第19話

 「ケルニクス家は戦乱の世の中で武勲を挙げて名を成して来た武門の家系でな、同じ子爵家とは云っても三公爵家に連なる、王家の系譜たるメルヴィスやウェインバーグとは格が違う、言っちゃあ新参の、下風に立つ家柄でな」


 五百年以上も昔、まだ北域が蛮族たちの恐怖に怯える未開の地であった時代、蛮族の脅威に立ち向かい、ついには討ち払って部族を平定し北の地に人智の国を興す礎を築き上げた者たちが居た。


 それがオーランド王国建国の祖アルメニク・オーランドと後に魔法士の始祖として謳われるアグナス・マクスウェルである。


 アルメニクの血族は長き歴史の中、面々と脈々と受け継がれ、今尚、蒼き血の血族として王国を統治する支配者の血筋として君臨している。


 クルムド侯爵家・ルーデバッハ侯爵家・マクベス侯爵家。


 アルメニクの直系である三侯爵家から分家を重ね、血が混じり薄まりながらもメルヴィスやウェインバーグなどは元を辿ればアルメニクの遠縁に当たり、文献などを詳しく調べねば正確な序列は分からぬものの、現前たる王国の王位継承権を有する名家なのである。


 王者の系譜である譜代の名家とそれ以外の新興の貴族たち。


 オーランド王国での貴族社会に置いてそれは明確な格差、であり、降って湧いた様な今回の跡目問題にケルニクス家が目の色を変えて固執するのも理解が出来ぬ訳では無いのだ。


 一族の者が末席と言えど王者の系譜に名を連ねる事は、子爵と言う高位の爵位を戴いて尚、外様、と時に陰口を叩かれ続ける積年の屈辱を払拭するこの上もない名誉であり、事が成れば立場上本家となるケルニクス家が、メルヴィス家との血の交流を経ていずれは自身が王者の系譜に名を連ねる事も夢では無い千載一遇の、まさに好機であったのだから。


 「ケルニクス家としては二人には絶対に取り決めを守らせたい、遵守させたい、と言ったところですか?」


 「そうなんだが……ただ……それだけじゃねえんだ」


 アシュレイの言い様は何処か歯切れが悪く、ばつの悪そうな仕草にエレナの瞳がすっ、と細められ……黙して語らぬ少女の内心を現すが如く、一瞬で場の空気を引き締める、凄みの在る気配の変質にアシュレイは息を飲む。


 多くの修羅場を経験してきたアシュレイは、恫喝や脅迫と言った心理的圧迫が人間の精神にどの様な変化を、影響を与えるかを嫌と言う程知っている。


 しかし良く言われる様に、凄むだけで或いは気配のみで人の行動の自由を奪うような、それこそ小動物の如く震えて動けぬなど、大げさな逸話の類は体験として現実を知るアシュレイは眉唾だと、与太話だと、馬鹿にしていたものだ。


 だが……エレナと出逢ってからは正直分からなくなってくる。


 今にしても些細な感情の変化に過ぎぬであろう、エレナの表情の変質に、先程まで神秘的で美しいとすら感じていた二つの瞳が、まるで深淵を宿す闇の様に恐ろしくすら思え……飲み込まれてしまうかの如く錯覚を齎す心理的な負荷にアシュレイの背筋には冷たい汗が滲む。


 エレナから本気で殺意を向けられたなら或いは、と笑い飛ばせぬ程の何かを、この少女が内に宿す得体の知れぬ何かを、アシュレイはこの時感じ取っていた。


 「人間ってのは……欲の塊だ、目の前に差し出された餌がでかけりゃあ、でかいほど欲目も出るってもんさ……そうだろう?」


 「いっその事、二人を亡き者にしてしまった方が話が早いと?」


 「た……確かにそんな噂話はあるが、そりゃあ一足飛びに暴論てもんだ……考えても見ろよ、渦中の人間がいきなり殺されたり、行方が分からなくなりゃあ、真っ先に疑われるのはケルニクス家の人間だ、奴らも馬鹿じゃない、そう軽々に手は出さないだろ」


