第7話


 「うぬぬぬぬぬぬっ」


 農村の広場に響く少女の嬌声にも似た声に荷下ろしをしていた傭兵たちや、手伝いに訪れた農家の男たちは横目でちらちら、と様子を窺いながらも遠巻きに眺めるだけで近寄る者の姿は無い。


 ズルズル……ズルズル……。


 何往復目であろうか、誰に助けを求める事も無く積み荷に結んだ縄の先を両手で懸命に引いている少女の姿に、見兼ねた男たちが声を掛けようとして……また思い留まる。


 理由はそう難しい事ではない。


 小柄な体格の少女が腰に差している一対の双剣……まだ春先、とは言え、力仕事に従事するには不向きの外套を脱ぐ事もなく、加えて容姿は確認出来ずとも女の身で……しかも傭兵などとくれば……言わずもがな……訳ありな事は誰の目にも明らかであったのだ。


 村人たちは無論の事、今回の依頼で招集された各ギルドの傭兵たちも要らぬ面倒事に巻き込まれるのは御免被りたいというのが正味のところ本音である。


 少女の所属を知らぬ者たちの反応は一様に似たモノであったが、所属を知る者たちの反応は、と言えば此方はより少女を露骨に避けるのみならず、嫌悪を隠さぬ者すら存在していた。


 曰くギルド双刻の月とは。


 金と権威で手に入れた貴族の遊び場……只の道楽の場である、と。


 事実、実績だけを見ればそう評されても仕方の無い面がある事は否めない。


 設立から一度として外壁の外での依頼に従事した実績は無く、規約に記された最低人員すら維持出来ずに度々休止状態を繰り返す双刻の月を、傭兵ごっこ、と蔑む者たちは少なく無い……いや、日々街道の治安維持に人員を割いているギルドであればある程、双刻の月に対して抱く印象は面白くない、では済まされぬ嫌悪感を伴うモノであった事は間違いない。


 自身は決して危険に身を晒さず、ランク最下位のギルドであるにも関わらず実績どころかギルドとしての体を保てぬ双刻の月が、今だ認可を剥奪される事も無く今尚存続している事自体が名門貴族であるメルヴィス家の威光が、権威がその背後に働いているゆえ、と考えるのは至極自然な流れであり……無論これらは確証も無い流言飛語の類の噂話ではあったが大半の者たちがそう信じ、また認知していた事も事実である。


 「ふぬぬぬぬぬっ」


 全身全霊の力を込めているというのに、積み荷は僅かに地面を削り動きはするが……納めるべき納屋までの距離を思うとエレナは力が抜ける様な感覚に襲われ脱力し掛かるが……悪戦苦闘する自分の横を澄ました様子で両肩に荷物を抱え通り過ぎるシェルンの姿を目にし……昼間の遣り取りを思い返したエレナの黒い瞳にめらめら、と闘志の炎が蘇る。


 シェルンと連れ立って街の酒場で食事を済ませた後――――遥々こうして農村へと訪れた後でも、この少年……シェルン・メルヴィスのエレナに対する、接する態度は一貫している。


 エレナのシェルンへの印象を断じて一言に現すならば


 可愛い気が無い。


 これに尽きるであろうか。


 見た目は兎も角として精神年齢で言えばまだ成人の儀すら迎えていないシェルンとエレナとでは、一回り近い歳の差がある。


 歳の差、とは人生に置いての経験の差であり、知らずエレナから見ればいくら女性は成熟が早いと言われているとは言っても、同じようにまだうら若いレティシアやカタリナの落ち着いた思慮深い姿勢と比べ見て、シェルンの他者に対する冷淡な態度には年長者として一言苦言を呈したくもなる。


 周囲の環境や家庭の事情があるのは誰もが同じ……例え貴族だからと言って何かが特別な訳では無い……しかるにエレナから見ればシェルンの他者に接する態度は余りに露骨で……それは排他的、と言うよりも精神的な幼さ、としか思えないのだ。


 力弱き女性や子供……老人たちならばいざ知らず、一剣を持って身を立て己の道を切り開く英気を養う男子ならば、流行りもしない不幸自慢など……何より男として見苦しい。


 辛辣な表現かも知れないが、それがエレナの正直な心境であった。


 エレナがシェルンにそれを告げぬのは、今は同年代の……それも異性の自分が諭すなど、それこそシェルンの男としての矜持を傷つける無粋な行為だと言う配慮から……と言う事もあるが、それを言ったところで今の二人の関係を考えればシェルンが憤りはすれ聞く耳を持つとは思えないから……なのだが。


