第11話 面倒な聞き込み
山梨県の山中にある集団墓地で見つかった男性遺体の身元は、すぐに判明した。事件発覚三日前に行方不明届けが出されていた、石田和己。真夜中前、警察署に駆けつけた遺族により、身元の確認を終える。
司法解剖の承諾や、後日受け取りの確認など、様々な書類の捺印を終え、背中を丸めて警察署を出ようとしている幼子を連れた女に、黒部健二は声を掛ける。
「すみません」
その声に、女は力なく振り返った。細身の身体に派手目な衣服を張り付け、顔には綺麗な化粧を施している。目元だけが若干黒ずんでいた。
黒部は警察手帳を胸元から取り出して、話を続ける。
「石田和己さんの事件を担当しています、刑事課の黒部です」どうも、と会釈を加える。
女性は一瞬だけ現れた顔の悲しみをすぐさま振り払って、力なく会釈を返した。
「あの、石田和己さんの……?」黒部は若干の戸惑いを浮かべる。
「妻です」女は慣れたように答えた。
「あぁ、すみません」黒部は愛想笑いを浮かべ、「あの、お時間は取らせませんので、少しお話できませんか?」と続けた。
女は膝元で眠たそうに目を擦る幼子に目線を向けて、すぐに黒部に戻した。
「えぇ、大丈夫です」
「それでは、立ち話も何ですし」と黒部は警察署の入り口付近にある待合い場に女を案内した。
四人掛けの固いベンチに女と幼子を促して、手帳を広げた。まずは女の氏名と年齢、自宅の住所を聞いてから、質問を変える。
「石田和己さんが行方不明になった時の状況なんですが、覚えている限りで構いませんので、教えて頂けませんか?」
えぇ、と女は疲れ切った顔を傾かせて少し考え込んだ後、口を開いた。
「その、朝まで帰って来なくて、心配してたんです」
「何日程前ですかね?」
「四日前だったと思います」
「話を折ってすみません。続けて下さい」
「いえ、それで、連絡も取れなくて、いつもは会社に行く時間になっても帰って来なかったので、もしかしたらそのまま行ってるかも知れないと思ってたんです。そしたら、お昼頃に会社から電話があって、昨日の夕方から会社にも帰っていないらしくて、家に居ないかと」
「五日前の夕方から、行方を眩ましたということですね」
「会社の方の話だと。それで、私も昨日から帰って無いことを伝えて」
「行方不明届けを一日待った理由はなんですかね?」黒部は淡々と訊く。
その質問に、女は表情を暗くさせた。それは、と震える口調で話し始める。
「まさか、殺されるなんて思ってなくて、心配は当たり前にしましたけど、帰って来るものだと思ってて」女の目には、見る間に薄い膜が張っていく。
「無断外泊というか、こういう事は結構あったんですか?」口調を柔らかくして、黒部は質問を続けた。
「一緒に住み始めてからは、初めてです。連絡があって、朝帰りなんかはありましたけど、連絡が無いっていうのは初めてで、本当に心配したんですけど」女の声が詰まり始める。
黒部は微かな哀れみすら浮かべず、へぇへぇ、と適当な相づちを入れていた。それに気づく素振りすら見せず、女はついに涙を流す。何度も目元を拭いながら、話を続けた。
「私が、すぐにでも警察に届け出をしてれば、こんな事には、あの人は、殺されなかったかも」そこまで話して、女は嗚咽と共に両手で顔を覆った。
黒部は面倒くさそうな表情と共に首を傾げて、女とその隣ですでに寝息を立てている幼子を見下ろしていた。しばらく様子を眺めてから、音も立てずに息を吐き出して、女に声を掛ける。
「こんな時に、不躾な質問に答えて頂きまして、本当にありがとうございました。また明日にでも、ご自宅の方にお伺いさせていただきます」感情も込めず、謝辞と謝罪を口にする。
すみません、と女は数回鼻を啜って、顔を上げた。黒部は慌てて表情に哀れみを作り上げ、そこに微笑みを加える。いえいえ、と軽く首を振った。
女は深呼吸をして立ち上がる。同時に、黒部は名刺を取り出して、女に差し向けた。
「私の連絡先と、刑事課直通の番号が載ってますので、何かお気づきになりましたら、ご連絡下さい」
「お願いします。必ず犯人を」女は名刺を受け取って、再び鼻を啜った。
「全力を尽くします」黒部はそういって、会話の区切りでも付けるかのように、頭を深く下げた。
お願いします、と頭を下げた後、女は泣き顔のまま、寝息を立てる幼子を抱き上げて、警察署を後にした。黒部はその背中を見送ってから、刑事課の事務所に戻った。
翌日の昼前、黒部は白を基調とした六階建ての高級マンションに設置されたエレベーターに乗っていた。電子版が四階を表示して、扉が開く。清掃の行き届いた幅の広い廊下を歩き、「407 石田」と小さな表札の張られたドアの前で足を止めた。その横に備え付けられたインターホンを押す。
