第16話

 「ルル、ほら急ぐの」


 「お姉ちゃん……やっぱり止めようよー」


 手を引く姉にルルは不安を隠しきれずに抗議の声を上げるものの、其処に確固たる意志が有る訳でも無く、ララの手を振り解く程の勇気はルルには無い。


 「お母さんに怒られるよ 止めようよーお姉ちゃん」


 「じゃあルルはご飯一杯食べたくないの? いいよ、あたし一人でもいいよ? でもそしたらね、ルルなんて知らないもん、ルルには食べさせてあげないんだから」


 お互いの性格を良く知る姉妹ゆえにどうすれば妹が自分について来るかを知っているララは、敢えて握る手の力を緩めてルルに決断を強いり……予想通りに慌てて離されない様に手を握り返してくるルルの姿にララはほっ、と胸を撫で下ろす。


 強気な発言とは裏腹に、ララとしても本当は一人では不安なのだろう事は平素と比べても落ち着きの足りぬ態度からも見てとれ、同じくルルにしても後で母親に怒られるのは怖いが今、姉に置いて行かれるのは同じだけ恐ろしいと、何よりも嫌われてしまうかも知れない、と言う思いが辛うじて不安に勝っているのだろう様子がありありと窺える。


 「お姉ちゃんに一緒に来て貰おうよ」


 最後の妥協案……いや、最後の抵抗を試みるルルの言葉にララは反応を示し、懐に忍ばせている御守りへと手を伸ばすが、ルルが指す『お姉ちゃん』が誰かを知るゆえに、ララは妹を叱る事も出来ず少し困ってしまう。


 「お姉ちゃんはお仕事で忙しいの、だから来られないの」


 苦し紛れ、と言うよりは子供特有の、と評した方が妥当であろうか、何ら根拠に基づかぬララの虚言に幼いルルは反論に詰まり、感情面では納得出来ぬのだろう、頬を膨らませて抗議の意思を示しはするが、常日頃から両親に『仕事』の大切さと重要性を叱られながら教えられているゆえに能動的な抵抗を諦めてしまう。


 年長者としての有意性を持つララが最後には押し勝つ。


 言い合いになっても最終的には姉であるララの意見が通る……それはこの姉妹にとっては珍しくも無い何時もの……有り触れた日常の一幕であった。


 大人しく為ったルルの手を引きララは待ち合わせの場所に急ぐ。


 父親に気づかれずに畑から抜け出すのに時間が掛かり、約束していた時間に間に合うのかはかなり怪しくなっていた。


 村外れまでは子供の足でもそう遠いとは呼べぬ程度の距離ではあったが、待っているのは知らない大人たちなのだ……ララとしては遅れて叱られるのは絶対に嫌だったのである。


 村に大勢集まっている知らない大人たち……その一人にララが頼まれたのは簡単な道案内、それも良く見知った場所。


 森の中に在る自然の水飲み場は村の子供たち共通の秘密の遊び場であり……森には立ち入るな、ときつく大人から戒められている子供たちにとって、事実を知られれば村の皆から叱られる場所ゆえに、両親にも秘密、と口止めされていた事に子供心に疑問を抱く事も無かった。


 それに、とララは走りながら懐に仕舞った硬貨が擦れて漏れる音を耳にする。


 知らない大人たちから貰った五枚の銅貨。


 ララにはそれがどれ程の価値が有るのかは分からない……しかしこのお金で家族全員がお腹一杯食べられる、と言われた言葉のみで十分であった。


 午後の手伝いを抜け出した事は怒られるかも知れないが、このお金が有ればきっと両親は笑って許してくれる……褒めて貰える、何よりも時折空腹で夜泣きするルルに好きなだけご飯を食べさせて上げられる……それがララには一番重要な事であったのだ。


 森の中とは云ってもそんなに深い場所に入る訳では無いし、子供たちだけで何度となく遊びにも行っている……道もちゃんと覚えているし何よりも今回は大人たちが一緒なのだ。


 だから怖い事なんて何も無い、と大丈夫、とララは何度も自分に言い聞かせていた。


 秘密の水飲み場まで大人たちを案内して帰って来るだけ……そう……只それだけの簡単な道案内に過ぎないのだと。


 思いとは裏腹にララは服の腰紐に結び付けた御守りに残る手で無意識に触れ……それは不器用ながらも自らの手で織った形の整わぬ鳥の翼が当たる紙の感触に、手触りに、折り方を教えてくれた優しく綺麗な少女の姿を思い起こさせ。


 そうだ、お母さんにお願いしてお姉ちゃんも呼んで貰おう。


 と、豪華な食事が並ぶ食卓を囲む家族と……そして優しく自分の髪を撫でてくれる少女の姿を想像するララに、それは不安を払拭する勇気の灯火となって小さな胸に明かりを灯す。


 「遅れちゃうから急ぐよ、ルル」


 妹の手の感触を確かめる様にララは強くその手を握り締め、走る道の先、遠く広がる森の境界……その入口へと続く村外れへと足を急がせるのであった。

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