「ドイツ的なもの」とは何か

「ドイツ的なものとは何か」という問いに考える事は、私のイメージの中ではドイツはプロイセン的なイメージが強い。

 真面目だ統率された集団、個人の利益よりも集団の利益を優先するイメージが強い。

 それは現在のドイツを知る前にナチス・ドイツの事を教わったからであろうが、

 いつまでもこのイメージが消えないのは不思議で、ゲーテやベートーベンが生まれたおなじ国で比較的野蛮人と思われているアドルフ・ヒトラーが誕生したこともまた

 不思議である。


 プロイセンは義務的観念が発達しており、ドイツ帝国統一運動の中心して貢献し、軍制・税制・学制・土地制度等の諸分野で先駆的な改革をした実績がある。

 全てが全てにおいて徹底的であり、決めたら全てで全力で事にあたりどんな障害も払いのけ乗り越える、強引にでもやり遂げる。

 これらは芯が通っているともいえるが軍国主義的で形式主義学とも言える。


「ドイツ的なもの」を形成しているものはドイツの風土と歴史である。

 ドイツの風土や歴史がドイツ人の心性をどのように捕らえているかは次のような事である。


 風土により人間の心性が変化するのを初めて主張したのはゲーテの友人ヘルダーであり、日本人では和辻哲郎が初めてだった。和辻哲郎は『風土』の中で、人間の精神の風土的な構造を考察しているが和辻哲郎はヘルダーの影響を強く受けており、

 人間の精神の風土的な構造ははじめヘルダーが明らかにしようとしていたものであった。

 ドイツは長くて厳しい冬を持ち、鬱蒼たる森(聖なる森)はドイツ固有の風土をなしている。

 森が「聖なるもの」と感じられるのは、森がえいえんの生命を有していると考えられているからだろう。

 太鼓のドイツは国土の大半が森によって覆われていたようである。

 カサエルの『ガリア戦記』とタキトゥスの『ゲルマニア』は大昔のドイツの姿を伝えている。


 歴史ではドイツ史においてドイツ人の心性にもっとも大きな影響を与えた出来事はナチズムの登場であり、ナチズムはドイツ民族とゲルマン神話を神聖化し「ドイツ的なもの」こそ絶対的にして至上なものだと考えた。

 この「ドイツ的なもの」とはプロイセン的なものを指すのだが、この考え方は大きく人々に影響を及ぼし、「ドイツ的なもの」の確立に深く影響を及ぼした。


 ワイマール的なものも確かにドイツ人の心性に影響を与えているのも確かである。

 ワイマールとプロイセンの対比が「ドイツ的なもの」の二面性を生み出し、それが東西の分裂をもたらした。


 光と闇が裏表であるようにドイツのワイマールとプロイセンも陰陽のように裏表であると考える。

 1つの国にある「二つの魂」「二つのドイツ」という考えは「ドイツ的なもの」を考える上で重要であり、かつそれ自身が「ドイツ的なもの」を生み出すきっかけになったのならば、ワイマール精神とプロイセン精神の二つの精神を生み出したそれぞれの風土が「ドイツ的なもの」とされると考えられるのではないのだろか。

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