第13話

 ああ……損な役回りだな、と、


 内心では困惑と、落胆にも似た倦怠感を覚え、大きく溜息を付くものの、仕切られた受付で向かい合う同性の女性たちを前に悪態を付く訳にもいかず……受付の職員は相談などとは言えぬ妄言に近い話にも時に相槌を打ち、友好的な笑顔を絶やす事は無い。


 厳密に言えば……いや、誤解が無い様に語るならば、受付の職員は本来は窓口業務を行う様な一般の職員では無い。


 彼女はまだ若いながらもギルド会館では上級職員とされる『地域担当官』である。


 『地域担当官』とは、

 

 南の区画に幾つも点在する協会……それに付随してギルド会館から協会へと派遣された職員たちを束ねる役職の一つであり、業務を提携する協会との橋渡し的な役割を担う要職……云わば職員全体を統括する管理職である。


 名義上オーランド王国では独立した組織ではあっても、協会を母体とするギルド会館は実質上、協会の下部組織である事は言うまでも無く、厳密には色分けされた裁量権の幅こそ異なるものの、有する権限を考慮しても彼女が区画を統括する協会の区長に次ぐ、補佐官の一人である事は間違いないだろう。


 そんな彼女が態々窓口で対応せばならない相手……それが今、彼女を悩ませる頭痛の種であった。


 ギルドランク低位のギルドマスターなど、彼女にして見れば直接相手をする必要性すら覚えぬ取るに足らぬ存在……ではあるのだが、流石に今回ばかりは相手が悪い。


 女性が連れ立つ人物は、面談中だと言うのに顔を覆う外套すら取らぬ非礼ぶりではあったが、しかしそれでも従者……いや、所属する傭兵であろう人物を叱責する事すら憚られる程に今回は相手の『格』が上なのである。


 彼女の前に座る人物の名はレティシア・メルヴィス。


 オーランド王国の現王権を戴くランゼ・クルムド・オーランドを輩出したクルムド侯爵家を筆頭に蒼き血族として知られる三侯爵家……メルヴィス子爵家と言えばそれらに連なる譜代の名家であり、当主不在の現在に置いてもレティシア・メルヴィスは第三継承権を持つ最上位に位置する貴族の令嬢であるのだ。


 第一継承権を有する嫡男シェルン・メルヴィスと同様に、継承権を放棄し市井に下った、と内外に公言してはいても、御家騒動の末に家人とどの様な取り決めがなされていようとも、嫡子であるシェルンが成人を迎えるまで国法の上では廃嫡とは認められず、また付随してレティシアの主張も棄却されている。


 つまり本人たちの意思やメルヴィス家の立場はどうあれ、法令に基づけば今だレティシア・メルヴィスは純然たる王国貴族であり、であるならば公共の機関として公務を扱うギルド会館の職員としては取るべき対応というモノは推して知るべき、と言うものであろう。


 「なるほど……興味深いお話、有難う御座いました、では此方の獣の遺体も鑑識に回しますのでご安心下さい」


 とんでもない法螺話だとは思いながらも、毛ほどもそれを感じさせぬ満面の笑みで女性はレティシアに答える。


 「やはり森の封鎖は難しいでしょうか……せめて調査が進むまで収穫祭を延期して貰う事は……」


 レティシアの隣に座る……この時初めて発した声音からその人物が若い少女である事に女性は気づく。


 「御懸念は承りました……ですがやはり魔法の分野の話、となりますと上の者と相談せねばなりませんし、博識の術者からも多く意見を聴取しなければなりません……検視の結果を踏まえて、結論を導き出すには時間が必要とされる案件であるとご理解下さい」


 やんわり、とそしてかなり遠回しに延期など無理だ、と女性は少女に告げる。


 「であれば、最悪の事態を想定して巡回の人員を増やして頂く事は出来ませんか?」


 「残念ですが知っての通り南の区画に広がる森は深く広大で、全方位を補完するだけの人員を確保する事は難しいと存じます……それに今回の行事が何故ギルド会館が主導して行われるのかを、その趣旨をご考慮頂ければ、と」


 安全面を考えろと言うならば、そもそもに置いて参加者全てが一般の人間たちでは無く、魔物の駆除を主とする傭兵たちなのだ、と今回の行事にしても危険云々など折り込み済みの訓練の一環であろう、と。


 益体も無い事を宣う少女の妄言を一蹴する様に女性は言い放つ。


 「分かりました、では正規の手続きに則り対処の方はお願いします」


 「了解致しました レティシア様」


 少女の肩に手を置き立ち上がるレティシアに職員の女性も呼応する様に席を立ち、恭しく深々と頭を下げる。


 思いの外、あっさりと引き下がってくれた事に女性は内心で安堵し、だがレティシアの態度に憤っている様子が見られない事からも、概ね予想通りの対応だったのだろう、と女性は推測する。


