第5話 偽りの決意
「聞いてます?」
陽気な男の声に、良平は体を震わせて我に返る。
「どっちにしますか? 家族を見捨てるか、家族の為に赤の他人を殺害するか。まぁ、どっちも嫌ですよね」と男は笑う。
「人を……殺せっていうのか?」何とか言葉を発したが、その混乱は揺れる目線に現れている。
「そうですね、それに、全然誘拐には関係ない無い人ですよ。だからまぁ、向こうからしたら最悪ですよね。谷村さんの都合で勝手に殺されちゃう訳ですから。僕だったら恨みますよ。なんで関係ねぇ俺が殺されなくちゃいけねぇんだ、って」最後に鼻で笑った。
「どう……して」
「どうしてって、谷村さんの理由は簡単じゃないですか。家族を守る為ですよ。それにほら、僕の為でもあるんですよ。正直不安じゃないですか。谷村さんが警察とかに連絡しちゃったらもうこのゲーム楽しめないし。だから谷村さんにも罪を背負って貰ってね、退路を断とうって魂胆な訳ですよ、僕としたら。あっ、これはあんまり言わない方が良かったですね」
良平は話を聞きながら、ゆっくりと深呼吸をした。男の笑い声を聞いて、口を開く。
「俺が人を殺せば、妻と子供は返してくれるのか?」
「ちょっと先走り過ぎですよ。誘拐するのだって楽じゃないんですから。それは終わってからのお楽しみですね。それでどうします? どっちにするか決まりました?」
「分かった、言うとおりにする。家族に危害は加えないでくれ」電話機を睨みつけながら、感情も込めずに話した。
「家族の為に人を殺すって事ですか?」男は淡々と訊く。
「あぁ」
「いつどこで誰を殺すんですか?」男のバカにしたような笑い声が漏れる。
「それは」と言って良平は口ごもった。
「ちょっと適当過ぎですよ」ハハハハハ、と男は大げさな笑い声を上げた。「何も考えて無いじゃないですか。とりあえずそう言っとけば家族が安全だと思いました? そうか、そう思ったんですね。いや、僕としてはもうちょっと悩んでくれると思ったんですけどね。即答するからオカシいと思ったんですよ。そうか、家族の為にとりあえず時間稼ぎしたんですね」ハハハハハ、と男は笑っている。
良平の険しい顔つきの中にある目線が、忙しなく泳いだ。
「確かにそうですよね。ここで断ったらすぐに家族殺されちゃう訳ですから。いや、これは僕のミスですね。選択にもなってないや。誰だってとりあえず時間稼げる方を選びますよね。もう自分の浅はかさに驚きですよ」未だ笑い続けている。
「約束は、守る」
良平がそういうと、男は電話口で大笑いをした。
「そりゃそうでしょっ、だって家族が殺される訳ですから。あぁ面白かった。すみません。谷村さんを笑ってる訳じゃないですからね。あまりにもバカだなぁと思って、僕が。まぁ、谷村さんは時間稼ぎのつもりだったのかも知れませんけど、とりあえず選んで貰って事には従って貰いますからね」男は最後に笑い声を吐き出した。
「俺が人を殺せば、家族の安全は約束してくれるんだな?」落ち着いた口調で、良平は訊いた。
「もちろん、今の所はそういう約束ですからね」
「ただ、今すぐ人を殺すのは無理だ。時間が欲しい」
「駆け引きですかね? これは」男の口調に、喜々が混じる。
「そういう訳じゃ無い。誰を殺すとか、どうやって殺すとか、簡単に決めれる訳じゃない。時間が欲しい」
「その間に僕を捜し出す訳ですねっ。良い考えだと思いますけど、一か八かですよ。もし谷村さんが約束破ったら、いくら優しい僕でも皆に罰を与えなきゃいけなくなっちゃうし。そうなったらお互いに悲しいじゃないですか」
「約束は守る。警察に連絡するつもりもない。ただそう簡単に誰かを殺すのは難しいと思う。だから、時間が欲しい」良平はゆっくりと話す。
「確かに、人を殺すのは大変ですよね」男は意図的に、口調を落ち着けたようだった。
「俺も約束は絶対に守る。だから……君も約束してくれ。子供達を傷つけないと」
「名前で呼んで下さいよ。花五郎って。本当は呼び捨てが良いですけど、君付けでも良いですよ」男は真剣な口調で話している。
良平は顔に現れる険しさを、深呼吸で吐き出した。
「花五郎、君。子供達の安全は約束してくれるか?」
「谷村さんが約束を破らなければ、僕も守りますよ。ちゃんと食事だって用意してますし、谷村さんと遊ぶ為の大切な人質ですから」
良平は再び深呼吸を繰り返したが、顔の険しさは消えなかった。
「じゃあ、俺が約束通り人を殺すまで、君も、花五郎君も、約束を守ってくれ」
「例えばですけど、いつまでに人を殺せそうですか? 期限を決めて下さい。そうじゃないと僕も動けませんので」
男の質問に、良平の目線だけが忙しなく動いた。肩を上下させると同時に目線は迷う事を止め、電話機を睨みつける。
「一週間、その間にはなんとかしてみる」
「ブフゥっ、一週間って」男は堪えきれずといった具合に吹き出した。「思い切りましたねっ」そういって笑い声を上げる。
良平は電話機を睨みつけたまま動かない。
「一週間でなんの情報も無い僕を捜しますか? まぁ警察には通報しないとしても、どうやって捜し出すつもりだったか教えて貰っていいですか?」男は楽しんでいる。
良平は深く息を吸い込んで、ゆっくりと口を開いた。
「そんなつもりは無い。約束は守る」
「さっきからそればっかりですね」ハハハ、と笑う。「いやぁ、泳がせてすみません。実は殺して貰う相手はもう僕が用意してるんですよ。本当はね、悩んでる谷村さんに教えて上げるつもりだったんですけど、予定外にポンポン話が進んじゃうもんでね、言い損なったというか。そしたらなんか谷村さんが落ち着いてきて僕と交渉なんかしちゃうもんだから、ちょっと意地悪したくなっちゃって」
良平は口を噤んだまま動かなかった。表情だけが険しさを帯びる。
「いや、ごめんなさいね。とりあえずですけど、谷村さんには明日から動いて貰います。なので今日はゆっくり家で休んでて下さい。お仕事のお休みも連絡入れといて下さいね。後今日はもう家から出てもダメですからね。えぇと、そうですね、とりあえず注意事項はこれだけですかね。あの谷村さん、聞いてます?」男は一方的に話し、最後に訊いた。
「聞いてる」怒りで口元を震わせながらも、ゆっくりと答えた。
「じゃあまた明日、早ければお昼過ぎには連絡します。その、何度も言う事じゃないんですけど、誰にも言っちゃダメですからね。まぁ、それは谷村さんの自由ではあるんですけど、一応誘拐犯としては言っとかないといけないんでね。じゃあ、仕事終わりに長話すみませんでした。また明日」
「ちょっと――」良平が声を上げると同時に、通話は切れた。慌てて手に持っていた携帯を耳に当てる。同じように、遮断音が流れていた。顔に浮かぶ苛立ちと怒りに任せ、乱暴に受話器を叩きつけた。
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