第6話



 集中していたせいだろうか、気づけば窓から覗くは太陽は高々と中天へと昇り、清掃をエレナに任せて朝方から取り掛かっていた事務処理に没頭していたレティシアは、過ぎ去った時間の経過をこの時初めて認識し、小さく息を付く。

 

 そろそろお昼の支度をしなくては……。


 自分一人ならばこのまま昼を抜いて作業を続けても良かったのだが、今はエレナが居る……食事を作らない時は事前に伝える、と約束を交わしている以上、さした理由も無く此方からそれを破る事は出来ない。


 いや……出来ない、と言う表現は語弊があるだろうか……。


 素直に事情を説明すればエレナが気を悪くするとは思えない……レティシアもその程度の事は分かってもいたし理解もしている……だから出来ない、のではなく許せない、のだ。


 誰がでは無く、何か口実を見つけてはそれを逃げ道にしようとする自分自身が……。


 元々エレナが来る以前はカタリナに料理の教えを乞う為に始めたに過ぎない自炊行為は経済的な理由から、と言うよりは寧ろ貴族社会から離れたレティシアに庶民的な感覚と価値観を持たせる為の自立支援の意味合いが深く、ゆえに食事の支度は不定期なもので身内だけと言う気安さからも食事の世話までギルドの規約に設けていた訳では無い。


 しかし第三者のエレナと約束を交わした段階でソレはレティシアにとっての義務となり責務となっていた……それは規律を重んじる貴族として施されてきた教育ゆえ、と言うよりは生真面目なレティシアの気質、と言うべき側面であり、それを長所と、美徳と呼ぶべきか、或いは短所、と断じるべきかは一概に答えを出すのは難しい。


 ――――コンコン、と扉を叩く音が室内に響き。


 来訪者の存在を告げる扉の音にレティシアは僅かに身を固くする。


 自分を拒む少女の小さな背中が一瞬レティシアの脳裏を掠め……だが直ぐにギルドの長として、些細な諍いを何時までも気に掛けている己の度量の狭さを戒める様に頭を振り、


 「どうぞ」


 と、促すレティシアの表情は何時もと変わらぬ……それは淑女としての知性と気品……そして美しさを湛えた申し分の無い姿……誰もが望み、誰もが認める教科書通りの貞淑な淑女の姿が其処にあった。


 返事を待っていたのだろうか、一呼吸の間が空き……。


 開かれた扉から姿を見せた人物は、予想とは異なる……自分と良く似た風貌を持つ少年を前にレティシアは愛おし気に表情を緩める。


 「姉さん……今大丈夫かな?」


 「勿論よ、どうしたのシェルン」


 レティシアは笑顔を向けたままシェルンに席を勧める。


 表情こそ変えぬが、言葉尻に滲む遠慮気味な声音……自分に対して見せるシェルンの配慮の理由にレティシアは気づいている。


 ギルド会館が主催する大祭『剣舞の宴』が先月終わり、この時期各ギルドは更新されたランクや序列に合わせて新たに申請を行う手続きに何処も追われる多忙期に突入している。


 報奨金の申請、ギルドの経費の申告、ギルドと所属する傭兵、関係者たちの税の納付、と年に一度、会館側とギルド両方で決済せねばならない項目は多岐に渡り、この一月の間でギルドの長たるギルドマスターはやれねばならぬ事務手続きが余りにも多い。


 煩雑な書類の作成や処理の大半はカタリナが代行して行ってはいたが、それでも最終的に署名が必要な書類はレティシアが処理せねばならず、しかも一度送ってしまえば不備等で送り返されるまでに一週間程度の日数が必要な会館と双刻の月との物理的な距離を考えても一月と言う猶予は思う以上に短い。


 結果として何度も見直し精査して署名をしていく、と言う作業は、設立から初めての決算期を迎えたレティシアにとっては神経を擦り減らす過度な負担を強いる不慣れな作業であった事だけは間違い無く……それでも先日加入したエレナは除外され、構成人数三名、ランクも序列も変動の無い小規模ギルドである双刻の月が他のギルドに比べ負担が大きいか、と問われればそんな筈も無い。


