第12話

 大半のギルドが都市部に拠点を持つ関係上、派遣された先で起きる不測の事態……特に都市外に置いてはギルドとしての対応力を必要としても即応性に欠ける面は否めない。


 その点に置いて街道沿い、しかも農村地域にほど近い双刻の月は今回の一件に限った限定的な条件下ではあったが、立地的に利点を持つ他のギルドには無い優位性を有したギルドであったと言えよう。


 ゆえに、日の出を待たずしてエレナが負傷したアシュレイを伴い、双刻の月へと帰参する事が出来たのは、最悪徒歩でも移動が可能な位置関係に寄るところが大きい。


 もう一つ幸運であったのは、明日の……いや、もう今日になるのだろうか、狩猟祭に備えかなりの数の傭兵たちが村に滞在していた事がエレナが夜明けを待たず村を離れる決断を促す要因の一つになっていた事は間違い無い。


 集落の長の家を訪ね、事情を説明するエレナに初めは半信半疑の様子であった村長も流石に異様な獣の死骸を見せられては納得せざるを得なかったのだろう、半ば疑念は残しながらも警戒の人員を割く事を約束してくれていた。


 後の事を傭兵たちに任せられるのならば、エレナにとって優先させるべき事柄は一つしか無い。


 アシュレイの傷の手当、である。


 得体の知れぬ獣に噛まれたのだ……本人は大丈夫だと言ってはいるが、噛傷自体は浅くとも、どの様な毒性を持っているかも不明な上に、何よりも感染症が恐ろしい。


 人間は鉄錆一つで死ねるのだ。


 戦場の様な不衛生な環境下では負傷兵の多くが知識不足からくる初期段階での処置の遅さが原因で命を落とす……特に軽傷者にその傾向が見られ、適切な処置を怠った結果、時に最悪の事態に陥る場合も決して少なくは無い。


 医療従事者や物資に制限の有る戦場でならばまだしも、医療設備が整った環境にあって、出来る事をやらず、為せる事を成さずして、知り合った誰かが理不尽に命を落とすのは堪らない……。


 だからこそ村に医者が居ないと知ったエレナがギルドに戻ると云う選択を選んだのは寧ろ自然な流れであった、と言えるのかも知れない。


 エレナを突き動かす衝動の源……それは、


 自己満足、自己欺瞞……例える言葉は数多く……。


 己が独善的な性格破綻者である事を、自己擁護など出来ぬ程にエレナは自覚している……己の中に在る歪みを理解している。


 ゆえに悩むのだ……答えなど出はしないと知りながら。


 エレナ・ロゼの根幹を成すモノ……それは願い、それは呪縛。


 人間とは……人とは、文字として示し現す如く、一個一個が己の足で大地を踏み締め立つ姿を模してモノである、と。


 嘗ての友が、盟友たちがその生き様を通して語り、残したその想いこそが、理想となり、理念となり……そして願いと成ってエレナ・ロゼとして生きる今も尚、心の内で色褪せる事無き不変の信念として息づいている。


 ゆえにエレナは救済を求めない……導きを求めない。


 だが、誰よりも人の弱さを知るがゆえに、


 己としてそれを望み……渇望し願いながらも、他者には決してソレを求めない。


 それは悪魔の証明が如く。


 相反する理想と感情の狭間の中で、出口の見えぬ迷路の中で、己の内に在る自己矛盾にエレナは今だ答えを見い出せずにいた。






 「話は分かりました……カタリナ、悪いけれどこの方をアントン先生の下に連れて行って貰えるかしら、紹介状は今書きますから」


 応接間の窓から見える木々の間、夜明けを告げる鳥たちの囀りが薄闇に響く中、アシュレイを迎え集まった双刻の月の面々は、エレナから事の顛末を聞き終え、それぞれに思うところがあるのだろう、誰もが思案げな表情を浮かべ、早々に口を開く者は居ない。


 話の真偽にまで触れても良いものなのか、と、妄言とは流石に思わぬまでも率直に言えば困惑が先に立つ、と言うのが、一同の表情を窺わずとも正直な感想であろう事は、流れる沈黙が何よりも物語っていた。


 そんな中、まずは自らの裁量の内で解決出来る事案から手を付けたレティシアの判断は至極無難なモノと言えたかも知れないが、それでもエレナは懸念の一つが晴れた事にほっと胸を撫で下ろす。


 「アントン先生は親しくお付き合いをさせて頂いているお医者様で、信用も置ける方です……色々と不安はあるでしょうが、費用の面でも負担は掛けませんのでお任せ願えますか」


 治療に必要な費用は此方で払う、と身内の危険を救ってくれたせめてもの謝意を示すレティシアの姿勢にアシュレイは無言のまま頷きはすれど固い表情を崩す事は無かった。


 それは今だ疼く様に痛む左腕が主たる要因では無い。


 通された応接間は広さに比べ簡素な佇まいを見せ、華美な装飾などは施されてはいない……しかし、置かれている調度品などは一見しただけで高価な代物と分かるほど細工も品質も優れた物である。


 華美で無く優美に洗練された部屋の内装は、言われなければ此処がランク最底辺のギルドの一室などと思う者は恐らく居ないだろう……それ程に……いや、それだけで十分に支給されている援助金とギルドの財政が、内情が乖離している現状を否が応に感じさせる、端的に現す光景であった。


 堕ちても貴族の本質は変わらない。


 市井に身を堕としながらも今だ己を顧みる事も無く、恵まれた恩恵に、幸運にすら思いを寄せず、自らの手で勝ち得たモノでは無い只々与えられたモノを疑いもせず甘受し受け入れる、そんな甘えた連中に心底虫唾が走る。


 紹介状が必要な程の医者……そんな医者に診て貰う為にはどれ程の人脈と金が必要かなど誰よりもアシュレイは身に染みて知っている。


 高熱に苦しむ妹を背に、どれ程高名な医者の門戸を叩いても、手垢に塗れた銀貨を握り締めた身なりの汚い平民に、その扉が開かれる事は無い。


 だからこそ……なればこそ……。


 身を苛む様な寒さに凍える夜を知らず、飢えや渇きに苦しむ辛さも知らず、澄ました顔で今は同じ立場の人間だと、高みから善意を振りかざす女を前にアシュレイが抱くのは、吐き気を催すほどの嫌悪であった。


 小奇麗なその顔を歪ませてやりたい……全てを壊してやりたくなる。


 アシュレイはそんな沸き上がる負の感情を胸の奥底へと沈める。


 親身になって自分の身を案じてくれるエレナの為にも――――そして何よりまだその時ではない、時はまだ満ちてはいないのだから……と。

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