第20話
「改めて見ると結構悲惨な状況よね……」
濃厚な一夜が明けて、二人は陽菜の部屋にいた。シーツだけが切られていると思っていた陽菜のベッドは、改めて見るとマットレスまで切り裂かれていてシーツを変えれば寝れるという話ではないし、キッチンの方ではガラスの器が割れていて床に散乱していた。大家さんが朝早くに対応してくれたおかげで鍵はもう新しいものになっているが、このままではまともに暮らすことは出来ないだろう。
「買い足さなくてはいけないものは後回しにして、まずは片付けをしましょうか?」
そんな長谷川の言葉で片付けは始まった。床に散らかった物は一度別のところに移して、歩けるスペースを作っていく。ガラスの破片が散らばるキッチンの床は靴を履いたまま片付けた。
最初はすごく散らかっているように見えた陽菜の部屋だが、二人がかりでいくと意外にも早く片付けは進んでいく。
「身体は大丈夫ですか?」
ある程度、片付けの終わりが見え始めた頃、長谷川はそんな風に声をかけてきた。陽菜は長谷川の方を振り返りながら一つため息をつく。
「身体と言うより、心の方が痛いです。あの割れた食器お気に入りだったのにー……」
「そうではなくて、いえ、もちろんそっちも心配なんですが……こっちの方は大丈夫ですか?」
側に寄った長谷川がさらりと腰の方を撫でる。その瞬間に思い出したのは昨夜の情事だった。陽菜は一瞬で頬を染めると、声にならない声をだす。
「――っ!」
「昨日はがらにも無くはしゃいでしまったので……」
大丈夫ですか? とのぞき込まれて、陽菜は手に持っていたぞうきんを落としてしまう。それを見て、何を思ったのか長谷川は陽菜をソファーに座らせた。
「やはり一度にしとけばよかったですね。あとは俺がやりますから、陽菜さんはここで休んでいてください」
「い、いやいや、大丈夫ですよ! ここ私の部屋ですし! 長谷川さんが掃除してるのに、一人で休んでいられませんって!」
「でも、身体が辛いんでしょう? 久々みたいでしたし……」
そう言われて陽菜は一瞬にして茹で上がる。確かに元彼であるヒデとは別れを切り出される半年前からそういうことはご無沙汰だった。そして、彼と別れてから昨日までの半年間も陽菜は誰とも体の関係を持っていない。
約一年ぶりの色事だったが、長谷川にはそのことを言ってないはずである。陽菜は口をぱくぱくと開閉しながら目尻を赤く染め上げた。
「な、なんでそんなこと――っ!」
「それはまぁ、昨日はずいぶんとキツか……」
「わぁああぁぁっ!」
陽菜は叫び声を上げながら長谷川の口を覆う。そして、目を怒らせながら必死に声を上げた。
「長谷川さんはデリカシーというものを学んでくださいっ!」
「でも、本当のことじゃないですか?」
「本当のことでも言って良いことと悪いことがあるんですっ!」
目尻に涙をためながら必死にそう言うと、長谷川は少しだけ意地悪く笑いながら「すみません」と謝った。
それから掃除を再開して、気がつけば夕方になっていた。破れたカーテンからは夕日が差し込み、綺麗になった床面を赤く染め上げる。
「今日はここまでですね。……今晩はどうしますか?」
泊まるところを指して長谷川がそういう。その問いに陽菜は小さく唸りながら首を傾げた。
今晩もあのビジネスホテルを使うという手はある。しかし、あのホテルはマンションから少々遠いところにあるのだ。明日のことを考えれば、もう少し近いホテルを検討しても良いかもしれない。
陽菜がそんなふうに思考を巡らせていると、隣から低い声が落ちてきた。
「質問の仕方を変えましょうか。……今晩は俺のところに泊まりませんか?」
「へ?」
その発想はなかったと陽菜がひっくり返った声を出す。
「隣に俺の部屋があるのにわざわざ他の部屋に泊まる必要は無いでしょう? いくらビジネスホテルでも連泊を続ければ金額もバカになりませんし、あのホテルとこのマンションは少々距離がありますしね」
まるで陽菜の心を見透かしたような言葉に陽菜も一つ頷く。確かに長谷川の部屋なら慣れているし、気を遣う必要も無い。
陽菜は以前泊まったときのことを思い出しながら考えを巡らせる。
(掛け布団さえ持って行けばあのソファーでも十分寝れるし、私の部屋も近いし、……考えてみたらとっても好条件よね……。お礼は何か考えるとして、今日は泊めてもらった方が楽かも……)
「……じゃぁ……」
長谷川の提案に乗ろうと口を開きかけたその時、陽菜の耳朶を打ったのは彼の思ってもみない言葉だった。
「ベッドもダブルベッドとまではいきませんが、セミダブルほどはありますし、二人で寝るのは十分ですよ?」
「へ?」
二人で寝る、その言葉の破壊力に陽菜は固まった。しかし、長谷川はさも当然とばかりに片眉を上げてからかうような表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ、今日は手加減をしますから。……それとも、俺と寝るのは嫌ですか?」
その言葉に陽菜は長谷川の方を見ないまま首を振った。
◆◇◆
(普段は冷静でまじめな印象なのに、夜だけ激しいとか、ほんと予想外……)
陽菜はベッドにぐったりと身体を横たわらせながら、赤い顔で一息ついた。その隣で長谷川は陽菜を後ろから抱きしめている。一糸まとわぬ姿の二人は、隙間無く身体をぴったりと付けて互いに少しだけ荒い呼吸を繰り返していた。
「陽菜さん、もう一回って言ったら怒りますか?」
「……怒ります」
流石に限界だと陽菜が首を振ると、長谷川は陽菜を後ろからぎゅうぎゅうと更に強く抱きしめてくる。呼吸も出来ないぐらい抱きしめられているが、それが逆に心地よかった。
「今更なんですが、一つ良いですか?」
そう長谷川が問いかけてきて、陽菜は首だけ彼の方へ向けた。すると、長谷川は拘束を緩めて陽菜を自分と向き合うようにする。
「引っ越しは考えてないんですか?」
「引っ越し……」
「大家さんが特注で鍵を付け替えてくれたと言っても、ここに住むのはもう怖いんじゃないですか?」
その言葉に陽菜は目を見開く。そして、数度目を瞬かせると、少し考えるように目線を上げた。
「正直、今の今までその考えは無かったです……」
「……全く、君は危機感が無いですね……」
呆れ顔の長谷川に陽菜は心外だと口を尖らせる。そして、しばらく考えた後、少し顔を赤らめたまま言葉を紡いだ。
「……引っ越しは今のところ考えてないです」
「何故ですか?」
「ひ、引っ越したら、長谷川さんとも離ればなれじゃないですか……」
その言葉に今度は長谷川が目を剥いた。そして、嬉しそうに陽菜を抱きしめて、彼女の耳元に唇を寄せる。
「……もう一回」
有無を言わせぬその言葉に、陽菜は抵抗もさせてもらえなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます