第7話

「適当に買ってきましたけど良いですか?」

 ビニール袋を下げながら陽菜は玄関で靴を脱ぐ。部屋の中で待っていた長谷川は居心地が悪そうにソファに座って珈琲を飲んでいた。

 マンションから最寄りのスーパーまでは徒歩十分の距離だ。陽菜は一人でそのスーパーに買い物に行っていたのである。

「いくらでしたか? 出しますよ」

「別に泊まった事と片づけのお礼なんで良いですよ」

 そう言いながら陽菜は手早く準備をすすめていく。まな板と包丁を用意するのを眺めながら長谷川は不思議そうな声を出した。

「今から作るんですか? てっきりお弁当でも買ってきたのかと……」

「私もお弁当が手っ取り早くて良いかなぁと思ったんですけど、食材見てたら急に鍋が食べたくなっちゃって。鍋の元は買ってきたので入れて煮込むだけだし、一人じゃなかなか鍋はしないので良かったら付き合ってください。……あ、もしかして、誰かと鍋つつくのとかダメなタイプでした?」

「……いいえ」

 良かったと笑いながら彼女は手を動かしていく。そうしてあっという間に準備を終えた陽菜はカセットコンロをテーブルの上に出すと、具材の入った土鍋をその上においた。

「大きな鍋ですね……」

「鍋好きなんですよー。寒くなったら友人を家に招いて、たまにするんです」

「ほぉ、あの部屋に人を入れるんですか?」

「そ、そういうときはちゃんと片づけます!」

 陽菜がそう怒鳴ると、長谷川はからかうような声を出す。

「普段から片づけてたら、そういうときに焦って片づける必要はなくなりますよ?」

「それはわかってますけど、私だって忙しいんです! それに、あんまり片づけって好きじゃないですし……」

「俺と付き合ったら……」

「長谷川さんの理想になる気はさらさらないので!」

 そうきっぱりと言い放ちながら陽菜は灰汁を丁寧に取っていく。その背中に長谷川は低い声を響かせた。

「じゃぁ、俺の彼女になる気は?」

「はい?」

 とたんに真剣味を帯びた声色に、陽菜の声はひっくり返る。

「俺の理想になる気はなくても、彼女になる気はあるのでは?」

「なんでそうなるんですかっ!?」

「君は何とも思っていない男を部屋に入れて食事を振る舞うんですか? 普通に考えて少しぐらいは期待をしてもいいのでは?」

「そんなわけないでしょ! これはお礼です!」

 勘違いしないでくださいと怒鳴りながら、陽菜は長谷川のそのまっすぐな物言いに少しだけ頬を赤らめる。

 そして、準備をし終わると陽菜は再び長谷川の隣に腰掛けた。ぴったりとくっついた身体に長谷川は少し距離をとる。

「こんなにくっつくと食べにくくないですか?」

「そうですか? じゃぁ、地べたに座りましょうか? 座布団ここにあるんでどうぞ」

「どうも」

 そういって敷かれた座布団の上に二人は座り食事を始めたのだった。


◆◇◆


 食事も終わり、片づけも済んだ後、部屋着に着替えた陽菜は冷蔵庫から缶ビールを持ってきて長谷川に差し出した。

「今から飲もうと思って、長谷川さんも一緒に飲みませんか?」

「……君は……」

 呆れたような視線を受けて、陽菜はコテンと首を傾げた。その様子に長谷川は眼鏡を外し、眉間の皺をもむ。

「俺はいりません。遠慮しておきます。それに……」

「じゃ、お茶のおかわり入れておきますね」

「…………」

 目の前で注がれるお茶を眺めながら、長谷川は一つため息をついた。陽菜はそんな彼を後目に缶ビールを空けて勢いよく煽る。

「あー! さいっこー!!」

「…………」

 上機嫌の陽菜に対し、長谷川はどこか少し怒っているようにみえる。陽菜はそんな彼の顔をのぞき込むようにして、額に手を置いた。

「――っ!」

