第8話
冬を超え、春先になるとライズワースで行われる大規模な害獣駆除はギルド会館が主導する年に一度の季節間の一大行事になりつつあった。
旧来は新年度に合わせて編成される各騎士団の訓練を兼ねた式祭に近いモノであったのだが、年を重ねる毎に各区画での森林の開拓が進み、結果として住処を奪われ森を追われた動物たちの獣害が、餌を求めて農村部にまで頻繁に姿を現す様になった動物たちの被害が深刻度を増すにあたり、その内容は『式典』から『狩り』へと、騎士団からギルド会館へと権限の委譲が行われていた。
元々騎士団とは折り合いの悪いギルド会館へ、本来の関係を考えれば揉めるであろう事案が特に問題なく、文字通りすんなりと権限を委譲出来たのには相応の理由がある。
大きな理由としてはやはり『金』の問題であろうか。
旧来の式祭形式では王国が全面的に費用を負担はするが、あくまでもそれは騎士団と式典に掛けられる歳費と言う名目でしかない……つまり参加する貴族たち……家門を背負う騎士や従騎士たちの装備や格式を保つ為に必要な経費や費用は、各貴族たちがそれぞれ賄う……いわゆる自分持ち、と言う事になる。
一見下らぬ様に思えるが貴族にとって見栄を張る、という行為は格式を保つ、或いは高める為には必要な、譲れぬ誇りの象徴でもあり、式典の度に武具一式を新調する、と言った武門の貴族は少なく無い。
しかし大貴族と呼ばれる高位の貴族たちや、それに連なる中流以上の貴族たちならいざ知らず、財政が豊かとは言えぬ多くの貴族たちにとって、毎年必ず訪れる武勲にもならぬこの手の行事が、財政を逼迫させる大きな要因の一つであった事だけは間違いない。
組織として独立する王宮直轄の近衛騎士団は別として、オーランド王国が誇る矛と盾たる五大騎士団と言う大きな器は、名誉と誇りを遵守する貴族社会の抱える弊害ゆえに、それらに起因する大小多くの根深く存在する問題の……騎士団内でも悩みの種の一つとなっていた。
その点に置いて、大陸全土に支部を配し、協会の総本山たる本部と統合されて設立されたギルド会館は潤沢な資金力を背景に騎士団が抱える問題とは一線を画す、乖離した組織としての優位性を持つ。
ギルド会館側としても、二百を超える傘下のギルドに対して……中でもギルドとして脆弱な基盤しか持たぬ百番以下のギルドに一定の実績と経験を与える口実として……またギルドの有意性を世論に浸透させる大義名分として、こうした年の慣習的な行事を求めていた事は事実であった。
多くの案件で相反する両者が協議を重ね、利害が一致する、折り合える一点に置いて、互いに妥協した結果が国策の一環として残しながらも、成果は王国に、実利は民間へと移譲された今日の『害獣駆除』と名目を変え引き継がれる一大行事のあらましと語っても語弊は無いであろうか。
エレナやシェルンが依頼を受け派遣された小さな農村も、明日から始まる『狩り』と云う式祭を控え、人口にして数十人程度の村人に対して倍する傭兵たちから発せられる熱気と活気で、普段は静まり返る夕刻の村の広場は時ならぬ喧騒に包まれていた。
こうした現象は何もこの村だけではない。
農耕を主体とする南の区画には大小を合わせれば百に迫る集落や農村が存在し、それぞれに準備や狩りの実働部隊として選抜され動員されたギルド所属の傭兵たちは南の区画だけで数千を超える。
これらに参加するギルドは第一線、と呼ばれる外壁の外、街道の治安維持に参加が認められぬ下位のギルドが主体であったが為か、年に幾度と無い活躍の場に際して皆一様に士気は高く熱気に溢れていた。
魔物の『討伐』と害獣の『駆除』では報奨金に天と地ほどの差が存在する。
ギルド会館が設定する貢献度、と云う項目に置いても決して高いとは言えない。
しかし彼らにとって其処に旨味が無いか、と問われればそれは否と言えよう。
乱獲を防止する為の細かい規定が有るとは云え、他の季節、他の期間では生態系の維持、または需要と供給の観点からも多くの規制と認可を受けた一部の商会の独占的な市場が、四日間という僅かな期間ではあるが駆除、という名目の下、合法的に解禁される……一部希少種などの捕獲制限などは残りはすれど、ギルド単位での獲物の取得、売買が許可されたこの期間は、下位のギルドにとっては年に数度もない書入れ時なのである。
こうした諸事情も絡み、一部では『収穫祭』とも揶揄されるギルド主催の祭りの前夜祭が始まろうとしていた。
「ほい、お疲れさん」
空の荷馬車がぞろぞろ、と村を離れ列を成し、事前準備を終えた傭兵たちや明日に備えて傭兵たちに宿を提供する村人たちが夕刻を向かえた広場を離れ出す中、一人脱力した様に木箱に腰を下ろしていたエレナに、井戸から汲み上げてきたのだろう、水の注がれた杯をアシュレイが手渡す。
「有難う御座います アシュレイさん」
「俺はさん付けされる様な立派な人間って訳じゃなし、気楽にアシュレイでいいぜ」
と、気さくに申し出るアシュレイにエレナは暫し逡巡した様子を見せ……自らの両手で目深に被っていた外套のフードを下ろす。
エレナの束ねられていた長い黒髪が夕日を背に棚引き、肩口から腰まで流れ落ちる一連の光景は、さながら物語の一節を体現したかの様に美しく神秘的な光景で……。