 優秀、とは言え全てが初めての体験となるレティシアとカタリナの経験不足が前提として付き纏う、余裕を損なう大きな要因であった事だけは疑い様の無い事実であった。


 「あの子を連れて外に食事に出るから姉さんは少し休んだ方が良いよ」


 「有難う……でも大丈夫よシェルン、今から食事の支度をするから……」


 シェルンがこの様な事を言い出すのは珍しい……しかし普段は周囲の事など気にも留めていない様に見えてもその実、誰よりも場の空気に敏感な、繊細な子だという事をレティシアは知っている。


 此処数日カタリナがギルド会館との兼ね合いで留守がちにしている事も、レティシアが終日部屋に籠って書類の処理に追われている事も、一人で幾つもの依頼をこなしながらもシェルンは気に掛けていたのだろう……。


 今日にしたところで、朝から一度も姿を見せない姉を心配してこうして様子を見に来たのだろう事を……レティシアは知っている。


 口数も少なく表情も乏しいゆえに他者から見れば扱いづらい、行動の読み難いシェルンの内向的な性格は将来的な面でレティシアの心配の種ではあったのだが、姉弟だからこそ分かるシェルンの気遣いや優しさは、得難い美徳の様に思えレティシアは知らず口元を緩めてしまう。


 「どうせ直ぐに居なくなる人間の為に姉さんが無理をする必要はないよ」


 「え……?」


 レティシアは唐突に発せられたシェルンの言葉の意味を理解出来ず思わず聞き返してしまう。


 シェルンが暗に示す人物が直ぐには思い浮かばぬ程に、レティシアにとってそれは予期せぬ……本当に思い掛けぬ弟からの問い掛けであった。


 「あの子の面倒は僕に任せてくれないかな姉さん」


 「シェルン……貴方……」


 あの子、と言う表現でそれが誰を指しているのかに気づいたレティシアは悲しそうに眉を顰める。


 シェルンがエレナの事を好ましく思っていない事はレティシアも気づいている……しかしそれはエレナの側に落ち度や原因がある訳でも、ましてシェルンが必要以上に排他的な人間であるという訳でもない。


 落ち度の全ては自分にあるのだ……。


 レティシアが双刻の月としてギルドの認可を受けてからこれまで一月とまともに居ついた者がいないという事実……それがシェルンの今の言葉に繋がっているのだから。


 ギルドとして活動する為の最低人数の確保は急務ではあったが、それでもレティシアはこれまでその選定で妥協してきたつもりは無い……双刻の月に加わるという事はその人間を新たな家族として迎えるに等しいのだ、と……レティシアはそのつもりで人選を行って来た事に、思いに偽りは無い。


 しかし現実は……と言えば……。


 家族同様に受け入れ、接して来た者たちは長くても数週間……短い者は数日で……皆去って行ってしまった。


 理由はそれぞれあれど……此処は自分の居場所では無かった、と宣告されてしまった様で……彼らを繋ぎ止める事が出来なかった自分の至らなさを恥じ、また慚愧の念に駆られる日々を過ごしながらも、それ以上に自分の不甲斐無さのせいでシェルンがどれ程傷ついてきたのかを思うと……負い目を抱くレティシアは強く反対の意思を示す事が出来ない。


 「姉さんは僕の為に苦労してくれている……だから僕も姉さんの役に立ちたいんだ」


 「シェルン……」


 それが決め手となる。


 これまで決して不満など口にした事など無いシェルンの思いを、努力を知るだけに……自分を想い行動しようとするシェルンの気遣いや優しさに触れ……それを拒む事などレティシアには出来よう筈も無い。


 「今日からあの子を連れていくよ、そうすれば多少は姉さんの負担も減るでしょ」


 「あの子に……危険な真似はさせない……ちゃんと約束できるのね?」


 「姉さんに迷惑は……いや……誓うよ、メルヴィスの名に懸けて」


 家名まで出して誓いを述べるシェルンにレティシアは頷く……頷かざるを得ない。


 大丈夫……身に危険が及ぶ様な依頼は受けてはいない。


 エレナはしっかりとした子なのだし……それにシェルンがついているのだから……。


 承諾し笑顔でシェルンを送り出すレティシアの胸中は……だが、自分に言い聞かせる……納得させる為の口実を探している様で……それは表裏別の相反する姿であった。

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