第3話

 「レティシアは私の事を友人と……幼馴染と呼んでくれますが、私の生まれは貧しい農家で……メルヴィス家に下働きに上がっていた端女に過ぎません」


 その言葉だけでエレナは理解する……いや、出来てしまう……。


 現在の四大国の中でもオーランド王国は魔女の災厄から復興を果たした国として大陸でも頭一つ抜けた存在となっている……それは軍事・経済に留まらず文明化の水準も、と評しても間違いではないだろう。


 国民たちの生活環境の根幹たる学問に始まり、魔導……それを発展させた魔導技術と云ったこれまで忌諱されて来た分野に置いても先進国たるオーランド王国には多くの有識者たちが集い、最先端の地として諸国を牽引する学術都市としての一面を併せ持っている。


 しかしそのオーランド王国であっても人口に比べ水準となる識字率は決して高い、とは言えず……中でも平均値を大きく下回らせている要因となっていたのが深刻な農村部における学習環境である。


 自給率を上げる為に本来は農耕に適さぬ土地ですら開拓し、安定した生活を謳い開拓民たちを募って来た王国の政策は、人口の増加という成果とは裏腹に国民たちの間に大きな格差を作り出す。


 無償の土地、という呼び水に隠されていた高い税率、北の地特有の寒波による作物被害、寒暖の差ゆえに安定しない品質と収穫量……上げれば数え入れぬ弊害が経済的な負担を呼び起こし、結果として人を新たに雇う余裕の無い多くの農家は貴重な働き手として幼い子供たちをも労働に就かせ……。


 平均的な集落で読み書きが出来る者の比率を問うのが馬鹿らしく思える程に……世代を重ねる事に深刻化する貧困問題が、王国内での貧富の差を助長する最たる歪みの要因の一つである事だけは間違いない。


 一見すれば教養などとはほど遠いと思われている傭兵たちの方が寧ろ、契約の条文一つで大きく利を損なう、己の命すら危険に晒す……そうした不利益を背景に独学で学び、習得している者たちは多く、土着の民たちと比べ見ても遥かに高い識字率が、皮肉めいた大陸の現状を端的に現していると、象徴している、と言っても良いのかも知れない。


 カタリナが農村の出なのだとしたら、身に付けた教養の代価に何を支払わされたかなど、最早考えるまでもない……。


 「そんな顔をしないで下さいエレナさん、私はメルヴィス家に拾われて幸運であったと――――」


 「止めてくれ――――」


 エレナは思わず遮ってしまう。


 少女ゆえの潔癖さ、そうとられても仕方が無いエレナの拒絶に口を閉ざしたカタリナは、束の間戸惑いを見せながらも、やがてゆっくりと微笑んで見せる。


 困った様な、それでいて諭す様な、幾つもの感情が入り混じった……しかしそれは努めて冷静なカタリナの雰囲気にはそぐわぬ優しい、女性らしい表情であった。


 カタリナの見せる穏やかな様子とは対照的にエレナは避ける様に瞳を伏せると、知らず胸元へと置いていた手を握り絞める。


 カタリナの様に教養もある聡い女性であっても……いや、誰であれ、どの国であっても変わらない……問えば一様に皆そう答える。


 滅私奉公……口減らし……。


 貧困ゆえに、貧しさゆえに、親は子を売り金に換え、


 生きる為には仕方がないのだ、と。


 この子にとってもそれが幸せなのだ、と。


 口を揃えて皆が言う。


 売られた先が、見受け先の全てが全て劣悪な環境だとはエレナも思わない。


 孤児院で父に拾われたエレナもまた、カタリナと似た境遇だと言えるのだから……だからこそカタリナの言葉に嘘はないのだろう……。


 この手の話など大陸では何処にでも転がっているし珍しくもないありふれた話……。


 しかし……それでも……親に売られた子供が自分は幸せだと、幸運だった、などと思わせてしまう世界が……不合理が……エレナには堪らない……。


 誰が間違っている訳でもない……誰が悪い訳ではない……だからこそ弱き者たちに選べぬ選択を迫る世界の理不尽がエレナは許せない。


 愛する者たちの為に……子供たちの未来の為に、魔物との戦いに身を投じ散っていった同胞たちの……友たちの想いと願いを知るエレナには……どうしてもそれを許容する事が出来なかった。


