国家神道の宗教的意義
歴史の中において政治と宗教は切ってもきれない関係にある。
日本においては古代の仏教、そして鎌倉時代の五山、江戸の儒教、そして明治の神道のように,様々な宗教が政治に利用させてきたことがわかる。
しかしその中でも特異であるといえるのは、明治期における国家神道であろう。
というのも、この神道は単なる政治の道具として利用されたのみではなく、国民的道徳として国民を大きな家制度の中に捉え、 父を天皇、子を国民とし無条件絶対服従の精神を植え付け、 その結果戦争へと国民を駆り立ててしまったからである。
このような事例に見られるような、政治と宗教的イデオロギーが絡んだ時の 国民の精神界へもたらす危険性の原因とその歴史を考察したい。
元来、一般的な神道は特定の教祖をもたない多神教であり、自然発生的宗教であるといわれる。 儒教・仏教などの外来宗教がまだ顕著でない8世紀前期頃までの神道を古神道というが、 これらはその後様々な展開を繰り広げていく。
そのきっかけとして挙げられるものうちの一つに、儒教の倫理の触発による道徳意識の発達、 そして皇室を中心に再編成された神話の統合がある。 そして大化改新頃からの神祇制度によって皇室・有力氏族の氏神が国の守り神とされたのだが、 この時点ではまだ神道は祭祀中心の儀式的宗教であり、宗教的権威はまだ低いものであった。 実際に全国神社の過半数は幕末まで仏教の影響下にあったことから、神仏習合はごく自然に当時の人々に受け入れられたと思わ また、儒教の影響も強く受け、江戸末期には儒教神道なるものも登場した。
しかしその後、外国船の出現を媒介にして、国体論的な危機意識が成立し、 それが幕末の尊王攘夷運動の中で重要な意味を持ち、 天皇と国体の権威が強調されるようになってきた。
安丸良夫氏によれば、その後の王政復古とは、明治維新が薩摩藩を中心とした少数派によるクーデーターによって形成された、 強引な権力の性格を持っていたので、彼らがみずからの正当化のため、尊王攘夷という多数派の思想を利用し、 天皇制を強調した、という。その是非はともかく、当時の国民意識の中で天皇の絶対性はそれほど強固なものでなかったのは確かであろうが、 不安定な政府にはまず自己の正当化と国民の精神統一を計るイデオロギーが必要であったのは言うまでもない。
1868年、祭政一致という、政治の指導原理をより強調するため、神仏分離令(神仏判然令)が発布されたが、これが予期せぬ事態を生じさせることとなった。
それが廃仏棄釈運動と呼ばれる画期的な、仏教に対する破却行動であった。 この分離令に関して安丸氏は政策的に合理性に乏しすぎた、と述べている。 つまり、強引に政権を取った少数派が宗教問題などに力を入れてよかったのかということである。 具体的には財政面ではかなり東西本願寺に依拠していたのにもかかわらず、こういった法令を発布してしまったことがあげられる。 また、村上重良氏は、近代的国家体制の形成のためになされた維新に、神道国教化といった復古主義に陥ってしまったこととの矛盾。 この矛盾は後々まで様々な形で表面化してくるのである、という。
政府は、分離令や神格制度、そして大教宣布運動を通して神道国教化を進めたが、 過激な神道家による廃仏毀釈などの宗教間の混乱の反省も含め、神道の宗教性を否定する方針へと転換を謀った。 つまりは神道を唯一の宗教とする事に終止符をうち、一般の宗教と区別し、国民道徳とすることによって、混乱を避けようとしたのである。
元来、神道には教義、教祖や経典がないとされているが、それらは勅命などをみることで、知る事ができる。 1871年(明治4)には神祗官を太政官所管の神祗官へ格下げ、かつての宗教政策を天皇政敵国民強化へ切り換えた。 そして翌年には神祗省を廃止し、教部省を作る。そして大教宣布と民間諸宗教を疎動員して展開させるため、大教院、中教院、小教院を設け、国民強化運動を行っていく。
しかしこの時、政府がみずからの神道の宗教性を否定した付けがまわってきた。
島地黙雷らの仏教再興の運動が政府の方針に便乗して行われた。島地の建言による教部省の教導職に僧侶が任命され、復古神道化の交替も相互した結果、
僧侶達は神仏合併布教を通じて、みずからの失地回復に乗り出す。ここに政府の矛盾した方針をすばやく見抜いた僧侶達の姿が伺える。
このようにして最終的に国家神道に対抗しうる地位を確保し、政府の批判が可能になったのだが、やはり限界はあった。 真言宗の渡辺雲照や浄土宗の福田行戒は結局「皇国仏教主張」にとどまり、島地も福田に比べれば革新的ではあったが、 天皇制には直接触れることはできず、更に「差別平等論」によってキリスト教に矛先を変える形をとる。このように仏教界においても、混乱が生じた。
1889年、政府は「大日本帝国憲法」を発布し、その中で信教の自由を保障する。
