第8話 殺人事件



 山梨県の山中にある集団墓地。森に囲まれた山並みに墓石が無数に並んでいる。その入り口となる長い石階段の前に、数台の警察車両が停まっていた。

「もう大丈夫なの?」

 黒部健二は警察車両から降りて、階段を下ってきた鑑識の制服を羽織る若者に訊いた。中年に差し掛かった顔つきには、隠す気も無い面倒臭さが存分に現れている。年期の入った灰色のスーツが、頑丈そうな体格を包み込んでいた。

「お疲れさまです。現場は粗方片づきましたので、大丈夫ですよ」若者はハキハキと答え、すぐにどこかへ行ってしまった。

 黒部は鬱向いた鼻息を吹いて、延々と山頂へ続く階段に近づいていく。


 山頂にあるお寺の前では、警察官が僧に聴取をしている。黒部はその脇を通り、人並みに沿って現場に向かった。表情には長い階段の疲労が浮かんでいる。

 事件現場は墓石の並ぶ細い通りから外れた山中。鬱蒼とした茂みの中に、数人の鑑識官が作業をしている。その中心に、ブルーシートを被せられた遺体があった。

「お疲れさまです」

 黒部の呼び声に、使い終わった鑑識道具を片づけていた初老の男が腰を上げた。

「どうですかね?」黒部は矢継ぎ早に訊く。

「今回は黒部君か。通りで遅いと思ったよ」初老の男はマスクに覆われた目元だけで、茶目っ気溢れる笑みを浮かべた。

「運動しないとダメですね。階段も上れない」そういって黒部は笑った。  

「遺体見るかい? あんまり意味は無いと思うけど」初老の男は目線だけで遺体を示す。

 黒部は愛想笑いを返して、腰を屈めた。ブルーシートの中をのぞき込む。すぐさま眉間に皺が寄った。

「四、五日ってところかな」初老の男が話した。 

 黒部はブルーシートを直して立ち上がる。短く息を吐き出した。

「何か見つかりました?」

「まだはっきりとは分からないけど、そこら辺で殺されて、ここに置いてったって感じかな」初老の男は周囲を見渡しながら話した。

「墓参りついでに人殺しですか?」冗談混じりで訊く。

「あながち間違いじゃないかもね」男は笑う。そうだ、といって数枚の写真を黒部に渡した。

 紺色のスーツを着た、辛うじて初老だと分かる男の全体写真。変色して膨れ上がった顔面。他にも様々な角度で遺体を撮り収めている。

 黒部は写真を一通り眺めてから、顔を上げた。

「殺害方法は?」

「絞殺だね。余程奇っ怪な方法じゃ無ければ、後ろからギュッと」男は両手を胸の前で動かし、絞殺を表現している。

「近場で殺害されたっていうのは?」続けて訊く。

「わざわざあの階段上がって来ないでしょ」男はそういって、目元に笑みを浮かべた。

「確かに、面倒くさい」黒部も笑った。

「まぁ、それは冗談だけど、現場の状況でね、どこかから運んで来たって感じじゃ無いからさ。多分殺されてすぐ、ここに放置されてるよ。詳しく調べないと分からないけど」

「他には?」

「所持品は無し。格好から見るに、何も持ってないのは変だから、犯人が持って行っちゃったのかな」明るく話した。

「墓参り中に強盗。うぅん、いまいち決まりませんね」黒部は首を傾げた。

「そこからはそっちのお仕事だから、僕は何も言えないよ」笑みを浮かべている。

「もしくはここの僧が金銭目的で殺害」

「罰当たりだね」

 男の言葉をきっかけに、二人は同時に笑った。その笑いをすぐに収めて、黒部が口を開く。

「他には何かありますか?」

「他は戻って遺体さん詳しく調べないとね。もしかしたら一手間加えられてるかもしれないし。周辺の捜索も始めたばかりだしね」

「了解です。じゃあ、また署の方でお願いします」

「そっちも頑張って」 

 初老の男が片づけ作業に戻ったのを見届けて、黒部は道を戻る。茂みに囲まれた森を歩き寺の境内に出て、近くに居た警官に声を掛けた。

「お疲れさま」

「お疲れさまです」身だしなみを整えている青年は、綺麗な敬礼を見せた。

「指揮は誰が取ってます?」

「現場の指揮は富岡部長が」青年は寺の入り口に立つ警官に手を差し向けた。

「はい、どうも」黒部は会釈して、その場所に近づいていく。


 定年間近に見える温厚な顔つきをした男が、寺の前で手帳を眺めている。黒部が声を掛けた。

「どうも、刑事課の黒部です。富岡さんですか?」

 富岡はすぐに顔を上げて、ゆっくりとした敬礼をする。

「お疲れさまです」

「お疲れさまです。聞き取りの方は順調ですか?」

「えぇ、とりあえず寺の方々には一通りお話が聞けました。今は再聴取というか、一旦休憩を入れてもう一度お話をお伺いさせて頂いてます」顔つきと同様に、落ち着いた口調で話す。

「今集まっている情報だけでも教えて貰えませんか?」

「もちろん、構いませんよ」

 黒部は胸元から手帳を取り出した。

「じゃあそうですね、事件に直接する話はありました?」単刀直入に訊く。

「今の所、そのような話は聞けてません。開園中は人の出入りを大まかには確認してるそうですが、ここ数日変わった事は何も無かったと」

「何も?」相づちの様に訊いた。

「えぇ、住職が言うには、夜じゃないかと。閉園後の参拝は禁止なのだそうですが、基本的に閉め切っている訳ではないそうで、入ろうと思えば誰でも入れるそうです。実際に今までも閉園後の参拝者を何度も見かけたそうですし、そこまで厳しく取り締まってる訳ではないと」

「夜の事までは把握出来てないって事ですかね?」

「お聞きした限りでは、事件に関係するような事は何一つ」

「そう、ですか」と黒部は溜息を吐き出す。「発見者の話は?」続けて訊いた。

「寺の若い僧が気づいたようです。日替わりで毎日境内の掃除はしてたみたいですが、今朝たまたま遺体に気づいたそうで、最初は狸かと」

「狸ね」黒部は呟いて、森と境内の境目に顔を向けた。

「目が良いそうで、良く見たら人の形をしていたと」

「目が良いね」黒部は短く息を吹き出させ、目線を手帳に戻した。

「驚いたでしょうね」富岡は誰とも無しにつぶやいた。

 夜、とだけ書かれた手帳を眺めてから、黒部は顔を上げた。

「住職と発見者は?」

「住職は寺の中に、発見者はあそこで聴取を受けている僧です」

「ありがとうございます」黒部は礼を言って、その場を離れた。

 その足で住職と遺体の発見者に話を聞き、とりあえずと一週間分の参拝者管理台帳を寺から持ち出して、延々と続く長い石階段を下り始めた。

 石階段から横道に延びる形で並ぶ墓石に目線を向ける。鑑識の制服を羽織った数人が、その合間を顔を俯かせながら歩いている。そこから視線を戻して手帳を開いた。

「収穫無し」独り言を呟いて、手帳を胸元に閉まった。


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