 寄り色濃くなる気配にアシュレイは慌てて弁解する……が、ケルニクス家が抱く殺意までは流石に全否定する事は出来ない……エレナの手前、言い出せずにいたが不確かな情報の中には、未遂はあった、とすら聞き及んでいたのだから。


 「時期を待っていたとすれば……まさに今が絶好の好機なのでは?」


 傭兵と言う存在は常に危険と隣り合わせ……であれば、ギルドとしての活動を再開させた今は正に狙い頃と言うべきではないのか、とエレナは淡々と語る。


 外壁の外に赴かずとも依頼の種に寄っては身に危険が及ぶ場面も珍しい事では無い。今回の狩猟祭にしてもそうだ……獣に襲われて不慮の事故に遭う、と言う危険性は常に孕んでいる、と言っても良い。


 レティシアが狩猟祭にギルドとして参加しなかった理由も、自分を極力依頼から遠ざけようとしていた訳も、ケルニクス家の脅威を感じていたとしたら腑に落ちる話ではある。


 「魔香に灼眼の獣……考えても見れば、あの村にはシェルンも居ましたし、あの獣の前に立っていたのがシェルンであってもおかしくは無かったとは思いませんか?」


 「思わねえよ!! 大体だな……見世物小屋の調教師でも野生の動物に特定の人間を襲わせるなんてのは容易な芸当じゃねえ筈だ……それにお前だってあの一件が周到に準備されたモノじゃねえと感じてる、そうだろ?」


 答えは無い……しかしまた一口硝子の杯に口を付けるエレナの表情からは、アシュレイに対する不信感の様なモノは見られず、それがある意味に置いて答えであったと言えるのかも知れない。


 自身が少なからず関わっているゆえにこの話題は避けたかったアシュレイとしては些かなりと苦しい言い訳ではあったが、直接的にケルニクス家とは関係が無い事を知っているだけに、無用な疑いをエレナに持たれるのは本意では無かった。


 「と……まあ、あの姉弟を取り巻く周囲の関係はそんなところだな……後は当事者たちの、当人たちの思惑は、って話についちゃあ……こればっかりは俺には分からんね」


 口にしてしまった言葉は消せない……少し向きになっちまったか、とは思ったが最早それは後の祭りであり、これ以上エレナに詮索されぬ為にもアシュレイは早々と話を纏めようとする。


 「アシュレイさんがどの思惑に加担しているかは言えない、そういう事ですね?」


 「何度も言うが依頼主は明かせねえ、それが最低限の条件だ」


 言い切るアシュレイにエレナは頷く。


 それは交渉を続ける意思がある事を示す意思表示であり、此処までの事の成り行きに一定の成果を見たアシュレイは内心で安堵する。


 「さて……最後に残した本題なんだけどな、あいつ等に肩入れしてるお前さんには酷な……信じ難い話かも知れねえが本当に話してもいいんだな?」


 「愚かさも醜さも、それが人が背負うべき業ならば、あの子たちの手助けをしたいと口にするのなら、全てを受け止める覚悟は出来ています……何を聞いたとしても、それを信じたとしても、私が視ている世界は変わらない」


 大仰な言い回しではあったが、エレナの発する言葉に、想いの深さに、アシュレイは境遇が似ている、とも言えなくも無いあの姉弟とエレナとの決定的な差を思い知らされる。


 貴族という存在に敵意と嫌悪感すら抱いている自分が、その一員であったと告白したエレナに対して何故あの姉弟に抱くのと同様の負の感情が湧かぬのか……その理由は簡単だ。


 覚悟の差、である。


 高みから見下ろして善意と憐れみを押し付けてくる連中と比べ、同じ目線に立ち、同じところまで堕ちる事すら厭わぬエレナの在り様は、誰にでも真似出来る様な生易しいモノでは無い。


 汚水に塗れ、地を這いずる事しか出来ぬ者に手を差し伸べたいと願うなら、己の身もまた汚泥に塗れる覚悟を持たねば為らない。


 それが出来るか出来ないかは、言葉にするほど簡単な事では無いのだ。


 「出来得る限り客観的に話すとしようか」


 自身の感情は挟まない……エレナに対して真摯であろうと思うなら、今のアシュレイに出来る事はその程度の事くらいであった。

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