第2話

 農耕が盛んなであるがゆえに、何処か牧歌的な、穏やかな気風で知られる南の区画の住民たちではあるが、やはり都市部ともなると、経済の中心として、また社会構造上逃れ得ぬ悪癖として貴族という特権的な階級とは関わり無く貧富の差……格差というモノは存在し……。


 今エレナが居る広い個室は、手広く繊維物を取り扱う比較的大型の店舗を複数所有する、南の区画でも比較的裕福な中流層を顧客とする商会の一つとして知られていた。


 事前に予約を入れていたのだろう、続きの間が更衣室となっている室内の壁には赤、紺、青、と色鮮やかな衣服が飾り付けられ、中央に置かれたテーブルには折り畳まれた多くの衣服が整然と並べられている。


 一見して衣服のサイズが比較的小柄なモノ、と言う点からもこれらは全てカタリナが手配したのでろう事はまず間違いない。


 エレナが外出時には必ず外套を羽織り、必要以上に人目を気にしている事をカタリナは既に気づいているのだろう……そうでなければ態々余計な費用を掛けてまで個室を借りる理由が思いつかない……貴族の令嬢でもあるまいし、本来ならば店内を見回して選べば良いだけの話なのだから。


 もう一つエレナが与り知らぬ理由があるとすれば、もしエレナが素顔を晒して店内をうろつく様な事になれば、騒ぎになる事は火を見るよりも明らかであった事だろうか。


 例え周囲に居るのが女性客や女性店員たちだけであったとしても、だ。


 人を見姿で判断するなど愚かな事……しかしそれが通用するのはあくまでも常識の範疇内での事に過ぎない……エレナ・ロゼが持つ容姿の美しさとはそうした綺麗事すら忘却させ……名立たる名画たちが性別など超えて人々に感銘を与える様に、極めた美しさもまた本人の意思とは無関係に人々を魅了し或いは惑わせ……。


 それを魅力……と表現するのは容易いが、抗い難い欲求を、渇望を伴うソレこそが例えて魔性、と呼ぶべきモノなのかも知れない。


 噂の類と云うモノは面倒なモノで、尾鰭が付き話が大きくなるにつれ噂の真偽を確かめようと、辿ろうとする者は必ず現れる……そして少し調べればエレナ・ロゼに行き着く事はそう難しくはないだろう。


 カタリナとしても双刻の月が妙な方向で有名になる事など望んでいる筈もなく、エレナに対する手厚い配慮の理由にはそうした事情も含まれている事だけは確かな事であった。


 「前にも説明しましたが全てギルドの経費として落としますので、値段などは気にせず好きな服を選んでください」


 これまで気にした事すら無かった為に女性服の相場と云うモノが分からぬエレナではあったが、服の生地や装飾を見ても此処に並ぶ服たちがそれなりに高価な代物であろう事くらいは想像が付く。


 財政的にも豊か、とは言えぬ筈のギルドの内情を理由に上手く断れないか、と考えていたエレナの思惑はその財政の担当者たるカタリナの一言で出鼻を挫かれる格好となり……むうっ、と言葉を詰まらせてしまう。


 カタリナとしてはエレナの心の負担を軽減しようと……其処に他意はないのだろうが、エレナから見れば完全に逃げ道を塞がれてしまい……努めて自然に、と自分に言い聞かせながらもぎこちない笑みをより引き攣らせる結果となり……。


 好きな服って言われても……。


 と、エレナは飾られている服たちを見渡すが……必要以上にひらひらとした動き難そうなモノや、何故か背中で結ばねばならない上に無駄に紐が付いているモノ……中には機能性すら度外視した、最早着方さえ想像が付かない代物まであり……正直途方に暮れてしまう。


 この際適当に選んで……。


 と、迷い彷徨うエレナの手がテーブルへと伸び――――止まる。


 エレナは寸前で己の過ちに気づきそっと手を引いた。


 ギルドの経費で購入すると云う事は、譲渡されるソレらは全て支給品であり……言い換えるのならば必然的にギルドに所属する傭兵たちにはそれらを着用する義務もまた生じるという事に他ならない。


 外出時などはそれこそ露店で売られている上下合わせて銅貨数枚程度の安物を新たに買えば事足りる……しかし、ギルド内で……共同生活をおくる場でソレを着ないという行為は不自然を通り越し、間違いなくレティシアやカタリナの不興を買う事になる。


 今後の友好的な信頼関係の形成の為にも絶対にそれは避けねばならない……。


 エレナは伸ばした手の先に、瞳に映るソレを着た己の姿を想像し……ぶるぶる、と身を震わせた。


 「エレナさんの黒髪には赤色が映えると思いますよ」


 暫くの間、エレナの服選びの邪魔をせぬ様に控えていたカタリナが堪りかねたのだろう、声を掛けてくる。


 借りて来た猫……いや、怯えた子猫の様にきょろきょろ、と不審な挙動を繰り返すエレナへの助け船の……助言の意図が察せられるカタリナなりの気遣いが其処には感じられ……しかしある種、追い詰められていたエレナは……。


 なるほど……確かに返り血が目立ち難いのは利点かも知れない、などと言う斜め上の思考にまで至っていた。


 あれやこれや、と乱れる思考の中……万策尽きたエレナは覚悟を決める。


 「あの……カタリナさんが良ければ代わりに選んで頂けませんか? 恥ずかしい話なのですが私はこれまでこうしたモノとは無縁な世界で生きて来たので……正直言って、好みと言われても自分の嗜好すら分からなくて……」


 これは嘘でも偽りでもなく、エレナの本心であった。


 カタリナは少し驚いた様子を見せるがそれも一瞬、分かりました、と肯定の意思を示す。


 カタリナの瞳が僅かに寂しげに揺らいだのは、聡い彼女がエレナの生い立ちに対して思うところがあったゆえ、であるのだろうが……それも束の間、混乱の極みに達していたエレナにはその機微には気づけない。


 なるべく地味な配色のモノを、と繰り返すエレナの懇願にも似た声音にカタリナはまた頷くと、テーブルに置かれていた服を何着か手に取り広げ見る。

 

 エレナにとって救いがあったとすれば、服を選んでいるカタリナが努めて事務的であった事だろうか。


 悪く言えば他人行儀で余所余所しい……しかし土足で踏み入る様な純粋な好意や興味本位に向けられる好奇の眼差しと比べて、カタリナが示してくれる距離感はエレナにとっては心地良いモノで。


 複雑な事情があるのだろうが、貴族特有の傲慢さを微塵も感じさせぬ、人としての礼節を弁えたカタリナやレティシアの姿勢こそが真に教養ある才女の姿なのだろうな、と少し冷静さを取り戻しつつあったエレナは漠然とそんな事を考えていた。


 それともお前の訓示の賜物なのか……なあ、カダート。


 エレナはふと、今は亡き友を想う。


 「カダート・メルヴィス卿……レティシアさんとシェルン君の父上はどんな方でしたか?」


 だからそれに深い意図は無く、


 淡い感慨は、想いは言葉となり――――エレナにしては不用意で、無神経と謗られても仕方ない、そんな無意識の問い掛けに……カタリナは手にしていた服をテーブルに置くとエレナへと向き直る。


 一瞬の間、一時の沈黙――――。


 己の無神経さに気づいたエレナが言葉を発する前に、カタリナの口が開き紡がれる。


 「そうですね……時間を経れば聞き難く、話し難くなる……丁度良い機会かも知れません」


 それは独白にも似た……。


 ――――私は貴族ではありません。


 それがメルヴィス家に纏わる事の顛末の、語り部となるカタリナの……第一声であった。

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