「はい」すぐさま、小型カメラの付いたスピーカーから年期の入った女の声が聞こえた。黒部は堅い愛想を浮かべ、カメラに向かって会釈をする。
「お忙しい所すみません。午前中にご連絡致しました、黒部です」
「少々お待ち下さい」
しばらく待っていると、鍵の開閉音と共に、ドアが遠慮がちに開いた。石田和己の妻が、やはり化粧の整った、若干晴れた様な顔を覗かせる。どうも、と愛想を浮かべ、黒部は再び会釈をした。
「お話でしたよね、どうぞ」女は黒部を確認して、ドアを大きく開いた。
玄関の向こうに続く奥行きに、室内の広さが伺える。その長い廊下の道筋に、質素な出で立ちをした中年の女と、幼子を胸に抱いた初老間近の女が立っていた。黒部と視線が交わり、互いに会釈をする。
「ご家族の方ですか?」黒部が訊いた。
「和己さんの、夫の方のご姉妹です」女は視線背後に送って、すぐに戻した。
うぅん、と黒部は一呼吸おいて、口を開く。
「あの、出来れば奥様だけで話をお聞きできれば助かるのですが。お時間は取らせませんので」
「外で、ですか?」女は小さな頭を傾げた。
「いや、本当に短く済みますので、その辺で少し」
「分かりました」女はそういって、素足のまま靴を履いた。腰を上げて振り返り「その、刑事さんと少し話してくるので、お願いします」と二人の親族に伝える。
黒部が女の背後に会釈をして玄関から移動すると、女はその背中に付きそう。無駄に広い階段の踊り場で足を止めて向き合った。黒部が手帳と共に口を開く。
「早速ですみませんが、よろしくお願いします」
女は堅い表情を細かく振る。黒部が続けた。
「旦那様ですが、行方を眩ます以前に、何か変わった様子はありませんでしたか? 帰りが遅くなったとか、悩みを口にしていたとか、本当に小さな事で構いませんので」
女は目線を俯かせて考え込んだ後、ゆっくりと顔を上げる。
「最近、忙しくなってきた、とは言ってました。でも悩みではなくて、嬉しそうにしてましたから、全然的外れかもしれませんけど。その、もう少し、娘とゆっくり遊びたいと」女の目が潤んでいく。
そうですか、と相づちを入れて、健二は続ける。
「他には?」女の感傷など気にする素振りも見せず、淡々と訊いた。
女は深く息を吐き出して、表情から悲しみを追い払ってから、口を開いた。
「昨日から色々と考えましたけど、本当に、いつも通りでした。元々家の中で弱音とか、悩みを口にするような人では無かったので、私が知らないだけかもしれませんけど」表情に若干の寂しさを貼り付けた。
「最近じゃなくても、以前に何かしらのトラブルに巻き込まれた事があったとか、近親者なんかと金銭的なやりとりがあったとか、お知りになりませんかね?」
女は再び考え込んで、口を開く。
「すみません、やっぱり私の前では、そういう事を話す人では無かったので」下唇を噛みしめ、悲しみに耐えている。
「例えば、奥さんの方には?」黒部は感情も込めずに訊いた。
「どういう、事ですか?」目元を拭った女の顔に、険しさが張り付く。
「気を悪くされたのならすみません。何事も訊くのが仕事でして」苦い愛想を蒔いた。
「ありません」あからさまな不機を表情に滲ませて答える。
黒部は苦笑いでもう一度謝罪して、質問を続ける。
「旦那様に、親しいご友人の方なんかいらっしゃいますか?」
「それなりには、居ると思いますけど」女は険の混じった表情のまま答えた。
「お名前なんかお聞きしても良いですかね?」
「名前ですか?」女は首を傾げて視線を下げた。「下の氏名だけでも良いんですか?」と顔を位置を戻す。
「その、年賀状とか、電話帳なんかあれば、こちらでお預かりさせて頂きたい」
あぁ、と女は納得した表情を浮かべる。
「探せば出てくると思います」
「では、お願いします」
黒部の言葉をきっかけに、二人は部屋の前へ戻る。女が玄関を開けてから、黒部がその背中に声を掛ける。
「すみません、あのお二人は旦那様のご姉妹でしたよね?」
「そう、ですけど」女は首だけを向ける。
「その、奥様が準備して頂いてる間に、少しお話をお聞きしたいんですけども、ご迷惑じゃなければ、お呼びして頂けませんか?」
「聞いてみます」女はそういって、黒部を玄関に残したまま長い廊下の奥に消えていった。
しばらくして、石田の妻が姿を消した部屋の扉が開き、似たような顔つきの女が二人、玄関に歩み寄ってくる。どちらとも怪訝な表情を浮かべている所為か、顔の皺が多く見える。
「お時間を取らせてすみません」
黒部は挨拶もそこそこに、似たような顔つきの二人を階段の踊り場に案内した。
「私はね、会社の人間が怪しいと思うんです」口火を切ったのは、二人を比べればまだ若い中年の女。
「ど、どうしてですか?」若干慌てて、黒部は手帳を開いた。
