第13話 冗談



 東京市内、町外れにある三階建てのビル。屋上には「石山金具」と大きな看板が掲げられている。建物の前にある駐車スペースに白のセダンを乗り付けて、黒部健二は車を降りた。 

 一階部分には曇りガラスの出入り口があり、様々な金属音が漏れている。その壁端にはインターホンの付いた狭いガラス扉備え付けられ、上階へ続く細い急な階段があった。

 黒部は曇りガラスに近寄り扉を開いた。室内では作業着を身につけた十数人が、所狭しと置かれた様々な機材を操っている。入り口付近で作業をしていた青年が、黒部に気づき腰を上げた。愛想の良い表情で会釈をする。

「お忙しいところすみません。午前中にご連絡差し上げたんですが」黒部は警察手帳を開いた。

「あぁ、社長の」と青年は取って付けたような暗い表情を浮かべた。 

「村井さんは?」

「上に居ると思います。横の階段を使って下さい」青年は壁端にあるガラス扉を示した。

「ありがとうございます」黒部は礼を述べて、ガラス扉の方に移動して階段を上がっていった。

 二階の踊り場にドアがある。黒部は二回ノックをして、返事を待たずに開いた。室内には様々な書類の積み重なったビジネスデスクが並び、壁際にはファイルが詰め込まれた棚がある。全体的に特徴の無い事務所が広がっていた。

 はいはい、と簡易的な仕切りで隠れた事務所の奥から、初老間近のスーツを着た男が姿を現した。互いに会釈をする。黒部は警察手帳を取り出した。

「ご連絡致しました、黒部です」

「あぁ、どうもどうも、お待ちしてました」やたら愛想の良い初老間近の男はそういって、黒部に名刺を差し向けた。総務、という肩書きと共に、村井直也、と書かれている。

 黒部は名刺を受け取り、促されるままに出入り口付近の席に腰を下ろす。

「今お飲物を」

「いや、長居するつもりはありませんので」 

 制止を振り切って、村井はお茶を用意してから、黒部の向かいに腰を下ろした。

「すみません、いただきます」黒部は茶を啜って、「よろしくお願いします」と会釈をする。

「こちらこそ、よろしくお願いします」と村井は頭を下げた。

「早速なんですが、石田さんが行方を眩ました時の状況をお聞きしてもいいですかね?」

「状況ですか?」村井は難しい顔をして「どこから話せば良いですかね?」と聞き返す。

「その日の石田さんの行動なんかを、知ってる限りで良いのでお聞かせ願えれば」

「そうですね」と首を捻って、村井は続ける。「あの日は確か、新しい受注の最終的な打ち合わせも兼ねて、その契約元に行ってたと思います。それで、会社で待ってたんですが、お帰りにならなくて」

「向こうの会社の方には行ってたんですかね?」

「えぇ、十七時頃に正式な契約を交わして帰られたみたいです。多分その後に、何かに巻き込まれか」村井は大きく息を吸って、勢い良く吐き出した。

「その会社の社名と所在地をお聞きしても良いですかね?」黒部はいつも通り、淡々と訊いた。

 うぅん、と村井は言い渋った。

「ご迷惑をお掛けするつもりはありません。その周辺での目撃情報なんかを調べなくてはいけませんので」

「まぁそうですよね、すみません」村井は苦笑いを浮かべて会釈を入れる。そして社名と所在地を黒部に伝えた。

「ご協力ありがとうございます」手帳に情報を書き込んで、礼を述べる。

「いや、先方の方が親切にして下さいまして。こちらの契約書なんかは社長が持ってましたので、事情を説明して、もう一度契約書類を作成して頂いたりもしまして。それに控えの方にも、ちゃんと社長の印が押してましたので、そこを出るまでは安全だったんだと思いますよ」村井は言い訳でもするように、先方の会社を庇った。

 それで、と相手の心情を気にする素振りもなく、黒部は質問を続ける。

「行方不明になる前の石田さんについてですが、何か気になるような事はありましたか?」

「気になる?」と村井は癖の様に首を捻る。

 例えば、と黒部が加える。

「仕事上でも私的な事でもいいんですが、何か揉め事に巻き込まれていたとか、失礼を承知で言えば、会社のどなたかと仲違いしていたとか。小さな事でも構いませんので」

「どうですかね、私が会社の人間だからいう訳じゃないですけど、真っ当な商売をしているつもりです。それに、私ら石山金具の仕事が増えるという事は、当たり前に他社の仕事が減るか、交渉で奪う事もあるわけですけど、それを一々気にしていたら、会社というのは成り立ちませんからね」もっともらしく、正論を語った。