 「話の腰を折りました……続けて下さい……」


 身勝手な感傷だと理解している……子供の癇癪と思われても仕方が無い。


 ましてこれまで自分がして来た所業を思えば尚の事……しかしそれでも……どうしても……本来は述べるべき謝罪の言葉を……沈黙の中やっと口を開いたエレナは言葉にする事が出来なかった。


 そんなエレナを責める素振りすら見せずカタリナは途切れさせた言葉を紡ぐ。


 「まだ十にも満たず幼かった私には、当時どういった経緯があったのかは分かりません……しかし礼儀も弁えず、家事すらままならなかった私をカダート様はレティシアの世話係に就けて下さいました」


 それだけではない、とカタリナは続ける。


 「病弱で身体の弱かったマリーナ様の負担を少しでも軽減させる為だったのでしょうが、それでもレティシアと同じ教育を受ける機会を与えて下さったカダート様には感謝の言葉も有りません」


 カタリナの声音にはカダートへの……メルヴィス家に対する尽くせぬ恩義が感じられ……エレナは彼奴らしいな、と胸中で想う。


 名門に連なる貴族が家人の者とすら認めぬ下働きの農家の娘を、実の子の世話係に任命するなど本来ならば絶対に有り得ない……家名を汚す不始末である、と謗られるであろう前代未聞の行為。


 しかしエレナの記憶に残るカダート・メルヴィスはそれすらも、それがどうした、と一喝し笑い飛ばす様な豪快な男であった。


 「全ての歯車が……いえ……それすらも言い訳に過ぎないのでしょう……向き合わねばならぬ時に目を逸らし、背けて来たのは私もシェルンも……そしてレティシアも同じなのですから……」


 レティシアとシェルンの実母であったマリーナが亡くなり、後妻としてカダートがメルヴィス家に迎えたケルニクス家の長女、レーニャ・ケルニクスとレティシアとの確執が全ての始まりであった、と。


 「此処から先の話はレティシアが直接話さねばならない事……ですがエレナさんは知って置かねばなりません……双刻の月に所属すると言う事は二人の問題と無関係ではいられないという事を意味するのですから」


 レティシア・メルヴィス……シェルン・メルヴィス……。


 家督を放棄して家を出たシェルンとレティシア……しかしその二人が今だにメルヴィスの姓を名乗っている意味を同じ貴族であったエレナが理解出来ぬ訳はない。


 メルヴィスの名を背負う以上、貴族である権利を有している二人は例え実家から絶縁されていようとも廃嫡とならぬ限り復縁の道が残されている……両者の間にどの様な取り決めが成されているのかは分からないが、現状このままシェルンが成人を迎えた場合、本人の意思次第では家督を継ぐ事が国の法で認められているのだ。


 「この世に完全な善悪など存在しません……レティシアとシェルンに言い分が有る様に、奥方様……いえ……レーニャ様にもまた二人には分かり得ない想いがあります……どうかその事だけは心の片隅に覚えて置いて欲しいのです」


 その上で二人の力になって上げて欲しい、と頭を下げるカタリナに、この場で自分の身の上話を聞かせたカタリナの真意をエレナは察する。


 「私などで力になれる事があるのなら……」


 と、エレナは瞳を伏せ想う。


 もしカダートが健在であったなら、二人の人生は……いや、カタリナもまた違う未来を歩めたのであろうか、と。


 自分にそんな権利など無いと知りつつも思わずにはいられない……。


 自分の様な人を殺める事しか……憎しみと悲しみしか生み出せぬ咎人がのうのうと生き残り、カダートの様に愛され誰かから必要とされる者が死んでいく。


 私は何時も置いて行かれてしまう……。


 エレナは先に逝ってしまった友たちを想う。


 託された想い……抱いた願い……それは魂に刻まれた記憶となって今尚この胸に生きている……それは希望……それは呪縛。


 「私は……そんなに強い人間ではないよ……カダート」


 寂しげに揺れる黒い瞳は嘗ての友の姿を映し出す。


 「エレナさん?」


 俯くエレナの儚げな様子に心配げなカタリナの声が届き――――しかし顔を上げたエレナの瞳には最早葛藤の……迷いの影は無い。


 「私の出来うる限り力になりますよ」


 エレナはもう一度今度ははっきりと繰り返す。


 せめてお前の子供たちの面倒くらいは見てやるよ、と。


 贖罪ではない、ただ友の為、エレナは心の内でそう誓っていた。

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