「やめなさい」初老の女が、中年女性を窘めた。
「いや、気になることがあれば、小さな事でも助かりますので」黒部が橋を渡す。
「ほら、刑事さんも言ってるし」中年女性はしたり顔をして、話を続けた。「会社がやっと軌道に乗ってきたって言ってたんですよ、兄さんは。だからそういう事で会社の人がやったんだと思うんです」
「身も蓋もない話はでしょ、それは。会社の頑張ってくれてる人に迷惑が掛かるじゃない」初老の女が再び窘める。
「会社の人間と和己さんの間で何かトラブルでもあったんですか?」黒部が訊いた。
「さっき二人で話してただけで、私たちは和己の会社の事は何も知らないんですよ」初老の女が答える。
「だけど一番可能性があるのは会社の人だと思うんです」
「それは刑事さんが調べる事でしょ。余計な事は言わないの」
「でもそういう事件って多いんですよね、刑事さん? もしかしたら会社にいる人じゃ無くても、前に退社した人とか、クビになった人とか。そういうのが――」
二人の女は、ペチャクチャとしゃべり続けた。その僅かな合間を縫って、黒部は次の質問に打って出る。
「和己さんと奥様とのご関係はどうでしたか? ここ最近とか?」
「あの子は良い子ですよ」初老の女が庇う。
「そうよね、あの子は本当に良い子ですよ、刑事さん」中年の女が同意する。「私たちもね、最初は若いし、財産じゃないけど、お金目的で兄さんに近づいて来たんじゃないかって話した事もあるんだけど――」
どこまでも続きそうな会話の合間を縫って、黒部は再び別の質問に打って出た。
「例えば、最近じゃ無くても、金銭的なトラブルとか、人間関係で悩んでいた時期があったとか、知りませんか?」
「そういうのは言う子じゃ無かったですから、和己は」
「本当に優しい人で」
二人は同時に悲しみを滲ませたが、口は閉じそうもない。
「小さい頃、私が迷子になった時があったんです」
中年の女が思い出を語り始めた。黒部はそっと手帳をポケットに忍ばせた。
「――あのとき探しに来てくれた兄さんの顔を見た安心感は、今でも忘れませんよ」
中年の女と初老の女は、同時に目元を拭った。話が終わったのきっかけに、黒部は慌てた様子で頭を下げる。
「ご協力ありがとうございました。事件解決に全力を尽くします」最後の挨拶とでも言いたげに、はっきりとお礼を口にする。
それでも、二人の女の口は閉じなかった。
「本当にね、どうしてこうなっちゃったのか」初老の女は溜息を吐き出した。
「せっかく友達と一から立ち上げた会社なのに、結局二人共居なくなったら、何の為に立ち上げたのか」中年の女が悔しそうに話した。
黒部の目が、興味深げに開く。
「ご友人と、立ち上げられたんですか?」
「そうなんですけどね、その友人の方は火事に巻き込まれて亡くなったそうで」初老の女が答える。
「お亡くなりになったんですか?」
「十五年ぐらい前なんですけどね。あの時は本当に大変そうでしたよ。それでも頑張ってここまで大きくしたのに、結局兄さんまで居なくなったら」中年の女が話した。
「その方のお名前は分かります?」黒部は淡々と訊く。
二人の女は同時に、小さな皺を眉間に寄せた。
「誰のですか?」中年の女が聞き返す。
「その、和己さんと一緒に会社を立ち上げたご友人のです」
「十五年前に亡くなってますよ」初老の女が話す。
「いや、何事も調べるのが仕事でして。とりあえずと言いますか」黒部は愛想笑いを浮かべた。
「すみません、名前までは覚えてませんね」
初老の女の言葉に、中年の女が頷いた。
「いや、今から会社の方に行くつもりでしたので、そこで訊いてみます。それでは、お時間を取らせてしまし申し訳ありませんでした」黒部はもう一度頭を下げた。それでも、二人の女は口を閉じない。
「それでね、刑事さん。その、ちょっとお聞きしたいですけど、こういう場合会社の経営権というか、そういうのはどうなるんですかね? 家族とか親族は関係なくなっちゃうんですかね? 例えばちゃんと弁護士を雇った方がいいとか」
「いや、すみません。それは専門外ですので」黒部は苦笑いを浮かべる。
「そうよ、刑事さん困らせないの」初老の女が窘めた。
「では、お邪魔しました」今度は手を差し向けてまで、黒部は聞き取りの終わりを告げた。
二人の女はようやく、よろしくお願いします、と同時に頭を下げて玄関に向かい、部屋の奥に戻っていった。入れ違いで、数枚の年賀状を持った石田の妻が玄関に訪れる。黒部はそれを受け取って、挨拶もそこそこに石田宅を後にした。
エレベーターに乗り込み、ポケットに忍ばせていた手帳を取り出す。「火事」とだけ書き込んで、再びポケットに戻した。
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