第18話

 「初めに断わって置くが依頼人の素性は明かせねえ、これは譲れねえ絶対条件だ」


 南の区画だけでも数十とあるギルドを相手に個人で渡り合っていく為には、組織に属さぬゆえの有意性を最大限に活用せねばならない。


 合法、非合法を問わず相場よりも安価で使い勝手が良い、問題が生じれば柵無く切り捨てられる便利な駒として、短所すらも利点とせねば、この業界で生き残る事は、競合する巨大組織であるギルド会館と張り合っていく事など出来はしないのだ。


 だが安かろう、早かろう、だけでは食い詰めた傭兵や、道端の浮浪者を日銭で使った雑な仕事と大差が無い。


 一方的に利用される者が消費されるだけのモノが、辿る末路は変わらない。


 魔女の災厄以降、ライズワース全体での犯罪の発生件数とそれに伴う検挙率は大幅な低下を見せている……人口比率に比して低い犯罪件数は治安維持に動員されている憲兵隊の怠慢が要因でも、下降線を辿る人口の減少が原因でも無い事を、実感として、体感として、多くの国民たちは知っている。


 一人の人間をこの世界から抹消する事の安易さを。


 犯罪が起きぬのではない……無かった事に出来る狂った秩序の構築を。


 外壁の外に捨ててしまえば魔物が全てを処理してくれる新たに生じた秩序の中で、現行犯以外では立件すらされぬ形骸化された倫理の中で、己が哀れな被害者にならぬ為にも、この業界には最低限守らねばならないルールが存在するのだ。


 己の身を護る為に必要なモノ……それは『信用』。


 依頼の成否に関わらず、簡単に依頼主の情報を流す様な輩はこの業界では長生きは出来ない……悪い風評とはそれ程に容易く、どれ程口を閉ざそうとも知らず流れ広がり往くモノ。


 それはやがて返す刃となって己の命を奪うのだ。


 金と物欲に塗れた世界の中で、命を繋ぐ生命線が目に見えぬ概念であろうとは、ある意味滑稽な……いや、一周してそれは皮肉の極みとでも言うべきであろうか。


 「端的に言うがエレナには双刻の月を抜けて貰いてえ、勿論此方の条件を飲んでくれるなら、相応の見返りや便宜は図ってやれる」


 「なるほど……カタリナさんやレティシアさんから説明を受けても違和感は確かに残っていました……何故これ程までに人が集まらないのか、と……やはりギルド内の事情だけでなく第三者からの圧力が存在していたという事ですか」


 「そういう事になるな」


 エレナの性格を考えれば下手な駆け引きは返って邪魔になる、障害にしかならないと理解しているゆえにアシュレイの言葉には迷いが無い。


 「何時から疑っていた? いや……初めからか」


 「ライズワースに来て間もない私には知人は殆ど居ませんし、逆に言えば狙われる理由に身に覚えが有りませんから……事の要因が私個人以外となれば後はギルド絡みしか考え難いかと……その程度の事ですよ」


 構築している人間関係が希薄なゆえに分かり易かっただけなのだ、と単純な理屈なのだ、とエレナは笑う。


 「双刻の月はギルドを抜ける場合の罰則規定は設けて無い筈だ、だから本人の意思次第で穏便に抜けられる……理由なんてのは、まあ、どうとてもなるだろ」


 「見返りは頂けると?」


 「前金で一年間の滞在費相当の額を用意出来る、それと剣舞の宴への参加資格……何方もお前さんにとって悪い話じゃないだろ」


 「随分と豪腹な事ですね」


 アシュレイから提示された条件が破格である事は間違いない……だが周囲からは歓談に興じる男女の姿にしか映らぬだろう、エレナの瞳が寂しげに揺らぐのを見て取れたのは、目の前で彼女を見ていたアシュレイだけであった。


