第7話 指示



 誘拐犯との通話が終わり、良平はもう一度受話器を取り上げた。電話機へ指を延ばしたがすぐに動きを止めた。しばらく身体を硬直させたまま電話機を睨みつけ、受話器を戻した。鬱憤を吐き出すように息をして、リビングへ向かう。

 ダイニングテーブルに座り、鞄から取り出したノートパソコンを開く。何度も画面を眺めては、腕を組んで考え込んだ。思い立った様に立ち上がると、家の中を動き回りまたダイニングテーブルに戻った。室内には強い憤りが充満していた。

 携帯の画面を眺めては、机に伏せる。玄関にある電話機に歩み寄っては、触らずにリビングへ戻った。空が青みを見せるまで、同じ様な行動を繰り返した。悲壮感を険しさで包み込んでいた表情は、時間と共に強い疲労に変わっていく。


 七時半、空はすでに朝を作り出している。良平はソファに座り、携帯を耳に当てた。何度かコール音が鳴り、若い男が出た。

「はい、おはようございます」

「あぁ、おはよう」良平は平静を装って話した。

「どうしました?」若い男は、落ち着いた口調で訊いた。

「山本君、ちょっと申し訳ないんだけど、昨日家でギックリ腰やっちゃってね。今日明日休んでも大丈夫かな?」

「マジっすか? ギックリはヤバいですね」

「そう、もう動けなくて。本当に悪いんだけど」

「全然大丈夫ですよ。分かりました。明日は元々休みでしたよね?」

「ごめんね、今日一人でキツいと思うけど」

「まぁいつもお世話になってますから」若い男は気さくに話す。

「明後日には大丈夫だと思うんだけど、とりあえずまた連絡するよ」

「了解しました。ゆっくり休んで下さい」

「うん、ありがとう」

「何かあったら一応電話しますね。発注とか」

「うん、了解。電話は出れると思うから」

「じゃあゆっくり治して下さい」

 通話が切れると同時に、良平は深く息を吐き出した。そのまま咳込んで、キッチンに向かい喉を潤す。そのままダイニングテーブルに座り、再びノートパソコンと睨めっこを始めた。

 時計の針が八時を回り、未だパソコンを睨みつけていた良平の目が、疲れに押しつぶされていく。何度も抵抗を加えてはいたが、ついに瞼は塞がり、寝息が立ち始めた。


 

 十五時半、良平が目を覚ましたのは、ソファの上だった。目の前にあるガラステーブルの上で携帯が音楽を鳴り響かせている。すぐさま取り上げて画面を見た。山本、と表示されている。呼吸を落ち着けて、耳に当てた。若い男が声を出した。

「お疲れさまです。すみません、今大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。どうした?」 

「発注なんですけど、何か特別に取っておくモノあります?」

「あぁ、えぇと、とりあえず何も無かったと思う。気にしないで大丈夫。任せるよ」

「了解です。お休み中すみませんでした」

「こちらこそ、悪いね。ありがとう」堅い笑みを浮かべた。

「じゃあ、また何かあったら連絡するかもしれませんけど、ゆっくり休んでください」

「うん、じゃあ」

 通話が切れて、良平は立ち上がった。携帯履歴を確認して、キッチンに向かい冷蔵庫を漁る。飲料水のペットボトルだけを取り出して、ダイニングテーブルに腰を落ち着けた。携帯をテーブルの上に置き、睨みつけるように眺める。その表情は良平の心情を物語るように、急に悲しみに歪んだり、無表情を作り出したりと、何度も移り変わった。 

 

 十六時前、未だ携帯を睨み続けていると、不意に玄関からコール音が鳴り響いた。良平は椅子を蹴って玄関へ急いだ。勢いそのままに受話器を取り上げる。陽気な声が聞こえた。

「あっ、谷村さん。遅くなってすみません」

「家族は……無事か?」感情を押さえ込んでいる。

「無事ですよ、当たり前じゃないですか」男は笑った。「ご飯も食べてるみたいですし、約束は守りますから」

「いつまで続くんだ?」

「何がですか?」

「いつになったら、家族を返してくれるのか訊いてるんだ」

「それ言っちゃうと面白くないじゃないですか。まぁだけどそうですね、谷村さんにも希望がないといけませんね。分かりましたよ、本当はこれが終わってから言うつもりだったんですけど、教えちゃいます。谷村さんがね、今からちゃんと僕の指示通り動いてくれたら、まずは奥さんをお返ししましょう。どうですか?」

 良平は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと口を開いた。

「分かった、言う通りにする」

「もうなんか覚悟は出来てるみたいですね」

「家族を返してくれるなら何だってする。そっちも約束は守ってくれ」

「もちろんですよ、じゃあ、今から向かってもらう場所を言いますから、あの、メモとか取れます? もしあれなら奥さんの携帯からメール送りますけど」

「口頭で良い」良平はそう言って電話機の横にあるメモ帳を手に取った。付属のペンもついている。

「もう大丈夫ですか?」

「あぁ」

「じゃあ言いますね。山梨県の――」

 男の話す住所を、良平はメモ帳に書き込んでいく。

「双葉荘の、二階で角部屋の、五号室です。メチャクチャボロいんで、すぐ分かると思いますよ」そういって男は笑った。

「今から、ここへ行けばいいんだな?」

「はい、女性が寝てると思うんで、殺して上げて下さい」楽しげに言い放った。

 良平の喉が波を打つ。一瞬だけ視線が揺らぎ、ゆっくりと口を開いた。

「あぁ、分かった」

「それで、一応アパートの前に着いたら、奥さんの携帯に電話して下さい。多分迷わずに行けば、そこから二、三時間ぐらいで着くと思うので。あっ、携帯で住所とか調べれますよね?」

「着いたら電話する」

「だい、丈夫って事ですね? 了解です。道に迷ったら電話して下さいね。僕もそこの近くなら土地勘あるんで。先に言っときますけど、ちゃんと僕の指示に従って下さいよ。無駄な事はしないで下さいね」

「分かってる」

「じゃあ、お電話お待ちしています」

 通話が切れると同時に良平は受話器を叩きつけ、強い鬱憤を深く吐き出してから、支度を始めた。



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