勢を張る名人なんです。ワンワン。

 と言っているに違いない。

 再び目頭が熱くなる。

 その小さな身体で飼い主の身を案じるとは天晴れ!

 俺は屈んでポメラニアンの頭を撫でる。

「暖かそうな葛西。ポメラニアンに命を救われたな!」

 葛西はポカンと口を開けながら俺を見下ろしている。

 ポメラニアンは俺の手をガシガシ咬みながら、飼い主を許した俺の心の広さに感謝していた。

「よし、行くぞ葛西!」

 ポメラニアンから手を離し、助手席に乗る俺。

「お、おう…」

 葛西は釈然としない顔をしながらも、運転席に乗り込んだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さんと葛西さんの乗った車のライトが小さくなるまで見送っていた私達。

「色々ありましたが、行きましたね」

 小さくなっていくライトを見送りながら、私が独り言のように口を開いた。

「一時はどうなるかと思いましたけど…」

 宝条さんの言う通り。いきなり喧嘩になりそうだったから。あの二人の喧嘩に割って入る勇気は私には無い。

「ロゥが止めに入らなかったら、まだやっていたんでしょうね」

 ソフィアさんの言葉に頷いて、私達は一斉にフェンリル狼を見た。

 ズーンと落ち込んで顔に線まで出ているフェンリル狼。

 あの時、北嶋さんと葛西さんの間に入ったフェンリル狼は、北嶋さんに本気で牙を向けた。

──貴様!!あまり訳の解らぬ戯言をほざくな!!

 灰色の毛を逆立て、怒気を発するフェンリル狼は、北欧の魔狼と呼ばれるに相応しい威厳と恐れを放っていた。

 ところが北嶋さんは、本気のフェンリル狼の頭を小動物を愛でるように撫でた。

 驚きながらも納得した。

 九尾狐の妖気を感じない北嶋さんは、依代のフェネック狐を見ている。

 同じように、フェンリル狼の魔力を感じていない訳なので、幼生のフェンリル狼を見ているのだ。

 フェンリル狼は北嶋さんの手に牙を立てるも、甘噛み程度にしか感じない。

 なぜ北嶋さんが退いたのかは解らないが、フェンリル狼に恐れて退いたのではないのは確かだ。

 フェンリル狼は自身の力が全く通じず、小動物扱いされた事で激しく落ち込んでいるのだ。

「あの人は特別なのよロゥ」

 慰めるソフィアさんだが、フェンリル狼は頭を上げようとはしなかった。

──解っているが、やはり、なぁ…

 見ていて気の毒になる。

 恐らく九尾狐も最初はそうだったのだろう。今は本当に北嶋さんのペットになっちゃったけど。

「…ん?」

 宝条さんが何かに気が付く。

「どうしました?」

「何か…車が戻って来ていませんか?」

 宝条さんに言われて車のライトを見る私達。

 闇夜を照らしている車のライトが段々と大きくなって此方に向かって来ていた。

「本当だ…戻って来ている…」

「忘れ物かしら?」

 そのまま黙って見ていた私達の前に、遂に葛西さんのパジェロが停車して、助手席から北嶋さんが降りた。

「ど、どうしたの北嶋さん?」

 葛西さんとやはり喧嘩したのか、北嶋さんの表情は険しい…

 葛西さんも運転席から出て、険しい顔をしてソフィアさんに近付いていく…

「ど、どうしたんですか二人共?」

 宝条さんの問いかけに返事をせず、遂には私の前に来た。

「き、北嶋さん?」

 北嶋さんは凄く真面目な顔を私に向けながら言った。

「桐生…金…貸してくれ」

 私は口を全開にして呆けてしまった。真面目な顔で言うセリフがこれ!?

 同じように隣では…

「ソフィア…小遣いくれ…」

 ソフィアさんも口を全開にして呆けた。

 言葉が出なかった私達の代わりに宝条さんが聞いてくれた。

「お、お二人とも、お金持ってないんですか?」

 言われて北嶋さんと葛西さんは財布を取り出し広げて見せる。

 財布の中には、北嶋さん、982円。葛西さん、1030円…

 凄く可哀想に思った私は、北嶋さんにお金を貸した。

 同じくソフィアさんも、葛西さんにお小遣いを渡していた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結奈を適当な広間に押し込めて尚美の容態を見に行く。

 尚美には松尾先生と九尾狐が付き、呪いの飛び火とやらに備えていた。

「ここはワシと九尾狐が見る故、君代ちゃんの客の対応を頼むわ」

 私の顔を見るなり、松尾先生がそう言ってくれた。

 一礼し、尚美の容態を見る為に、尚美が寝かされているお布団に近付いた。

──あまり近付くな。妾は貴様等も守るよう、勇から言い付けられておるのだ

 九尾狐に怯んだ訳ではないが、私は尚美にそれ以上近寄る事をやめた。

 北嶋さんに任された九尾狐に、恐れを通り越して頼もしさまで覚えていたのだ。

「呪いの飛び火がどれほどかは解らないけど…私達もできるだけ協力するわ」

──協力すると言うのならば、なるべくここには近寄るな。貴様等では力が足りぬ。理解していよう?

 ジッと私を見る九尾狐。

 自分の仕事をなるべく増やしたくない、もしくは邪魔されたくないと言った感じだ。

 私は九尾狐に油揚げを、松尾先生にお酒を差し入れ、そのまま尚美の客間から出た。

 師匠が眠っているお部屋に行く途中、北嶋さんから預かった師匠の日記を何気なしにパラパラと捲った。

 普通の日記の後、自分の死んだ後の北嶋さんへの伝言…

 それから数10ページ程白紙が続き、慌てて書き足した呪いの飛び火の警告…

 何か違和感を覚える。

 何だろう?

 再びパラパラと捲ってみる。

「ん?」

 最終ページの近くが破られた跡がある。

「何故?」

 目を凝らして見ると、後ろのページに筆圧の後がうっすらと確認できた。

「破られたページに何かが書かれていた? 」

 何か胸騒ぎを覚える。

 このページを破ったのが北嶋さんだとすると、見せたくない何かが書かれていた事になる?

 ヤバい…

 ヤバいヤバいヤバい!!

 誰か死ぬ!!

 何故かそう感じ、貧血を起こしたように、その場にへたり込んだ。

 私の異変に気が付いた姉弟子が心配そうに駆け寄って、私に何か話していたが、私の耳には全く入ってこなかった…

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