 エレナからすれば断る理由を探す方が難しい好条件……だからこそ気づいてしまう……いや、目を背ける事の方が困難な現実に。


 アシュレイは余りにも的確にエレナの望みを知り過ぎている。


 エレナがライズワースで関りを持った人間など両手で足りる……その中でエレナの目的を知る者ともなれば絞り込む事は難しい事では無い。


 初日に訪れたギルド会館で対応してくれた職員と後は双刻の月の……。


 二者択一の選択の中で……アシュレイの依頼主がエレナが思う通りにメルヴィス家の者ならば可能性は寄り後者へと傾かざるを得ないのだ。


 上級貴族であるメルヴィス家と下町の何でも屋。


 両者の立場の違いを、関係性を考えても、結ぶべき、繋ぐべき第三者の存在が介在していると考える方が寧ろ道理に適う。


 そしてメルヴィス家とギルド会館の両者を繋ぎ、街の事情にも精通している人物ともなればエレナは一人しか知らない……思い浮かば無い。


 「依頼主が誰かは問いません……その代わりと言うのはおかしいですが、裏の事情を説明しては貰えませんか?」


 「それを知る事でエレナ……お前さんが得をする事は何一つないぜ」


 事情を話せば寄り深くエレナをこの件に関わらせる事になる……それはアシュレイが望む事では無かった。


 「今更貴族の揉め事に義憤を抱く程、私は善人でも聖人でもありません……けれど貴方の言葉に黙って従って瞳を閉ざして何も知らず、何も知ろうともせずに己の利だけを求めて、あの子たちを裏切る様な真似だけは私には出来ない」


 「何故だ、何で付き合いも浅いあの連中に其処まで義理立てするんだ」


 「私が私で在る為に……いいえ……嘗て受けた恩に報いる為に、私はあの子たちが望む結末の一助となりたい」


 二人の父親であるカダート・メルヴィスは大恩ある恩人なのだ、と。


 二人は恩人の子供たちなのだ、と。


 語るエレナにアシュレイはエレナの執着の理由を、事の成り行きをこの時理解する。


 これ程の好条件を蹴る馬鹿など居る筈が無い……損得を考える普通の人間であれば、いや、傭兵などと言う種の人間であるならば尚の事、関わる事への危険性を考えても大人しく身を引く筈だ。


 人間とは損得と打算で物事を割り切る生き物であり、これまでの人生の中でそうしてきた連中をアシュレイは数多く見て来たし、その判断が間違っているなどと疑問に思った事すら無かった。


 だが……エレナは……エレナ・ロゼと言う少女は本質的にそれらとは異なる生き物なのだ。


 正しいとか誤っているとか、善とか悪とか、単純な倫理観の問題ですら無く、己の内に在る信念の下に損得すら度外視して殉じようする在り方は、まるで殉教者のソレに近い。


 神の意向か己の意思かに違いはあれど、その生き方が気高いモノであればある程に、アシュレイにはエレナが危うく儚い存在に思え……同時に気付くのだ。


 危ういからこそ惹かれ、儚いゆえにこそ眩しく、そして美しいのだ……と。


 エレナ自身が自ら恩人、と口にする以上、最早これ以上の譲歩は望めぬだろうと、引き下がらぬだろう事は間違い無い。


 話をしなければ交渉は此処で決裂する……エレナを説得する上でもアシュレイとしては覚悟を決めねば為らなかった。


 「後悔……は、まあ、しねえだろうな」


 アシュレイは諦めた様に苦笑する。


 「エレナはもうメルヴィス家の愁嘆場ってやつを聞いているのか?」


 エレナはアシュレイの問い掛けに黙って首を横に振る。


 カタリナから触りの様な漠然とした概要は聞いてはいたが、直接当人たちからはまだ話を聞かされてはいない……逆に言えばレティシアとシェルンに話して置かなければ、と思われる程には関係性が構築出来ていないという、エレナとしては歯痒いがそれが現在の偽らざる現実である。


 「ならこの話は最後にしようか、両者から話を聞かねえと信憑性に欠けるだろうし、何よりお前さんも納得出来ないだろうからな」


 と、アシュレイは肩を竦め話を続ける。


 「シェルン・メルヴィスは十六歳の誕生日を以て成人の儀を執り行い、同時に正式に家督を放棄して次男であるヨハン・メルヴィスに家督を譲る……その条件としてシェルン・レティシアの両名が継承権を有する期間に置いてはメルヴィス家として両者に対する支援を惜しまないものとする」