 下らぬ与太話に永遠と付き合わさせれる事を覚悟していた女性からしてみれば、幸いとは云え、自分の統括する区画に双刻の月が存在するゆえに、これまで再三に渡り被ってきた弊害を考えれば、もう正直いい加減にして欲しいと言うのが隠せぬ本心であった事は否めない。


 貴族として生きる事に嫌気が差したのなら、何故王都に留まっているのだろうか、と疑問でならない……大陸は広いのだからメルヴィスの名など誰も知らぬ東域や南域にでも渡れば穏やかに生きられるであろうに、と。


 そこまで考えて女性は思考を止める。


 好奇心は猫を殺す。


 貴族の揉め事や内情を詮索するなど百害あって一利なし、である……己の保身を考えても決して踏み込むべき事柄ではないのだ……自分はただ与えられた職務を全うすれば良い、そう……粛々と。


 立ち去る二人の後ろ姿を見送る女性は、その姿が見えなくなるまで頭を上げる事は無かった。





 「がっかりしたかしら エレナ?」


 「いえ……予想はしてましたから」


 答えるエレナの言葉に嘘は無い……だが落胆しなかったかと問われれば、素直に頷く事もまた難しい。


 「確かな証明が出来ない現状で私たちの出来る事はこれが精一杯だと、理解はしてくれているのよね」


 はい、と頷くエレナに、また無茶をしないかと心配していたレティシアは安堵の吐息を漏らす。


 レティシアが言う通り、今の段階で自分が出来る事など何一つ無い……それが理解出来てしまうがゆえに、エレナは苛立ちを覚えるのだ。


 誰にでは無く己自身に……無力で無能な己の存在に。


 異様な獣の死骸は確かな物証ではあったが、超常的な存在として魔物が跋扈するこの時代に異質な獣の存在など脅威と見なされずとも不思議な事では無い。


 それが人為的に変質したモノであるのなら断じて見過ごせる事態では無いが……しかし、短絡的にそれを魔香の効能と結び付けるのは流石に無理がある……何よりエレナ自身が魔香にそんな作用が無い事を知っている。


 仮にエレナの知らぬ未知の技法を以て構成された魔香であったとしても、人体に何ら影響を与えず、獣を魔物染みた存在に変質させる効能に一体何の意味がある。


 寧ろ人体に影響を齎す……そう……嘗て恐怖と死の象徴として王国を席捲した黒衣の死神……剣鬼、ユースタス・フロストが体得した戦闘技法の様に……。


 「エレナ、可能性の話は止めましょう……それを突き詰めてしまっては最悪の事態などそれこそ無限に生じてしまうから」


 レティシアの声がエレナを現実の世界へと呼び戻す。


 「私はエレナを信じたい、だから現実的な話をしましょう、可能性では無く貴女の持ち得る知識の中で、懸念する事態が有り得るのか有り得ないのか、それを知りたいの」


 答えなど決まっている。


 一度きり……たった一度きりの効能で獣が異常性を示す程の効能が魔香にあったのならば、森に吹き込んだであろう、風向きを考えても変質を見せたのがアレ一体だけなどとは考え難い。


 寧ろ当初の推測通りに獣を引き寄せる作用と考えた方が、アレが他の獣を襲った痕跡を見ても道理に適っている。


 「有り得ない、と思います」


 答えるエレナにレティシアはまたその手をそっと肩に置く。


 「そう……なら後はアントン先生の診断を待ちましょう、もし検査の結果、考えたくはないけれど悪い方向に進展があったなら、それを根拠に今度こそ中止を訴えましょう」


 でも、とレティシアは少し声の調子を落とす。


 「何もなければこの話はこれでおしまい……勿論忘れろとまでは言わないわ……けれどまた勝手に無茶だけはしないと約束して頂戴、いいわね」


 これは貴女の為なのよ、と繰り返すレティシアに、エレナは黙って頷く事しか出来ない。


 全てを信じてくれている訳では無い……しかしそれでもギルドマスターとして出来得る限りの責務を果たそうとしてくれているレティシアに対して、これ以上何かを求める事などエレナに出来よう筈も無かった。


 成り行きをただ見守る事しか出来ない……それは嘗ての自分ならば一言で覆せた筈の……だが、英雄と呼ばれた男が嘗て持ち得た力の全てを失った一人の少女、エレナ・ロゼには抗い難い、それが現実であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る