憂いを秘め濡れるエレナの黒い瞳……その横顔を間近で垣間見たアシュレイはエレナの……少女の美しさに言葉を失い立ち尽くす。
「アシュレイさん……?」
敢えて態度を変えず、安易に距離を詰めるつもりはない、とやんわりと申し出を無視するエレナは黙ってそのまま相手の反応を窺うが、自分を見つめたまま一言も発しないアシュレイを前に不思議そうに小首を傾げ……。
「あ……明日から収穫祭だな……エレナも参加するんだろう?」
と、疑問を口にする前にアシュレイに話題を逸らされてしまう。
脈絡が無い、とまでは言い切れないが今の話しの流れからは明らかに不自然なアシュレイの言動を、アシュレイを良く知る者が目撃したらさぞ目を剥いて驚いた事であろう。
女馴れしたアシュレイ・ベルトーニが、初心な少年の様に少女に対している姿は、凡そ見た事もないまるで別人の如く姿であったのだから。
「ああ……えっ、と……私たちは準備を依頼されただけなので式祭には参加しないんですよ」
「それは何て言うか……随分と欲の無い話だな」
咄嗟に思い付いただけで、本当に興味があった訳ではなかったのだが、エレナの予期せぬ答えにアシュレイは驚きを隠せない。
事前準備などと云う実りの少ない依頼を受ける理由は一重に本番に参加する権利を得る為の雑用に過ぎない事は明白で、だからこそ大半のギルドが態々少ない人員を割いてまで薄給で手間と労力が掛かる裏方などを進んで勤めているのだ。
そこまで苦労しながらやっと手が届く果実を前にして身を引くなど、正直アシュレイにして見れば理解が出来ない……貴族が仕切るギルドゆえの見栄か誇りか、何方にしてもエレナが相手で無ければ鼻で笑っていたかも知れない。
「そう……かも知れませんね、でも例え参加したとしても、私たちでは一頭も狩れないと思いますよ」
野生の動物を捕獲するのは言葉にするほど簡単な事ではない。
腕に覚えがあるからと、弓に自信があるからと、わいわいと森を彷徨えば容易く獲物を得られる様な甘い話である筈も無い。
水場の位置から行動範囲を推測し、獲物の習性を理解した上で発見し追い込み囲い、そして仕留める……こうした一連の流れは素人が一朝一夕に身に付けられる技能では無く、長い年月をかけ培って得られる経験であり、或る意味に置いて軍略の基礎に似ている。
対象を仕留めるのはあくまでも最終段階の行程の一つに過ぎず、重要なのは寧ろ其処に至らしめるまでの過程である、と。
ギルド会館が経験の少ない下位のギルドを主体にしているのはそうした理由からなのだろう、とエレナは推察していた。
十の知識よりも一の実地……魔物相手では出来ぬ訓練の一環として行っているだろう、と。
「まあ確かに、去年にしても派手に喧伝していた割には大した実績が残っている様子もねえし……案外そんなもんなのかもな」
初めはエレナの謙遜なのか、とも勘ぐって見たが、思えば言われた通り、去年も駆除を名目に各区画で大規模な乱獲が行われたが実際に肉や毛皮と云った物の価値が暴落したと言う話は聞いた事が無い。
つまりは人口数百万人を超えるライズワースに置いては影響の無い程度、物価に変動を与える程の量は捕獲出来ていないと云う事なのだろうか、と興味が薄いゆえに、さして疑いもせずアシュレイは納得してしまう。
「エレナ、そろそろ戻ろう」
エレナとの会話に割り込む様に背後から、肩越しから掛けられた少年の声に、アシュレイはくるり、と優雅に身を翻し大仰な仕草で頭を下げる。
「これはこれはお初にお目に掛かります」
と、殊更慇懃に……だが其処には敬意の欠片すら感じられぬ、エレナと接する時とは明らかに異なる茶化すが如き様子が窺え……。
「アシュレイ・ベルトーニと申します」
名乗るアシュレイを完全に無視してシェルンがその脇を通り過ぎていく。
二人がすれ違う刹那、シェルンは僅かにアシュレイを一瞥し、アシュレイは今度は憚る事無くシェルンの態度を鼻で笑う。
「そうだね、帰ろうか」
初対面とは思えぬ二人の険悪な空気に、男とは本当に面倒な生き物だな、と内心呆れながらもエレナは慌てて木箱から立ち上がり……。
瞬間、春先特有の強風が吹き抜けて周囲の砂埃を宙へと巻き上げる。
ぴたり、と動きを止めたエレナに連動する様にアシュレイが……いや、シェルンすらも無意識に身を引き、僅かに後退っていた。
周囲の空気が張り詰める……などと云う生易しいモノではない。
見えざる刃を眼前に突き付けられているかの如く、凍り付く様な感覚に……風下を鋭い眼差しで見つめるエレナの黒き瞳は深淵を宿し、先程までとはまるで異なる感情すら希薄な冷たく鋭利な美しさは、例えて古に語られる無慈悲なる冥府の女王シャウラを思わせ……。
「ごめんねシェルン君、やっぱり日も落ちて来たし今日はこの村に泊まるよ」
それは刹那の幻の如く。
一瞬で霧散した気配と共に、済まなそうにシェルンへと眼差しを向けた少女の表情には深淵を覗く者の翳りなど微塵も無く……少なくともシェルンの知る何時ものエレナ・ロゼの姿が其処にはあった。
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