厄の日

 間の抜けた店員の声と共に、コンビニの自動ドアが開く。出てきた辰也の手にはビニール袋。やっと飯にありつける。オンボロ自転車をかっ飛して、空腹はひどくなったが、その場で食いつきたい衝動は抑えた。

 油の一つも差してない乗り心地最悪の自転車で帰ってから食べよう。ふらりふらりと、自転車を置いた場所へと向かう。

「……あれ、ちょっ」

 しかし、そこに自転車はなかった。

「嘘だろ。おい」

 周りを見回しても、辰也のはおろか、自転車一台見当たらない。コンビニ前で柄の悪そうな学生のグループがへらへらと座り込んでいるくらいだ。

「パクられた?」

 最悪だ。辰也は思い切りため息をついた。オンボロとはいえ、貴重な足だったのに。いや、今はそれよりも昼食だ。家まで帰るのが面倒だし、本当にここで食べてやろうか。

 しかし、後ろから不良風味の視線が鬱陶しかった。もしかして、あいつらが盗んだのでは、などと根拠なく疑いたくなるほど粘っこい。やはり、家に帰ってから食べよう。少し歩くことになり、空きっ腹には辛いが、少し歩いた方が気分転換になるかもしれない。休日の真昼の、車通りのまばらな国道を歩いていく。

 走る車の多くは休日ドライバーというやつだろうか。たまに無茶をして、ひやひやさせるような光景が目に入る。心臓に悪いので歩道に目をやれば、親子連れにカップルに、もちろんのように、柄の悪そうなやつらまで、様々だ。

 一組の親子連れは、どこかで貰ったのか、子供が風船の紐を大事そうに持っていた。はしゃぐ子供の頭の上で、ぽん、ぽんと跳ねている。

 だが同じ風船とつくものでも、ぷく、と、柄の悪い奴の口元で膨らんだガムの風船は同じと見たくなかった。

「でよぉ、あんなことしてるワケ」

「うっわ、キモっ」

 げらげらと笑い声が聞こえる。辰也はなるべく無視するように、不自然なくらいに顔を背けて進む。目を合わせたくない。

 ふにっ、と靴底に変な感触があった。

「まさか……」

 足を上げると、白く伸びる気持ち悪いモノ。ガムだった。そして、さっきガムを噛んでいた野郎はもう、ガムを噛んでいない。

「俺、今日、厄日か何かなのか」

 自転車盗難被害の次はガム。はあ、と本日二度目のため息をつく。苛立ちのあまり、こなくそ、と危うく大事な昼食を地面にたたきつけるところだった。しかも、靴底を地面にこすりつけても、なかなか取れない。

 その時、上着のなかで携帯の着メロが軽快に流れた。軽すぎて苛立ちが増したような気がする。半ばやけくそに携帯を開くとメールが一件。宛名は佐藤――友人だった。

『やぁ、元気? 今公園だから来てくれよ』

 公園までは、家より近い距離だった。もう、そっちで食べようか。やっとガムが取れた頃、半ば諦めのような調子で辰也は踵を返すのだった。


 公園のベンチで佐藤はスケッチブックを広げていた。彼は鉛筆を動かす手を止めて顔を上げる。

「や、元気そうで何よりだね」

「昨日フツーに話しておいて何言うか」

「そうだっけ? って、ありがとう」

 え、何が――。言おうとしたその時、佐藤の手がコンビニの袋をひったくった。

「いやぁ、さすがは親友。メールから俺が飯を要求してるってよく分かったなぁ♪」

「いや、それ俺の……」

 時既に遅し。おにぎりの包装は無残にむかれ、佐藤の口の中へ。今日は飯すら食べられない厄日なのかと、辰也はもう、苦笑するしかなかった。

「で、また何でスケッチブックなんか?」

「絵だよ。俺が美術の課題残してたの、知ってるだろ」

「ああ、で、それを終わらせるために……」

「ご名答、まあ、下書きだけど」

 口元に米粒をつけたまま、佐藤は鉛筆を動かす。公園の遊具に、木。そして、木に引っかかる丸いもの。

「何だ、それ」

「あれだよ、あれ」

 赤い風船だった。木の下で小さな子供が見上げている。風船の位置は低く、取れそうなのだが、子供には高い。

「お前、とってやるとかいう発想は?」

「え~、めんどくさい。何なら親友、お前が――って、もう行ってるし」

 少し早足気味に、辰也は木に近づく。遠くから見ている時既に思っていたが、やはり、こういう時の子供はものすごい顔をしている。泣く寸前の顔で、うらめしそうに見上げていた。話しかけると泣きそうなので、辰也はあえて、黙って風船に手を伸ばした。紐の先をつかんで引っぱると、あまり深くひっかかっていなかったのか、すんなりとれた。

 とれたのだが、その瞬間、踏んづけた小石が滑るように転がった。足元がすくわれ、視界が明後日の方向に回る。同時に激痛が、強打した後頭部に走った。

 今日ほど運の悪い日は他にないのではないか。辰也は目の前で飛んでいる星を数えつつ、苦笑を浮かべる。目の前に広がる青空と、そよ風に揺れる木の葉にまで笑われている気がしてならない。

 だが、風船はしっかりと、辰也の手の中にあった。死んでも離すか。

「これ、君のだろ?」

 辰也は半身を起こして風船を渡す。その子が笑顔に戻るのは早かった。辰也から風船を受け取って、ありがとうと言って笑う。

「どういたしまして」

 立ち上がると、ふと、子供の奥、少し遠くに居る母親らしい人と目が合った。おじぎをされ、転倒した格好悪さも重なって辰也は、ばつが悪くなり、恥ずかしくなって佐藤のところに逃げた。

「お帰り、子供のヒーロー」

 へらりと佐藤は笑っている。

 ふと見ると、佐藤の横に、くしゃくしゃになった画用紙があった

「ああ、つまんないから描き直してるんだ」

 そこには、小さな子供が描かれている。荒い線で少年が描き出されていく。少年は後頭部をさすりながら、風船を少しぶっきらぼうに渡している。

「え、嫌なら消すけど。まさかそんなこと言わないよな、親友?」

「――色は塗るな」

「何でだよ。これ提出するのに」

「……線画のまま出しやがれ!」

 少し怒ったように辰也は言った。しかし、笑ってもいて、辰也自身不自然に思う。

 ただ、何となく、色を塗って欲しくなかったのだ。

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