「長谷川さん、大丈夫です? 体調でも悪く――っ! ひゃぁ!!」

 額に置いた手をいきなり捕まれたかと思うと、陽菜の視界は突然ひっくり返った。見慣れた天井を背景に、精悍な長谷川の顔が間近に見える。

 押し倒されたのだとわかった瞬間、体中の血液が沸騰した。これは流石にまずい状況だと思い、声を出そうとするが思うように声がでない。

 陽菜は何度も唾液を飲み込んで、自分を落ち着かせる。

 そうしてやっと出せたのは、掠れたような小さな声だった。

「あの、長谷川さん……?」

「君は俺に対する警戒心が足りない」

「いや、だって……私に対してそういう気にならないって……」

 長谷川の部屋に泊まったとき、長谷川は確かに『欲情しない』と言ったのだ。陽菜がそのことを指摘すると、長谷川は少しだけ眉を寄せた。

「あの時はあの時で、今は今です」

「なんですかそれ!」

「訂正が必要なようなら、訂正しましょうか? 欲情したので抱かせてください」

「なっ!」

 ぞくりと全身が泡立つ。ぱくぱくと金魚のように陽菜は口を開けたり閉めたりしながら、何も言えないまま長谷川を見上げる。その視線を受けながら、長谷川は苦々しそうに顔を歪めた。

「そういう顔をするから、勘違いするんです」

「……そ、そういう顔?」

「ふわふわとふぬけた可愛い顔をして……これ以上俺をどうしたいんですか!」

「どうするつもりもないですし! どうこうしようとしてるのって、むしろ長谷川さんの方ですよね!?」

 思わずそう叫ぶと、長谷川が少しだけ目を見開いた。そして、だんだんと目を据わらせていく。

「大きい声、出るんじゃないですか。なんでそれで助けを呼ばないんですか?」

「へ?」

「俺がここまでしてるのに、少しも抵抗もしないとは……本格的に男として見られてない気がしてきました……」

 低くなった声に陽菜の背中に冷や汗がにじむ。何とかフォローをしなくては、このまま本当にぺろりと食べられてしまいそうである。陽菜は視線を彷徨わせながら恐る恐る口を開いた。

「いや、ちゃんと男としてみてますよ? 大丈夫ですって! 今度から気をつけるんで、ちょっと本当にどいて……」

「男としてみた上で抵抗してないと? つまり、俺の都合がいいようにとっていいということですよね?」

「ひゃっ!」

 ちゅっと額に唇が当たる。キスされたと理解するのに時間はかからなくて、陽菜は真っ赤になった顔のまま長谷川を見上げた。

「あ、あの、私は長谷川さんの理想とは……」

「全然違いますよ? 俺はどちらかと言えば、美人系の顔立ちが好みですし、君のように子犬や小動物を思わせるような女性はあまり好きではありません。ついでに部屋をあんな状態で放置している女性は絶対に恋愛対象外です」

「……じゃぁ……」

「でもしょうがないでしょう? 好きなんですから! 俺だって『どうして君を』と何度も思いましたよ。でも気がつくと目で追っているし、君に話しかけている男性社員を見ると腹が立って仕方がなくなる。あんな惨状を見た後なのに全く幻滅してなくて、むしろ俺がいないと……なんて思ってしまうんです!」

「そ、それは……どうも……」

 告白しているのは長谷川なのに、陽菜は恥ずかしくて死にそうになっていた。見上げる長谷川の顔もいつもより少し赤みが増している気がする。

「他に好きな人が居ても構いません。少しずつ、俺と恋愛しませんか?」

「あの……」

「嫌なら抵抗してくださいね」

 押さえていた陽菜の手を離して、長谷川がゆっくりと近づいてくる。その光景を見ながら、陽菜は生唾を飲んだ。

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