「ここ最近で、石田さんに危害を加えるような相手は浮かびませんかね?」気兼ねもなく訊いた。

「それを言うなら、無いと言い切るか、我々と同じ様な企業全て、という事になります」

「会社内ではどうですか? 誰かが石田さんに対して不満を漏らしていたとか、特定の人物と揉め事を起こしていたとか」

 社長はね、と溜息でも吐き出すように、村井は口を開く。

「確かに外から見ればワンマン経営に見えたかもしれません。納期ギリギリの受注も数え切れない程ありましたし、一階の工場で働いてくれている社員の皆さんも、体力的にキツい時期もあったと思います。でも社長はいつも先頭を走ってくれる頼もしい方でしたから。元々技術者で、納期が迫れば加工工程に加わりましたし、営業から経理まで全てに携わってましたよ。忙しい時期でも一番遅くまで残ってましたし、社員の方を一番に考えた経営方針だったと思います。私には会社の誰かが社長に危害を加えるなんて、考えられません。皆さんにも訊いてみて下さい」最後は自信たっぷりと、村井は首を頷かせた。

「聞いてみます」黒部は素っ気ない返事をして、次の質問に移る。

「会社自体の方はどうでしたか? 経営難だったとか、逆に好調だったのか?」

「それがね」と村井は悔しそうに首を捻った。「ここ数年でやっと軌道に乗ってきてたんです。継続的な大口の契約が付いたりして。社長とも事業拡大の話もしてたんですよ」

「それで、例えばこれから会社の経営の舵を取るのは、どなたになるんでしょうか?」やはり淡々と訊いた。

「まだ昨日の今日ですから何とも言えませんが、とりあえず落ち着くまでは私になると思います。ですけど、当たり前に社長が立ち上げた会社ですし、ご家族や親族の方とも話し合いを持って方針を決めなければいけませんが」

「その、社員の方々は一階にいる作業員と、村井さんだけなんですかね?」黒部は首を長くして室内を見回し、不意な質問を重ねる。

「いやいや、もう少し居ますよ。トラックの運転手も雇ってますし、経理の子が今昼食に出てて、営業の二人はそれこそここ数日は外を走り回ってます。社長に頼り切っていたんだと改めて思い知らされましたよ」懐かしむ様な笑みを浮かべた。

「村井さんは何を?」

「私は雑務全般です」といって笑う。「総務という肩書きだけは貰いましたが、手が足りない所を手伝う老中みたいなモノです。社長はそれに加えて工場にも降りてましたから、適いませんよ」

「大変そうですね」何の感慨も無く、黒部は言った。

「いやいや、起業当時は今より小規模とはいえ全てを五人だけでやってましたから、あの頃に比べれば大した事じゃありませんね」そういって誇らしげに笑った。

「村井さんは起業当時から?」

「私ですか?」と眉間に浅い皺が寄る。「私は社長に誘われて、起業から携わっていますけど」

「立ち上げから今も働いてる方は他にもいらっしゃるんですかね?」

 村井の表情が怪訝に変わる。質問の意図を探すように首を傾げた。

「まぁ、社長はもちろんですけど、今は私と、技師として工場を仕切っている相原さんと松浦さんですね」

 話終わりを待って、黒部は口を開く。

「もう一人の方は?」

「あぁ、五人でって言いましたね。あんまり良い話ではないんですけど」分かり易く表情を暗くした。

「よろしければ聞かせて下さい」

「元々共同経営で立ち上げた会社で、社長の他に山本さんって方がいらしたんです。確か高校か大学の同級生だったらしくて。社名にも入ってますが、石田と山本で、石山金具です」

「その方は?」

「それが、もう十五年前ぐらいですね。火災にあって亡くなったんです。ご家族も居て、会社もこれからって時だったので、本当に無念だったでしょうね」

「覚えてる限りで良いんですけど、その時の会社はどういう様子でした?」

「当時のですか?」村井は再び質問の意図を探した。「そりゃ大変でしたよ。立ち上げの時よりは落ち着いてましたけど、山本さんも社長と同様に全部に携わってましたから。一気に主力技師と役員を失って、大混乱だったと思います。私ら全員無我夢中で働きましたよ。あの頃は何をやってたか思い出せないぐらい、忙しかったですね」

