第1話

 たとえば社内に先日フった男がいるとしよう。

 恥ずかしくて居たたまれなくて、目線を合わせにくいのは当然そのフられた男の筈だ。決してフった女の方ではない。女の方が目線を合わせにくいにしても、それはフった罪悪感からであって、それは振られた男の比ではないのだ。普通は……

「陽菜先輩ー。長谷川先輩また陽菜先輩の方見てますよー。本当に恨まれるようなこと何もしてないんですか?」

「してないわよ……。たぶん……」

「でも、もうかれこれ一週間ですよ? 一週間! 先輩、覚えてないところで絶対何かしたんですって! じゃないとあんな風に射殺すような目で先輩のこと見つめませんもん!」

 書類に赤でチェックを入れながら陽菜はため息をついた。後輩の桂木 芽依かつらぎ めいは可愛らしく巻いた髪を片手でイジりながら、陽菜にしか聞こえない声を出す。

「最近、社内で噂が立ってますよ? 女帝がとうとう鉄仮面を怒らせたんじゃないかってー」

「女帝って言うな。女帝って……」

 女帝というのは陽菜のことだ。男顔負けどころか男以上に仕事ができるその様子に嫉妬した男性社員が付けたあだ名である。陽菜はそのあだ名を快く思っていないので彼女がいるところではあまり口にする者はいないのだが、彼女が女帝と呼ばれていることは周知の事実だった。

 陽菜はさらさらと書類にチェックをしていく。そして、ものの数分で最後まで見終わると、紙の束を目の前の芽依に突き返した。

「誤字多い。後輩もいるんだから、いい加減このぐらいの書類は一発で通せるようになりなさいよ」

「はーい! サーセン!」

「こら!」

「すみませんー! でも、なんだかんだ言って先輩面倒見がいいから甘えちゃってー」

 可愛らしくにっこり微笑む後輩に陽菜は呆れ顔になりながらも、クリアファイルに入った真新しい書類を差し出した。

「次はこっちよろしくね」

「はーい。了解しました!」

 芽依がふざけて敬礼をしたそのとき、お昼の休憩を知らせるチャイムが鳴った。社員が一斉に立ち上がり、それに倣って陽菜も立ち上がる。コンビニで買ったサンドイッチとお茶が今日のメニューだ。

 その瞬間、背後に感じた気配に陽菜は眉間に皺を寄せ、おそるおそる振り返った。

「卯月陽菜さん、今日の昼こそ空いていますね?」

「空いてません。……というか長谷川さん、しつこくないですか?」

「『しつこい』というのは君の主観でしょう? 君の主観を俺に聞かないで貰いたい」

「…………」

 長谷川のその台詞に、陽菜は半眼になりながら顔をひきつらせる。

 彼をフってからの一週間、陽菜は毎日長谷川とこんな会話を繰りひろげていた。その度に断っているのだが、どうやら彼は『諦める』という言葉を知らないらしい。陽菜は片手で頭を抱えながら小さく唸った。

 そんな彼女の様子を尻目に、彼は次々と言葉を重ねていく。

「大体、何故今日の昼が空いてないんですか? 昨日空けておくようにと、あれほど言ったはずですが? まさか忘れて……? 相手方との約束を忘れるだなんて君らしくないミスですね」

「長谷川さんは別に取引相手じゃないですよね? それに、忘れてた訳じゃ……」

「それでは俺との約束を覚えていたにもかかわらず、他に用事を入れたということですか? それは一体どのような用事で、どのぐらいの重要度のものなのでしょうか?」

「それは……」

 旗色が悪くなってきた。陽菜はがっくりと項垂れると、まるで降参したかのように両手を上げた。これ以上抵抗しても貴重な昼休憩を無駄に浪費するだけだろう。今日の彼は引く気がないらしい。