この経過には諸外国の圧力もあったのだが、ここでいう信教の自由とはあくまでも国家神道の教義を妨げないものに限っており、 諸宗教は教義を変えるか、もしくは普遍性を維持し、弾圧を覚悟するかの二者択一を迫られた。しかし、このような遠まわしの諸宗教への弾圧はこれに始まったことではない。
溯るが、1873年(明治6)には「教部省通達2号」で「梓市子、狐下ヶ等ノ仕業」とすることで、「人民ヲ眩惑」する行為を禁止、翌年の「教部省通達書き、乙33号」においては 「禁厭祗祷」を行い、「医療ヲ妨ケ湯薬」の停止をすすめる者と取り締まると明示してあり、このような通達への弾圧法規として活用されることとなったのである。 このようにして政府は神道はあくまで国民道徳であり、宗教性を否定しつつ、その方針を打ち出しながらも一方で他宗教への弾圧を行うというような政策を行ってきた。
しかしこのように、国家神道を国民道徳としたところに、問題がある。
つまり宗教政府であればそれを批判することが可能であるが、道徳政府となれば、絶対的服従が要求されるからである。 しかし、天皇崇拝の宗教的性格を含んだ「国民道徳」を受け入れるということは、他宗教からすると、教義を否定せねばならなくなるのが現状である。 確かに他宗教による抵抗もあり、キリシタンによる教育勅語不拝事件や、僧侶も参加した大逆事件等の弾圧に対する抵抗事件もあった。 が、やはりキリスト教と仏教間との教義的対立は深刻で、仏教者の中には神道と一体化することで弾圧を免れようとする者も出てきた。
このように諸宗教に非常な混乱を招くこととなった国家神道政策は「教育勅語」で明らかなように教育と一体化し、 元々維新政府によっていわば強引につくりあげられた思想も急速に国民精神に浸透していくこととなった。
このような政府の方針や国家神道に関する法令から国家神道の教義を知る事ができる。
まず、天皇は天照大神から万世一系の血系を継ぐ神の子孫であり、自ら現御神である。 そして日本は特別に神の保護を受けた国であるから日本は世界を救済する使命がある。 それが戦争を聖戦化させ、正当化した所以である。そして天皇への滅私奉公を利用し、戦争時などの非常事態の際にはすべてを捧げて死ぬように教育していったのである。 このようにして宗教としてではなく国民精神、国民道徳として位置づけられた国家神道は、大日本帝国の理念そのものであった。
だがここで重要なのは、現実的に国家神道とは宗教的意義を備えていたか、ということである。
まず忘れてならないのは、本来民衆になかった天皇崇拝の概念を、維新政府が自己正当化のため無理矢理作り上げた、ということ。 そして西洋のキリスト教を見習い、安易に政治に利用したこと。この場合、宗教的のみならず政治的にも矛盾がある。 前述したように近代化と復古主義とを同時に行ったことである。そして教育勅度などにみられる、儒教的性格も問題だ。 安易に他宗教を受け入れてしまうのは宗教としての普遍性に欠けている。 また、本来教祖がいないとされる神道の中に教祖的権威をないのにあるかのようにさせ、国家神道としての政治的宣伝を行ったこと。
これらのことを踏まえて考えると、宗教としての国家神道にはやはり内容的に欠陥があったといえよう。
村山氏によれば、国家神道とは内容を欠いた国家宗教であり、実は内容を持たないことによって、 はじめて最大限の機能を発揮できるという特異な性格の宗教であった。 そして平穏時においては存在価値のうすい国家神道も非常時である戦争時には強大な統制力を発揮した。 このように過去を反省する時、国民を戦争へと次々に追いやった神道国教化の成果は、決して軽視できないことである。
しかしこれは神道のみに言える事ではなく、戦争協力について自己批判をすべき宗派は基督教や仏教にも言えることである。 しかしみずからの過ちを認め、自己批判する事は容易ではなく、ドイツにおけるプロテスタント集会のいわゆるシュトウットガルト罪責告白が戦争直後になされたことを考えると、 その点日本の諸宗派は無責任であったといわざるをえない。
その中でも特に今現在も課題を残しているのが国家神道であり、天皇制であり、そして政教分離の不徹底である。 靖国神社参拝や忠魂碑訴訟、そして元長崎市長の天皇戦争責任追及の「問題」発言にしても、世論で話題にされたのは「信教の自由や言動の自由」にとどまり、 根本的な議論(天皇制の是非)が避けられているのが現状である。敗戦し、日本は変わったとは言うものの、本当の深い意味での民主主義は未だに浸透していない。
参考文献
「新宗教」梅原正紀 現代書館
「浄土真宗の戦争責任」菱木政晴 岩波
「近代の天皇」鈴木正幸 岩波
「天皇制と日本宗教」丸山 照雄編 亜紀書房
「国史大辞典」 吉川弘文書
「日本における国家と宗教」大蔵出版株式会社
「天皇制国家と神話」戸村政博、日本基督教団出版局
「神道を知る本」別冊宝島
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