月と感情

今は昔 竹取りの翁と言うものありけり。

野山に混じりて竹を取りつつ

 万の事に使いけり。

名をば「さぬきのみやつ」ことなんいいける。



最近夜勤が続いていた。

燕と一緒に職場で過ごせるのはよいのだが、

一日の始まりを告げる太陽は睡眠を妨げる。さらに家の裏の病院の駐車場で、平日は元気の良い年配の男性が大きな声で駐車スペースへと移動している。


部屋を閉めきりカーテンで光を閉ざすと、全く風が入ってこない。

そしてうちにはエアコンがないのだ。

仕方なしに窓を開けてカーテンを閉ざす。

後は扇風機の生ぬるい風しか、僕を涼ます術はないのだ。


要するに毎日寝不足な上に熱中症との戦いだ。


熱帯夜とはいえやはり夜はマシだ。

太陽の光と熱はないし、やかましい大声も聞かずにすむ。


おかげで今回の連休のうち、1日は12時間以上睡眠に費やした。

それでもつもり積もった不眠からの疲労は回復度60%といったところだろうか。


二日目は少し気持ちにに余裕ができたので、

何か映画を見ようとレンタルビデオ店に走った。


前から気になっていた、高畑勲監督のかぐや姫の物語に手を伸ばして即決。

それから007のスペクターと、良くわからない中国ドラマを借りた。


中国ドラマはおもしろくなかった。

中国語の勉強がてら…と思ったけれど、つまらなすぎてあまり頭に入ってこない。

スペクターはあとでにして、かぐや姫を見る事にした。



アニメーションというよりは、絵がそのまま動くようなその画風にひかれ、

日本人なら誰もが知りうるその物語のはずが、その世界に引き込まれて行く。


こういう感動を本当は恋人とわかちあいたいのだが…

さすがにちょっと難しい。

一年と言うのは非常に短い。

日常や感情は共有出来ても、仕事をしながら言葉を克服するのは困難だ。


だから大好きな小説やマンガや映画を、

燕と共感できないのはとてもさみしい。


燕は9月には中国に帰る。

かぐやは月に帰る。

月の民は月の衣を着ると

地上で過ごした記憶は消える。

燕も中国に帰れば

僕と過ごした記憶は消えてしまうのだろうか?

 

人はなんの為に生きているのだろうか?

人は何故

人に触れ

人と語り

人を求め

喜びあい、

楽しみあい、

怒りあい、

悲しみあうのだろうか?


それは感情を共有しあい、

お互いを認めあい、

生きて来た、

そしてこれからを

生きて行く証が欲しいから。


自分がこの世を去る時に

何人の人が私が生きてきた事を想い

思い返してくれるだろうか?



…等と「かぐや姫」で妄想モード全開して、一人で号泣する39歳。

やはり少し心が弱っているようだ。


「燕に会いたいな…。」


一人暮らしは独り言が多くなる。

でもそれも大事な事だと最近思う。

言葉を発さないとなんとなく鬱々としてくるからだ。


ーういしんー

「今何をしてる?」

「寝る」

「燕に会いたいな。」

「私、寝る、むり。」

「OK。」


「燕8月は花火に見に行こうか!」

「OK!楽しみにする。」

「ゆっくり寝て。」

「あなたも寝て!」

「はい。おやすみ🌛」

「おやすみ。」


人間はこの世の生命の中で、

きっと一番弱い。

それは人を思う感情の生き物だからだ。

でも弱いからこそ、

人を想えるのなら

僕は人間でありたいと

あらためて思うのだ。


と今日も月に向かって独り言。












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