第9話 火傷を負った親子
「急患通りますっ」
看護師の慌ただしい声が響く。救急車から降ろされた滑車付きの担架が、二台並んで院内を走る。運ばれているのは、体中が煤汚れた女性と、同じように煤だらけの少年。どちらともに動きは無い。
担架に横たわる二人はそのまま集中治療室に運び込まれ、看護師や医師による賢明な治療を受けた。
日が昇り、治療を終えた二人の身体は病室に移された。様々な機材に囲まれたベッドの上に、隣同士で寝かされている。
女の細い両腕には包帯が巻かれていた。身体は毛布が掛けられており、傷の具合は見えない。
少年の方は、頭から左目を覆い隠す形で、包帯が巻かれていた。他にも、毛布からはみ出す片腕には、包帯が見える。
どちらの腕にも点滴が繋がっており、周囲を囲む機材に身体から数本のコードが延びていた。
ベッドの周りには見舞いに訪れた数人が、神妙な面もちを携えながら目を覚まさぬ二人を見下ろしている。
昼過ぎ、最初に目を覚ましたのは少年だった。寝起きと共に錯乱して泣き喚き、見舞いに来ていた親類らしき中年女性が付き添って宥めた。
落ち着きを取り戻した少年は中年女性に促され、隣に眠る女性に歩み寄った。
「母さん」震える声で、何度も呼びかけた。
少年はしばらく母親の側に付き添い、頃合いを見計らった様に現れた看護師と共に、診察室へ向かう。
男性医師による診察を終えた後、少年はそのまま簡単な質問に答える。
「お名前は?」男性医師が訊いた。
「山本、望」若干の挙動不審を表しながらも、少年は素直に答えていく。
「望君か、良い名前だね」男性医師は穏やかな笑みを浮かべ、手元にあるカルテにペンを走らせる。
名を誉められたが、少年の表情は変わらない。未だ緊張に身を固くしていた。
「お母さんのお名前も教えてくれるかな?」ゆっくりと問いかける。
「山本、碧」
男性医師は再びカルテにペンを走らせた後、少年に見守るような暖かい眼差しを向けた。
「お母さんは心配無いからね。今は疲れて眠ってるだけで、もう少しで目を覚ますと思うから、安心して良いからね」そういって、優しく頭を撫でた。
少年は小さく頭を上下に振った。表情は変わらず、未だ緊張を浮かべている。
「じゃあお母さんの所に戻ろうか」
男性医師の合図で、少年は看護師と共に病室に戻った。室内で本を読んでいた見舞いの中年女性に促され、母親の眠るベッドの横に用意された椅子に腰掛けた。
母親は目を覚まさぬまま、数人が見舞いに訪れては帰って行く。十六時を過ぎた頃、少年の友人らしき少年少女が数人、親に連れられて見舞いに訪れた。塞ぎ込んでいた少年の顔に、笑みが浮かんだ。
少年の友人達は辿々しい見舞いの言葉を述べたり、頭の包帯を心配したりと、病室という慣れない環境に緊張していたが、次第に特有の陽気さを取り戻し、室内は明るい雰囲気で包まれていった。
子供達の声に導かれたのか、それとも妨げられたのか、母親が目を覚ました。それに親類の中年女性が気づき、少年と共に顔を近づけた。
母親の目線はゆっくりと周囲を確認して、我が子で止まった。安堵の様な微笑みを浮かべ、ベッドの上で身体を起こした。その様子を見つめる少年の目は、見る間に潤いを帯びていく。
少年と身体を起こした母親は、言葉を交わさず見つめ合った。母親はその目線を外して、中年女性に向ける。
「ねえさん、心配掛けてごめんなさい」
「そんな事気にしなくて良いから」中年女性は表情に哀れみを浮かべ、優しく話す。
「あの……守さんは?」母親の表情が、静かに堕ちていく。
中年女性は口元で悲しみを耐え縛り、ゆっくりと首を横に振った。
「そう……ですか」母親は悲しみに微笑みを携え、目線を少年に移す。
母親と視線が交わった瞬間、少年の右目は丸を描くように見開き、急に呆けたかの様に宙へ飛んだ。そして、次第に怯えたような目元に変わっていく。表情が今にも泣き叫びそうになると同時に、目線は母親へ戻った。
「かあっ……母さん」少年は声を詰まらせながら、言葉を絞り出した。
「ごめんね、望」母親は寂しそうに笑い、少年の頭を優しく撫でた。
「あぁあっああぁぁああ」少年は部屋中に響きわたる泣き声を上げ、母親の腰に顔を埋めた。
「ごめんね、ごめん」母親は嗚咽を押し留めながら何度も謝罪を口にして、少年の頭を撫で続けていた。
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