 「文面としてそう起こされていると?」


 「巷の噂、て話しじゃなくこれは間違いない事実らしいぜ」


 肯定するアシュレイにエレナも思案げに口を閉ざす。


 「けどよ、この話はそう簡単に纏まるっていう単純な話でも無くてな」


 「どういう意味ですか?」


 「エレナはメルヴィス家が今回の黒幕で、あの姉弟に色々ちょっかいを掛けてるって思ってねえか? けどよ考えても見ろ、この取り決めに不満を抱く連中なんざ巨万といるって事をよ」


 流石に内容が内容だけに周囲の目を嫌ったのか、アシュレイは僅かに身を乗り出すとエレナに囁き掛ける。


 「例えば若くして早世した姉弟の実母マリーナ・メルヴィス……その実家であるウェインバーグ子爵家としてはどうなんだろうな、随分と歯痒い思いをしていると俺は思うね、当主の身になって思えば、愛しい愛娘の忘れ形見が放逐された上に、家督を血の繋がらない義理の息子に譲り渡すなんてさ」


 アシュレイは話を途切れさせず続ける。


 「腸が煮え繰り返る程激怒しているそうだぜ……あくまでも巷の噂、ではな」


 「真実だと?」


 「どうだろうな、こんな噂もある、最悪シェルン・メルヴィスが家督を放棄したとしても、姉のレティシア・メルヴィスを家門の家系の者に嫁がせて、そいつを正当なメルヴィス家の嫡子として立てるってな……強引な遣り様だが名家であるウェインバーグ家の力を以てすれば不可能な話じゃねえ」


 あくまでも巷の噂ではな、と付けるのを忘れない。


 アシュレイが少し楽しげなのは、エレナとは姉弟に対して抱く感情が異なるゆえである為なのだが……エレナの前であってもこればかりはどうしようも無い。


 「まだあるぜ、直接的な関係性は無くとも正統な嫡子が跡目を継ぐべきだ、と考えている頭の固い古株連中は王宮内にも少なくないらしくてな、ましてヨハン・メルヴィスはまだ十二歳の餓鬼……つまり取り決め通りにシェルン・メルヴィスが家督を放棄しちまうと、後三年以上はヨハンの母親であるレーニャ・メルヴィスが当主代行を務める例を見ない事態を招いちまう」


 「伝統を重んじる者たちは通例を好む……まして譜代の名家で悪しき範を残す事だけは避けたい、と?」


 「噂の域はでないがな」


 つまりアシュレイはこう言っているのだ。


 現状メルヴィス家は二人を支援している立場であり、ギルドを、双刻の月を潰そうとするかの様な行為には、取り決めを反故にしたい、実家に戻らせたい別の意思が働いているのでは無いのか、と。


 「確かにアシュレイさんの言う巷の噂、はある面では正鵠を射ているものかも知れませんね……しかし逆の意味でメルヴィス家にも同じ事が言えるのではないですか?」


 「確かにな……あの姉弟と義母の関係を考えるならな、其処は否定しねえよ」


 其処までに両者の関係は暗く、深く、何よりも醜悪で救えない……真実とされる話を知るだけに流石にアシュレイもソレを否定する事は出来なかった。


 「カタリナさんから聞きましたが、レーニャ・メルヴィス……その実家であるケルニクス子爵家の動向はどうなのですか?」


 エレナはオーランド王国についての知識が浅い……ゆえに貴族間の力関係や関係性を知る意味でも、アシュレイがどの話にベクトルを掛けているのかを、誘導しようとしているのかを見極める為にも、公平に両家の話をアシュレイの口から聞いて置きたかったのだ。


 だが意図せずアシュレイは一瞬迷った様に表情を歪ませる。


 ケルニクス家に纏わる話は間違い無くエレナの意に添わぬ、反発を招く種の噂が元になっている……しかし全てを話すと言った以上、話題を逸らせばエレナからの信用を得る事は出来ない事も確かなのだ。


 だからこそアシュレイは慎重に語り出す……文字通り、言葉を選びながら。

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