「たった今、用事がなくなりました。そのかわり、明日は誘わないでくださいね?」

「わかりました。それでは行きましょう。人に聞かれたくない話をしますので会議室でいいですか?」

「……はい」

 そうして、まるで売られていく子牛のような気分で陽菜は長谷川の後ろをついて行くのだった。


◆◇◆


 入った会議室は重苦しい空気が流れていた。二十人は座れるだろう広い机に向かい合わせるようにして二人は昼食を口に運ぶ。長谷川から誘ったにもかかわらず、彼はカロリーメイトとパック入りの野菜ジュースを交互に食べながら、観察するようにじっと陽菜を見つめているだけだ。

「長谷川さん、あんまり見ないでください。食べにくいです」

「あぁ、すみません。俺としたことが少し君にみとれていたみたいです」

「はぁ? みと……っ!?」

 陽菜が思わず声を上げる。目の前の長谷川は涼しい顔をしたまま一つうなずいた。

「はい。全くもって不可解極まります。どうして君なんかに……」

「不可解……君なんか……」

 『みとれていた』と言ったその口で長谷川はさらりと彼女を貶す。陽菜は深く刻まれた眉間の皺を揉みながら、椅子に深々と腰掛けた。

「あの、前々から思ってたんですけど、長谷川さんって私のことほんとは嫌いですよね?」

「いいえ、好きですよ? 何度も自問自答を繰り返した結果の結論です。間違いはありません」

「じゃぁ、何で……」

「ただ、君が俺の将来計画とあまりにかけ離れた女性なので、混乱しているんです」

「将来計画……?」

 陽菜がいぶかしげな声を出すと、長谷川は持っていた鞄から分厚い大学ノートを取りだした。拍子には『54』とナンバーが振ってある。陽菜は嫌な予感を生唾と共に飲み下した。

 ぱらぱらと慣れた手つきで長谷川がページを捲る。そして、真ん中あたりで手を止めると、そのノートを陽菜に手渡した。

「これが俺の『好きになる予定だった女性像』です」

「…………」

 受け取ったノートのページを捲りながら陽菜は息を飲む。そのページにはびっしりと文字が並んでいた。身長、体重はもちろんのこと、スリーサイズや日々の行動の細部に至るまで彼は理想とする女性像をそのノートに書き記していた。

「これは……」

「せめて達成率八十パーセント以上の女性がよかったのですが……。君は三十、いや、二十パーセントの達成率でしょうか。もう女性という共通点くらいしか見つけられませんね」

「バスト92、ウエスト57、ヒップ85……」

「服の上からですが、少々バストが足りないと推察出来ます。それとウエストも……」

「なっ……!」

 あまりの衝撃に陽菜は絶句したまま長谷川を見つめる。彼はそんな彼女に追い打ちをかけるように、腕を組むと体を仰け反らせ、ふんぞり返った。

「まず第一に、俺の理想とする女性のタイプは控えめでおっとりとした性格、いつも昼食には弁当を持参する家庭的な女性です」

「弁当……」

 陽菜はその言葉に自分の手元を見下ろした。食べかけのサンドイッチがビニール袋の上でこてんと横になる。

「そして、常に女性らしい容姿や仕草を心がけている人です。君のように毎日男性的な格好で出社するような女性は、本来全く好みではありません!」

「…………」

「しかし、大丈夫です。俺と付き合えば徐々に素敵な女性にしてあげましょう。どうです? 魅力的な提案でしょう? ですから俺と……」

「いや、もう、ほんと、長谷川さんと付き合うとか絶対に無理だわ」

 その言葉に目の前の長谷川はカチンと動きを止めた。

「な、なぜですか? 自分で言うのも何なんですが、俺は優良物件だと思うんですが……」

「いい大学出て、仕事も出来て、そりゃ優良物件でしょうよ」

「ではなぜ……?」

 まったくわかってない様子の長谷川に流石の陽菜もとうとうキレた。

「こんな夢ばっかり見てる奴と付き合えるかって―の!! 理想が高すぎるわ! 理想が!」

「ですから、その理想に俺が近づけて……」

「ふっざけんな!! 大体、私にもそれなりに理想があるんだって―の! アンタみたいな陰険眼鏡となんて絶対付き合いたくないわっ!」

 そう吠えた時、休憩終了を知らせるチャイムが社内に響き渡った。

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