 心の何処かで自分で気づいて欲しい、と言うある種の願望があった事は否めない。


 それはそれとして――――。


 「ぐぬぬぬうーっ」


 と、シェルンへの対抗心を剥き出しで必死に荷物を引いているエレナの姿は、心の在り様は別に置いても、傍から見ればまるで小動物がじゃれている様な愛らしさすら漂わせる不可思議な光景であり……またちらちら、と周囲の者たちが好奇の眼差しを向けている。


 本人にして見れば至って真剣に、必死に取り組んでいたゆえに、そうした周囲との温度差に気づかぬ事はエレナにとっては幸いであったと言うべきか。


 エレナの性格を踏まえても、気づいてしまえば作業どころではなくなり、羞恥で顔を朱に染めて天を仰いでいたであろうから……。






 「ほい、っと」


 男の掛け声と共に引いていた荷物の重量が霧散して消える感覚に、エレナは力を籠める為に俯き気味だった顔を上げる。


 「無粋な男共ばかりで嫌になるね、手伝わせて貰えるかなお嬢さん」


 エレナの視界の先、軽々と荷物を持ち上げた亜麻色の髪の青年が笑う。


 「気持ちは嬉しいのですが、大丈夫なのですか?」


 荷物の運搬はそれぞれギルド個別で分担が決まっている……勿論他のギルドを手伝う事が禁止されている訳ではないが、参加人数に寄って割り振られる物量が異なる為に当然一人抜ければ相応の負担がそのギルドに掛かる事は間違い無く、それをエレナは心配していたのだ。


 「ああ……大丈夫、大丈夫、俺は傭兵じゃないから」


 と、エレナの言葉の含みを察してか青年は陽気に片手を振ると荷物を抱えたままエレナの横まで遣って来る。


 青年はエレナに並ぶ様に立つと荷物の片側をエレナの正面へと差し出し……エレナは荷物を括っていた縄を解くと黙って片側から荷物を支える。


 二人で運ぼう、と暗に示す青年に、エレナは感謝を意味を込めて頭を軽く下げた。


 実はこの行為に然したる意味は無い。


 傍から見ても良く鍛えられている青年の体躯、荷物を軽々と持ち上げた筋力を見ても効率だけを考えるなら青年が一人で荷物を運んだ方が遥かに効率が良い事は明らかで、寧ろエレナが手を添える事で返って青年に余計な負担が掛かる事は間違いない。


 しかし不効率であっても自分の体面を考慮してくれるのであろう、青年の配慮にエレナは素直に謝意を示す。


 見ず知らずの男が示すこうした態度に普通の女性がどういった感情を抱くか、などはエレナには分からない……だがエレナは其処に下心が有ろうが無かろうが、男が異性に見せる小さな見栄を決して嫌いではない。


 だからこそ善意、とは言えずともその好意を断って男の体面を潰す様な真似をエレナがする筈も無く、二人は両端から荷物を支えゆっくりと納屋へと歩き出した。


 「俺はアシュレイ……アシュレイ・ベルトーニ、情報屋を兼ねてしがない何でも屋を営んでいてね、いつも時間が空いた時はこうして情報収集と顔見せを兼ねてギルドの仕事を手伝っているんだ」


 と、アシュレイは自己紹介……それともエレナを安心させる為であろうか、気さくな笑顔を浮かべたまま語り始める。


 何でも屋、などと云う家業は傭兵以上に横の繋がりが生命線となる。


 情報の信頼性を担保する意味でも、また何か揉め事が起きた場合に置いても頼る相手が顔馴染みかどうか、と言うのは大きな利点であり、こうして幅広くギルドの連中と親しくなる事は自分の財産になる、と。


 だから決してやましい感情から、下心から近づいた訳ではない、と自負とは異なる照れた様子を見せる最もらしいアシュレイの弁明にエレナの口元が自然に緩む。


 「私はエレナ……エレナ・ロゼ、宜しくアシュレイさん」


 親し気なエレナの声音に……一瞬外套から覗く少女の神秘的な黒い瞳に、アシュレイは目を奪われるが……。


 「宜しくなエレナ、またこれで俺の財産が増えたよ」


 荷物を掴む手を放す事が出来ず、手こそ差し伸ばしはしなかったがアシュレイは改めてエレナに笑顔を向け応えるのであった。

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