「その、山本さんのフルネームは覚えてらっしゃいますかね?」

「まぁ、そりゃ覚えてますけど」村井は首を捻る。

「教えて頂けませんか?」

「構いませんけど、十五年前に亡くなってますよ」

「何事も調べるのが仕事でして」

「えぇ、確か、山本守ですね。そのまんま、守る、の守です」

 黒部は手帳に名前を書き込んで、質問を続ける。

「それで、その火事なんですけど、山本さんはどこでお亡くなりになったんですか?」

「場所ですか? 多分ですけど、覚えている限りでは、自宅でだったと思います」

「当時の住所なんかは分かりませんよね?」下手に訊く。

「住所ですか?」眉間に皺が寄った。「そうですね、書類をひっくり返せばどこかしらに書いてる可能性もあると思いますけど」

「いや、じゃあどの辺りで起こった火災だったか覚えていれば」

「ここから近いですよ。元々ここを主軸に住所を決めていたと思いますから」

「そうですか、こちらで調べてみます。それでは、長々とありがとうございました」黒部は手帳を閉じて立ち上がった。

「山本さんの事で何か?」ここ一番の訝しげを浮かべ、村井も同時に腰を上げた。

「捜査中ですのであまり話せないんですが、まぁ意味の無い事を調べるのも刑事の仕事なんです」そういって愛想笑いを浮かべた。

 はぁ、と村井は納得してない顔をする。

「少し作業員の方にお話を聞いても良いですかね?」

「えぇ、それは全然構いませんけど」

「では、お忙しい所ご協力ありがとうございました」黒部は会釈をして、事務所を出て行った。

 階段を下りて一階の曇りガラスへ向かう。二人の作業員と、村井の話に出た創設初期から働く相原と松浦を個別に呼び出して話を聞いたが、黒部の前では誰もが社長である石田の死を悔やみ、それ以上の話は無かった。

 また伺います、と挨拶をして、黒部は白のセダンに戻る。手帳と携帯電話を取り出して、ある番号に掛けた。ゆっくりとした口調の男が電話に出る。

「はい、柳山霊園です」

「失礼します、そちらの事件を担当しています、刑事課の黒部です。少しお聞きしたい事があるんですがお時間良いですか?」

 あぁ、と電話口の男は口調を下げた。

「何のご用でしょうか?」

「そちらの霊園に納骨されている方の名簿みたいなモノはありますかね?」

「えぇ、こちらで管理してます」

「ちょっと調べて頂きたい名前がありまして」

「お名前ですか? 構いませんが」

「山本、守。守はそのままです。お時間掛かりますか?」

「いえ、パソコンで管理してますので、五分ほどお待ち頂ければ」

「じゃあ、このまま待ってます」

「今お調べしてきます」

 保留音に切り替わり、黒部は携帯電話を耳から話した。手帳に書かれている、山本守、という文字を眺める。三分ほどして、男が電話口に戻った。

「もしもし」

「はいはい、どうでしたか?」

「十六年前ですね。確かに内の霊園に納骨頂いてます」

「十六年前、山本守、確かですね?」強調して確認する。

「えぇ、確かに。ご来園頂ければお見せ致します」

「それで、亡くなった日付を教えて頂けませんか?」

 えぇ、と返事をして男が口にした日付を手帳に書き込んで、黒部は再び話す。

「もう一つお尋ねしたいんですけど、その山本さんが眠るお墓の管理者というか、親族のお名前なんかはお調べ出来ますかね?」

「今写しが手元にありますので、大丈夫ですよ」

「お願いします」

「山本、みどり、普通の緑色じゃなくて、小難しい方の碧です」

「山本、碧」口に出して、手帳に書き込む。

「そちらは配偶者の方ですね。お子さんの名前もありますけど」

「お願いします」

「えぇ、のぞむ、希望の望で、望です」

 手帳に書き込んで、お礼もそこそこに、黒部は通話を切った。再びどこかへ電話を掛ける。無愛想な声の男が出た。

「はい、お疲れさまです」

「野口、ちょっとお願いはあるんだけど」

「何ですか?」

「えぇと」と黒部は手帳に目線を向ける。「今の所在地を調べて欲しいんだけど、十六年前まで東京市内に住んでた、山本碧、山本望、この二人」

 電話口の男は、告げられた名前を繰り返した。

「早くてどれくらいで分かる?」黒部が問いかける。

「役所の担当者次第ですね。明日には分かると思いますけど。急かした方が良いですか?」

「なるべく頼むよ」と笑った。

「黒部さんは今から署に戻るんですか?」

「戻るなら頼まないよ。ちょっと寄りたい所がある」

「なんか進展があったみたいですね」

「まぁ、墓参りついでの殺人だよ。冗談のつもりだったんだけどな。署に戻ってから教える」

「期待しています」

 黒部は通話を切って携帯をポケットに閉まった。セダンのエンジンを掛けて、「石山金具」の駐車スペースを出た。


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